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スカッと

自分のことを詰まらない人間だなと常々思ってはいたけれど、人から言われるとまさにああ、そうだ私は詰まらない人間だったのだということに合点がいって驚く。人はなるべく自分のことは特別だと考えたいものである。こうして演劇やら音楽をやっているけれども、裏を返せば休日やアフターファイブに何をしていいのか分からない、まったくもって面白くもない人間の標本だ。

しかしながら、詰まらない人間だからといって生を返上せねばならぬほどの決意も持てず、生存権がなくなるわけでなし、こうして詰まらぬままなんとかあがいても生きてゆかねばいかないということを突き詰めると、息の詰まる虚しさ。申し訳ないのがこうして周囲も窒息させていくことで、人の日照権を奪って生きているような悲しい気持ちになる。

マジックものということで「晴天の霹靂」を見に行ったら、今では売れっ子の劇団ひとりの脚本が、詰まらない人間にスポットが当てられたものだった。主人公の売れないマジシャンのは部屋中ゴミだらけ。コンビニで買い物した弁当やラーメン容器、エトセトラ。買い物に行けば半額シールの貼られた惣菜を買ってしまう。売れている後輩がやってきた時はつい小さな見栄をはるあたりがいかにも小物。そんな彼が生まれる前にタイムスリップして、自分の母が自分を産んでくれた光景を目の当たりにして生きる意味を見出すという簡単なストーリーだったけれど、もちろんひねくれものの私はいかにもな音楽を鳴らしてお涙頂戴の感動シーンでは全然泣かないが、公園で主人公が半額で買ってきたホットドックのソーセージをボトッと地面に落として、それを公園の水道で洗い流して食べようとするところで心を打ち砕かれ、かなり涙腺が緩んだ。そして感心したのはもちろん今は売れている劇団ひとりのルーツがそんな詰まらなさにあるということと、それを隠さないでバイタリティーにして映画をつくったということだ。そういう意味では同じ芸人監督とビートたけしや松本人志を彷彿とさせ、芸人というのは血を吐くほど練習すると噂されるだけあってなかなかすごいものだと思う。私なんて自分のつまらなさが恥ずかしくてたまらないので、なるべくそれを隠したいものだが、それを隠さないで強みにする強さはもはや詰まらなさからはるかに乖離して偉大だ。

マジックの映画といえば「イリュージョニスト」というアニメーション映画も取るに足らないマジシャンを描いている。詩情たっぷりな味のあるイラストで描かれる高次のアートシネマではあるけれども、売れないマジシャンのつまらない人生にスポットをあてているという点ではなんともいえない悲しさがある。しかも特に最後に救いもない。ラストに救いがないというのは私の大好きなパターンであるので、私はその意味でも「イリュージョニスト」と評価しているが、現実と考えれば過酷なものだ。

同じマジック映画でも「プレステージ」や「グランド・イリュージョン」「奇術師フーディーニ」なんてのは華々しい。私はあの「メメント」のクリストファー・ノーラン監督ということで「プレステージ」に最もマジックの蠱惑を表現した作品として拍手を送りたい。まぁ、単に趣味かもしれないが、あのサイコ感にゾクゾクするのだ。

さて、私は詰まらなさについて語りたかったのだけれど、いつの間にかマジック映画の話になってしまった。まぁ、いいか。詰まらなさについて語っても詰まらない。

『酔筆奇術偏狂記』の特設サイトができたので見てみてください。レトルト内閣のWEBは作品よりもすごいと思う。

http://www.retoruto.com/suihitsu/index.html

あと、私がテキストを担当している作品『S/Mオペラ』のことは諸事情により特に公式HPには載っていないけれども、きちんと上演されるし、すばらしい作品なのでよかったらいらしてください。
http://shisyw.blog81.fc2.com/blog-entry-680.html

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