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刺繍草紙

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「和」なもの

余分なものが溢れている、ついあれもこれもやってしまっている。しまった!

目指すは世阿弥、観阿弥の「秘すれば花」のはずなのに・・・遠い・・・室町の遠き世によくもこんな芸の至高を完成させたものだ。平成に生きる我々はどうすればいい?我々自身が余剰生産物なりや、いなや。


「和」な感じでお願いします。

という言葉に?マークが飛び交い気味の稽古場、いまひとつ「和」な感じの説明がうまくできない。

「和」とはなんぞや?


和風雑貨の格子模様?否

赤い縮緬細工に兎の飛んだもの?否

金の扇子に牡丹をあしらう?

果は富士山?日の丸?お相撲?腹切り?サケ?


「和」・・・これは難問・・。

日本の女性の美はどこにある・・・例えば伏目、うなじ、足のつま先のすぼめた所。ちょっと隠れて伏せられたところ。御簾の中の美人は御簾の中だから想像力が掻きたてられてより美人なのだ・・・西洋は出せば色気、日本は隠すが色気だ。


シンメトリーを好まず、城壁はいびつに積み上げられ、庭石は一貫性なく配され、道はくねくねまがる。

石一つで宇宙。砂地に弧を描けば川。


茶碗の割れ目には世界の深遠が宿る


襖にはちょろっと薄墨で薄が一本 描いていない白い部分を見るのだ・・

日本美学はケチの精神

正確に模写するのをとうに諦め、想像力こそ最大の美として手を抜く。


堤の音は鳴っていないところを聞く、静寂を聞くのだ


「蛙飛び込む水の音・・・」はぽちゃんと音がしたため、より静かということが分かるから名作だし、

5.7.5のすざまじい短さは想像力がなくば、何の面白さもない。


ややこしいことに、日本人は銀閣に対して金閣、能に対して歌舞伎を作るような二重性も持っているので、華美このみ、ごちゃごちゃ、祭りはうるさくというのも対する和の美だが、その面白さを話すは今回さておくとして


「和」なるもの、奥深し・・・というところでしめくくります


梯子は「見立て」て神輿となり、その上に何が見えるか、やがて梯子は大樹となる。白い装束の人々が歩くそれは、人生の「見立て」だ。我々は何に「見立て」られるだろう。





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