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「書割のシェイクスピア」

師匠の誕生日はルドンの画集にした。去年は「マン・レイ」のキキの裸だったように記憶している。お誕生日をすっかり失念して訪ねて行った時、たまたま土産にと手に持っていたカードに言葉を添えてさしあげたような失態だったので、今年こそはと思って本屋をうろつきモローか澁澤か迷った挙句、どちらもお持ちかもしれないと懸念して、少しマイナー路線のルドンにした


オディロン・ルドンは印象派が興隆した時代と同世代の画家だけれども、一風変わったどちらかというと象徴主義や世紀末芸術に与されるような絵を描いた。幻想的で「魔」とも「夢」とも「美」ともなんともみたいな画風が好きで、特にルドンの描く花の絵は魅せられる。


銀幕遊学◎レプリカントの作品は「魔」とも「夢」とも「美」とも、といった作品だ。ルドンの絵から少しメルヘンがかった感じを抜いたようなイメージこのほどISTで上演された「書割のシェイクスピア城」も良かった。
シェイクスピア劇がなされる舞台裏で衣裏方の裳係や、小道具がかりがこぞって俳優を奪い合い、演技ごっこを繰り広げる。。「俳優修行」をもじったシーンとかで、演じるものへの嘲笑が随所ある。


ジュネみたいな大仰な台詞をまわしながら、陶酔し、現実を忘れ、現実の立場をすっかり転倒していく裏方達。寺山の「奴婢訓」等の構想を借りながら・・・だと思うが・・、主従転倒の関係性を俳優と演出家・作家の関係に置き換えて虚実を舞台と客席の関係性に置き換えながら、薄っぺらさの中にある真実や、現実の薄っぺらさといった相反感覚を描く。いつもながら、なんとなく泣けるのは狂おしい陶酔感覚とかそれを嘲る感覚やその中に正体不明の美が見えてしまうからかもしれない。


このほどなぜ舞台をやるのかよく考えるのだが・・よく考えりゃ、なんで人生を演じてるのかなんてほうがずっと不思議だ・・・何はともあれ、今回の作品も涙腺に及んだということだけで、何やら舞台というものにやられてしまうのだ

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