刺繍草紙

logs

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

嫌いなもの

群れる女

一人じゃ何も出来ないくせに、群れて強者になろうとする女

「私」という主語

話し始めは常に私が来る人間が大嫌い

「私は~だから~」「私は~だし・・」「私ね、」

なんて話し出したら、うざい!もう死ねよ!って思う。自分が言ってたりしたら自分に「死ねよ!」って思う。


昔は苛められっこだった。登校拒否で、勉強も全然出来なくて最下位から数えた方がはやい成績で、リストカットのマネゴトばかりする親友がいて、その子も苛められていて、誰からも見向かれない小汚い少女で、家庭は崩壊していて、神経症が家を暗くしていた。一人ずっとあてもなく自転車をこいで、家は臭気がして気分が悪く、学校はどよどよとした灰色だった。常にどこに行っても出来の悪くて、ぼんやりしていた。どうやったら壁になってじっと黙って耐えてられるのか、どうしたら死に近づけるのかばかり考えていた。先生に「私は学校辞めて、家を出て、もうどこか遠くへ行きたい」って職員室で1時間も泣き続けて困らせたことがある。面談に母親が「この子はうちで一番の出来損ないで、大学なんか無理ですよ、先生」って言ったその時、担任の先生が「それは違う。この子はどこの大学だって入れる能力があります。私は分かってますよ」って言ってくれ、それがなかったら今の自分は無い。それから先生はずっと「あなたは出来ますよ」と言いつづけてくれて、その後はやればだいたいのことは叶うようになった。友人も仲間も助けてくれる人も恋人も師匠も出来た。


それでも根底にあるコンプレックスとか、怖気とかが消えなくて、例えば「顔」のことについて冗談で色々言われたりすると、「気味悪い」とか「ブスだ」とか家族や周囲から言われていた、その時のことを思い出して怯えてしまう。今でも自分の顔は嫌いだ。おかげで苛めの見物人という加害者タイプになる人間を嗅ぎ分けることが出来て、そういう人間の要素を軽蔑している。そういう人はだいたい一人じゃ何も出来ない群れるタイプの人間で、何かといえば「私はね」を連発する気味の悪い連中だ。


卑屈さはずっと消えなくて、今でも傷つけられたりしたら異常に執拗に覚えていて、その癖、人間との間隔がうまく掴めず傷つけたことはよく分からない。


話は変わるが、小さな頃はずっと想像するのが好きで、誰もいない、自分という少女がたくさんいる「子供の街」を頭の中で作っていった。その街には自分に似た少女が6人いて、あとは老人しかいない。少女は6人で同じ家に住んでいて、家の前には芝の庭があり、石畳が伸びている、春には花びらを秋には落ち葉を冬には雪を箒で毎朝掃き清める。少女の指には10個の指輪がはまっていて、散歩に出かけるたびに貧しい人たちに1つづつ指輪をあげる。少女は道路を掃き清め、パンを配る。少女のドレスの後ろには全て大きなリボンがついていて、薄桃色、薄黄色、水色、薄橙のパステルカラーになっている。・・・少女たちは何も喋らない、ただ黙々とパンを作り、掃除をし、散歩に行って、それを繰り返すのだ。毎日、街のあちこちや家の細部、例えば箒はどんな形なのか、指輪は何色か、道路の広さはどのくらいか、どこにゴミ箱がありポストがあるか・・・そんなことを布団に入ってずっと考えながら頭の中の「子供の国」という桃源郷を作っていった。


私はという言葉が嫌いといいつつ、私のことばかり書いた。多分、ほんとそろそろ頭を打ん殴られた方がいいんだろう・・・きっと先行き長くない・・・そんな予感がする。過去が走馬灯のように去来する。



トラックバックURL

http://shisyw.blog81.fc2.com/tb.php/94-b19af197

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

コメント投稿フォーム

Paging Navigation

Navigations, etc.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。