刺繍草紙

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希求、気球、地球

夕方に「ハナノビョウキ」のライブを観にいった帰りに千佳子さんに会うことになりご飯を食べた。千佳子さんは、以前「アップルパイの午後」を依頼してくれた俳優さんである。その時にまた尾崎翠の「第七官界彷徨」を是非やろうという話になった。「第七官界彷徨」は翠の代表作で、一番豊かな作品だと思う。

1月にテロルのライブが終わってから2月にレトルトの福田と暇極まりないから舞台をやろうということになり、そんな理由でやっていいものか分からないが・・・台本を書き始めている。外部でやるのは実りが多いが、それでも劇団のメンバーと一緒につくるのが一番いい。劇団員はとにかく反抗分子の塊で、やれ本が面白くないだの、感覚が分からないだの、テキパキやれだの、これがいいあれがいやとうるさくて仕方がなくて、もう本当に私の本がいいと思ってやってくれてるのかなんだか分からないので腹が立つ。その点、外部でやると(人がよい場合だが)皆、素直で、だいたい初めてなもんだから意図を分かろうと一生懸命だし、まっさらな状態で歩み寄ってくれるものだからいい。でも劇団メンバーがあれこれ言うのは、もう家族みたいなものだろうと思う。自分の母の洗濯物の干し方にはあれこれ注文をつけるが、隣のおばさんの干し方には文句を言わない。自分の母の場合、隣の洗濯物と違って、長い時間干し竿が目に触れるわけだから、干し方的美的センスを共有し、長い生活を心地よいものにしないといけないし、パンとはたいてからかけろとか、ハンガーをつかって間隔をあけろとか、下着はハンカチで囲えとか・・まぁ、そういうわけだろう。ということにしている。

そう考えると家族的な人々は長い時間と労力と喧嘩を経て心地いい環境を整えられるわけだが、初めて会いましたみたいな人たちもある種の心地よさが認められるということは、「距離」とか「未知」とか「不安」いうことも心地よさを作り上げる一つの要因かもしれない。私などは仲間にはあんまりプライベートな立ち入った話をしたくないが、初めて会った人に思わず人には言えない色々な話をあらいざらいしてしまうことがある。初めて会い、そして今後もそう関わらないであろう人たちが持つその場限りの限定的空間は新密度が高い。たとえば変な話だけれど、一晩だけの関係なども悲しいまでに新密度が高いという気がしている。ポルノグラフィティの「スウダージ」という曲に「時を重ねるごとにひとつづつあなたを知っていって、さらに時を重ねてひとつづつ分からなくなって」という歌詞ある。最初は知って行く作業、そして知っていく中で徐々に分からなくなる作業ということなのだろう。そうすれば最初にみた姿は幻影みたいな気もちすらしてくるものだ。もちろん幻影ではなくて、分かりあいたい、分かってくれるかな?という未知の不安の中で、純化された希求精神が綺麗に見れるんだと思うのだけどね。


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