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ゴドーを待ちながら

演劇史に革命をおこし、その新たな表現手法によってノーベル文学賞を獲得したアイルランドの作家サミュエルベケットの代表作。現代の演劇、演劇を越えて映画、ドラマですらもベケットの影響を免れない。



舞台には一本の木、ゴゴーとディディーはそこでゴドーと呼ばれる人物を待っている。ゴドーは誰なのか、何のために待っているのかそれらは終わりまで明らかにされない。二人はただ、待っている、二人はなんということもない会話をし、なんということもなく暇をつぶして待つ。二人は最後にこの木に綱でも吊って死のうかと相談するが、綱はにべもなく切れてしまう。二人は再びゴドーを待つことに合意する。ベケットのゴドーを待ちながらは批評家達の様々な解釈に荒らされている。待っているのは神だとか、意味もなく待つのが人生なのだとか、現在における意志薄弱な人間性とか、むしろ彼ら自身がゴドーなのだとか、哲学的見地から、神学的見地から、けれどもそれらの解釈が全て意味をなさないくらい舞台化においてこの戯曲は解釈を免れている。いささか滑稽で空しく、ずしりとした疲労の重みを持ち、見当違いな悲しみさえ醸し出し戯曲自身の持つ無償性を体現する。むしろ「ゴドーを待ちながら」は「何でもない」という世界の軽さと重さの背中合わせの「空気」だと思われる。


ベケットはアイルランドのダブリンで生まれ、パリに出てすぐに同郷のジョイスの仕事を手伝う。大戦中は抵抗組織の一人として戦い、戦後小説活動に専念する。母国語ではなく、あえてフランス語を使用して書いたのは、主語と述語と目的語がある明確な文体を嫌ったためと言われる。かくして、この整合のとれない、奇妙でいびつな文体は生まれた。


1926パリのアッパートを改造しただけの小さな小屋で上演、この何もおこらない舞台に怒って帰る客が続出、それが更に話題を呼び数年後には様々な言語に翻訳されヨーロッパ中に広がった。

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エストラゴン なんだいありゃ?

ウラジミール 木さ

エストラゴン いや、だからさ、何の?

ウラジミール 知らない。柳かな

エストラゴン ちょっと来てごらん。 首をつったらどうだろう?

ウラジミール なんで

エストラゴン 綱の切れっぱしかなんかないのかい?

ウラジミール ない

エストラゴン じゃあ、駄目だ

ウラジミール さあ、行こう

エストラゴン 待った、俺のズボンの紐がある

ウラジミール 短すぎるよ

エストラゴン 足を引っ張ってくれりゃ、いい

ウラジミール じゃあ、私の足は、誰が引っ張る?

エストラゴン ああ、そうか

?

?

エストラゴン こんどは何をするかな

ウラジミール わからない

エストラゴン もう行こう

ウラジミール だめだよ

エストラゴン なぜさ?

ウラジミール ゴドーを待つんだ

エストラゴン ああ、そうか。



安堂 信也, 高橋 康也, サミュエル・ベケット
ゴドーを待ちながら

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