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ニーノ・ロータ

公演が終わったので師匠、レプリカントの佐藤香聲さんに挨拶がてら遊びに行く。今回は予定が立て込んでどうしても見ていただけなかったことが悔しくて仕方ない。劇場付きのカフェ「シュール」に伺って、佐藤さんのインスピレーションの源を探るべく本棚とCDラックを漁りまくる。特定支持者の多い雑誌「夜想」、シェイクスピアに関する書籍、寺山修司に関する雑誌、SF大全、アヴァンギャルド映画論、フェリーニ作品を多く手掛けている音楽家ニーノ・ロータに関する書籍が2冊もあって新たなソース発見に喜ぶ。プログレ音楽を再考する雑誌で自ら赤線を引いておられたので思わず注目・・・「ピンクフロイドの『原始心母』がロック界に与えた意義」、「プログレ音楽はブラック・ソウルからはじき出されたものである。その傾向として、欧州的、そしてクラッシック音楽への傾向が見て取れる」などという箇所が赤く線引きされてある。・・・ラックには今回客入れで使ったものと同じCDがあり、少なくとももう1枚私が所持しているものと同じものがあり喜ぶ。


色々と悩んでいることなどを相談に乗っていただき、演劇の形について現在考えていることを聞いてもらう。

近作も丁度過渡期であった時に、佐藤さんに電話して、なかなか皆にうまく説明できなくて悩んでいると「練習は週に一回にして、俳優に優れた映画、美術、音楽を聴いてもらって、その報告を受けなさい」というアドバイスをいただいた。日常からインスピレーションを得るようなハードな人生を送っている俳優は少ないのだから、演劇以外の芸術からも想像力を得なければいけない」ということだった。レプリンカントのメイン女優、結貴子さんからは「客の目線で台本を読む俳優ではなく、客の目線を越える台本の読み方をする俳優にならなければお金はとれない」といったアドバイスをいただく。


今回は我々の作品の未熟さが目についた。それはより高いところが見えるようになったという部分もある。演劇に対する捉え方を佐藤さんに話すと、それを今頃気付くのは遅いと言われた。この1年ぐらいは、偉大な作品との圧倒的差異に自分がものを作る意味まで考えたし、映画にせよ音楽にせよ頭を打つ作品を見続けた。しかし劇団を旗揚げたころの不勉強な自分だと、その素晴らしささを認識することすら不可能だったろう。忘れもしない旗上げて1年半ごろのことだ、私はコクトーの名前が分からず、誰ですかと聞き返したのだ。コクトーを知らない舞台人、ましてや劇作家など話にもならない。今でこそ顔から火を吹きそうな失言だが、その時は単純にきょとんとしていた。それから色々と勉強して、コクトーの作品は殆ど見たし、本も読んだ、彼のドキュメンタリーまで見たほどだ。そうして勉強して知識が深まれば深まるほど、知らないことの多さと、我々の作品がまだまだであることを知る。今回の作品は一番好きだが、満足度は一番低い。目標設定が高くなったためだ。

とはいうものの今回は俳優も大変な中、食いついてよくやってくれた。メンバーは以前より私が優れた作品だというものを見に行ったり、ブログの記事を参考に本や美術を見たりという努力をしてくれる。もともとまじめで勉強熱心だし素直なので吸収がはやい。藤はもともと美学を学んでいたし、吉本なんかは逆に教えてくれたりするほど幅広く興味を持っている。睡蓮はそもそものセンスがあるし、今回、松本も川内も未知のものへの容認という部分で発想に広がりが出ていた。こみたおも悪戦苦闘したせいか一段抜た気はしている。私こそ彼らの発想を超える努力をしなければいけないと俳優の成長を見つつ思う。


その後、維新派のメンバーがやっているバーが近くにあるというので飲みに行った。松本雄吉先生がいらして、ご紹介していただくと「レトルト内閣さん、知ってますよ。なんか面白いらしいですね。」「一度行きたいのですけどね」とおっしゃっていただいた。良いおじいさんとの印象の松本先生、何かの本で学生時代に女子トイレの汚物いれからタンポンを集めてタンポンの木のアート作品を作ったという箇所が思い出された。まだまだお顔にやどる想像力のとばしりが素敵だった。


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