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人間失格

連日残業続きで場合によっては、帰ると日を越えていたりして、食事をして寝るだけの毎日。主体的仕事というより、受動的労働をしているので、度合いをすぎれば慣れがやってきて心地よくなってくるのだという事実の発見が不気味。もちろん創造的活動などは出来るわけもなく、ピアノも文字もここ数日触っていない。しかし創造的活動というのは労働に比べれば、案外に苦しいものであるのだということを再認識、何も考えずにひたすら労働にまみれていく生活はサイクルの中で永遠に静かだ。前に書いた散文に、習慣というピストルは優しく人を殺すことが出来ると書いたことがあるが、やさしく殺されていくなら多くの人にとって本望かもしれない。私は最近、感覚のない疲労について考えている。正確に言えば考えているというよりは、漠然と思っている。


最近、付き合いで舞台を何本も見たけれど、凡そどの舞台においても後ろ暗いなかで前向きで、舞台の中でしか完結しない歪んだ自己実現が舞台と自分との距離を果てしなく遠ざけているような気がした。どれもよく出来ていて大変に感心するのだけど、感心しても、感動することなく帰るのはこちらがわに問題があるのかよく分からない。卑屈の中に埋められたような気分になる。


「恥の多い生涯を送ってきました

自分には人間の生活というものが、見当つかないのです。」


これは太宰治の「人間失格」における、第一の手記の書き出しだ。中学の時、このタイトルに惹かれて購入した。それから、「人間失格」やジイドの「狭き門」、ヘッセの「車輪の下」なんかが青春を構築した。暗い気分のときはやけに明るくなる。「含羞」というものが裸の自分をよく現していると思う。よって自分は同じ含羞を持つ人間を、恥さらしという理由で憎み、持たない人間を恥知らずな人間として憎んでしまう。


「自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを一度も実感したことがなく、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの付き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして件名にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来でみかけてもぎょっとして、一瞬、めまいがするほどの深いな戦慄に襲われる有様で、人に好かれることは知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした(もっとも、自分は、世の中の人間だって、果たして、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています。」


よく人は透けてみえてぞっとするが、その背後に自分が透けて見えてぞっとする。

恐怖、含羞、無抵抗、それに妙なプライドの高さがのっていたのが青春時代だった。

日記を読み返すと、人を嫌悪する自分への嫌悪ばかりを書き綴りっていたので、全て捨てた。


「してその翌日も同じこと繰り返して、

昨日に異ならぬ慣例に従えばよい。

即ち荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば

自然また大きな悲哀もやって来ないのだ。

ゆくてを塞ぐ邪魔な石を

蟾蜍は廻って通る。

上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけたとき、自分はひとりでに顔をもえるぐらい赤くしました」

本当に蟾蜍は廻って通るだ・・・

本を読み返しながらいつの間にか朝まで眠っていた。


最後ですが、うちのメンバーのよしもとともしよとが現在突撃金魚に出演中です。等身大の少女の体当たりな人生への絶望とか変革への欲求とか、ある日の衝動とか、それに忠実であるとか、あがきっぷりを上手く描いています。主催のサリングさんの作品は、徐々に外に発光する形になっていてよい方向に進化しています。よかったら見に行ってやってください。今週末までです。


http://www.kinnngyo.com/

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