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エスター・カーン めざめの時

 現在最も注目されている仏監督の一人であるアルノー・デュプレシャン。トリフォーをはじめとするヌーヴェルヴァーグの監督らの血を受け継いだ繊細な恋愛映画を作る。トリフォー再来と呼ばれることもあるデュプレシャンだが、見たところ心象表現を過ぎ行く風景のように描く監督ではなく、もっと人間の心の裡を深く描きだす監督という印象だ。むしろ、そういった意味では古典的で、また作品にはアメリカ、イギリス、北欧映画の要素がある。この作品の舞台となる場所が19世紀末イギリスであり、劇中劇としてイプセンのヘッター・ガブラーがあり、また主人公の女の子は貧しいユダヤ人地区の少女である要因もあってか社会の裏側を描きつつも、一人の人間の心にある機微に絶大な信頼を置いていて捉えるとの印象だ。この作品を見て同じく思い起こすのは、アメリカの古い映画であり、18、19世紀の古典文学であり、イプセンやチェーホフといった不条理という感覚が世にとって変わる前の古きよき劇作家たちだ。

 主人公のエスターはイギリスで暮らすユダヤ人の少女。姉はいつの日かパレスチナに移住することを夢見ていて、暮らし向きは決して楽ではない。エスターは女優になるという希望を持ち、オーディションを受け小さな役からのしあがってゆく。エスターはすぐれた老優の指導を受ける機会に恵まれ成長していくが、ただの貧しい少女であり恋も充分にしたことのないエスターには足りない点があると指摘される。エスターは好事家であり舞台の脚本家でもあるフィリップ・ヘイガードを恋愛相手として選び、関係を結ぶ。ヘイガードはエスターの演技に芸術的な要素を加え、洗練した女優へと導くが他の女に目移りし、エスターを捨ててしまう。エスターは自分の顔を自虐的に殴り、割れたガラスを口の中に入れて噛み砕くまでの激情で出演を拒否するが、なんとか舞台をこなす。女性として狂おしい感情の反目を知り、乗り越えていくエスターの力は演技に足りなかった部分を補ってあまりある素晴らしい表現を生み出したのだ。最後は再び交際を申し込むヘイガードを罵倒するシーンで終わり、カメラは今だ心の痛みの消えないエスターをうつしている。


エスター・カーン めざめの時



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