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昔話の深層

河合隼雄が亡くなったのはついこの間のように思われるが、すでに半年以上たってしまった。月日の流れがはやくて驚く。またもや公演の台本を書く時期がやってきたと思ったら、すでに締め切り間近である。時間の流れがなんとも恐ろしい。


「昔話の深層」は河合隼雄1977年に刊行したもので、ユング心理学の観点からグリム童話を紐解いている。そもそもユングは精神病患者の語る像に、神話や民話に共通項の多いことに注目した。狂人の抱くイメージと、昔話に共通の姿があるというのは非常に不思議である。



ユング心理学には「型」という概念が存在する。世界中の昔話にはその「型」が存在すると河合は述べる。人間の無意識を個人的無意識と普遍的無意識に分けて考えると、普遍的無意識の深層は人類に共通の普遍性を持っているのである。


河合は我が国のユング心理学第一人者である、そこで彼はこの本を通じて、昔話に見るユングの言うところの「型」(深層)を解説している。ここに、いくつかの例をあげてみよう。


「魂」

心理療法を受けている人が絵や物語を創作することがよくある。彼らは「無意識」の中でその内的要請に従って創作するのである。我々はすでに文明が進化し、土壌から切り離されされた意識を持っている。しかしそれは土壌から切り離されているがゆえ生命力に飢えたものである。昔話は無意識の世界への退行させる手段である。昔話はある個人が原型的な体験をした時にそれを直接的に伝えようとしたのが始まりであり、昔話を読む時、我々は表層的に失われた原体験を獲得することが出来るのである。もっと言えば、昔話は心の構造の反映としてみることが出来るともいえる。

その「原型」についていくつか取り上げてみる


「グレートマザー(太母)」

例えば「トルーデさん」に見られるように、昔話はすざまじい。それは現代人がつとめて忘れ去ろうとしている、人生における死の戦慄を体験させるものである。昔話は魔女や恐怖体験を通して、超越したものの存在を示す。それは大地と結びついた大いなるものの存在であり、それを実感したものが大人になっていくという死と再生のプロセスを記している。


「自立」

「ヘンゼルとグレーテル」で魔女がグレーテルに殺されるように、昔話では母親を思わすものを殺ししてしまう。それは成長が母なるものの死とともに成されるものであることを示している。個人の成長は常に死と再生の繰り返しである


「怠けと創造」

昔話では怠け者が成功するという例がしばしば出てくる。行き詰った精神病者は退行現象を体験し、意識から無意識の世界へ流れ出す。そして呆けた状態の患者がその頂点に達したとき、エネルギーの反転を生み出し、新しい創造が開示されることがある。退行が創造的な場合は、多くの創造活動がこれにあてはまるとユングは指摘している。


「影の自覚」

「ヘンゼルとグレーテル」の兄弟は実は一人の人格を現している。心の中の相互補完は二人よりもむしろ一人の心におこるのである。我々は皆、個人的にも普遍的にも別の側面(影)を背負って生きるのである。


「眠りと目覚め」

眠れる森の美女では、姫が眠りと目覚めを体験する。成長のための試練があり、罰や死を経て我々は目覚めるという過程を通じて生きている。


「トリックスター」

昔話にはしばしばトリックスターが登場する。我々は心の中にトリックスターなるものを持っている。それは物語をかき回すものであり、葛藤、破壊、お調子者、介助者、などの意味を含んでいる。


「父性原理」

切断の機能を持ち、秩序を保つものとして物語は、王や父という形で父性原理を登場させる。それは母なるものとバランスを保ちながら世界を構築する


その他にもこの本は、「アニマ」「アニムス」などのタイプが昔話の中に見られることが述べられている。我々にとって意識と無意識は生命の両輪である。我々は今こそ無意識的普遍体験を呼び覚ます昔話を求めているのかもしれない。

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