刺繍草紙

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stop the ///

ここ数日、私の周りで色んな人が泣いたり、苦しんだりしていた。一方で、微笑んだり、小躍りしてる人たちもいた。それで私はなんとなく流転する世界を止めるでもなく、かといって流されるでもなく、レコードを抑える針のようなポジションで冷たく屹立して、黙って世界の盤面を見つめていた。ひたすら違和感の中にいる。もちろん波のようなものが何度かやってきて、多少の言葉と行動とが必要とされるような時もあった。

この週末、いつも本当に良くしてくださるファンの方にシャンソンに連れていっていただいた。シャンソン歌手の市原さんは、実は私の母校、関西学院大学のOBにあたる方で女優から転身して歌手になられた。市原さんは女優だからか情動を突き放したように歌うところがいいと思う。シャンソンといえば、友人の海音が遠くフランスから便りをくれて、そのことが歌声に重なった。

最近、パリのオペレッタ映画などを観たりしてフランスのことを思い出したりしていた。巴里の、照り映えるセーヌの、ルノアールの、キキの、ルーブルの、ニケ像の、ユトリロの、コクトーの、シャネルの、モンマルトル、モンパルナス、ポンヌフの、カラックスの、目のない絵、シャンゼリゼ、エッフェル、革命広場、凱旋門。脈絡もなく、考え出すと随分と長い間、閉じ込めらた蛾のようなイメージが、躍り出てくる。どれも気が狂っていて、窓にぶつかったり、壁にぶつかって、鱗粉を散らして、いとも簡単に体液を垂らして、だらしなく尽きたり、もしくは飛び去って片鱗もなくなってしまう。そんなイメージの散乱って誰にでもあるのかな。なぜか巴里のことは忘れられない。


シャンソンに行った後は、倦怠アヴァンチュールにも来ていただいた、新地のクラブのママさんのもとでお酒をいただいたりなんかした。彼女の目に映る世界は、私のそれよりももっと万華のようなものなんだろう。

しょうもないコピーを思いついた。

世界が今よりおかしくなったら、歌を作ろう。その時は私が世界だ。
白色テロルは3/28(木)20:00~、梅田am hallです。
白昼夢を見たい方、中でもとりわけ精神と髪型の不安定な白昼merにお勧めです。



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関大

所用あって佐伯に会いに関西大学まで足を向けた。阪急の北千里線に乗って、見慣れぬ夜の街を行過ぎて、関大前で下車し、人気もない校門前で佐伯を待っていると何やら心細い。電話をすると「そこは高等部入口なんで、大学前まで来てください」と言われた。そういえば・・関大の通学路ってもっと賑わっていた印象だったわと思いながら、千里山キャンパスまでの道を、こっちあたりかな・・と目星をつけて登っていくと、うわーーーーーー。道を折れるといきなり出現するギラギラのネオンサイン、ラーメン屋に、飲み屋、鳥貴族、似非バンガロー風のバーだとか、異国風を装ったレストランに、がっつり飯を食わせてくれそうな定食屋。なんかステゴザウルスの背びれのついた背中をイメージして見てよ。背骨が千里山キャンパスへのゆるやかな山道で、そこにグサグサ差し込まれた背びれがお店。灯るラーメン屋とか不動産屋、飲み屋、本屋。私はもう尻尾の先まで、ストレンジャーで、異邦人。ここはマカオとか香港とか、大阪の小アジアみたい!

窓という窓から、扉という扉から若い男とか、若い女の声がゴムボールのようにうはうは這い出してきて、勢いよくぶつかってきて、その姿態たるや猥雑で、はしたなくって、坩堝で・・・ここで暮らす学生はちょっと人種が違って、きっと平熱40度ぐらい。女の尻の形とサルトルのマロニエの木の形が同じ深刻さで悩ましく、∞のループで語られてるんだろうな~と妙にドキドキ。キャンパスの正門前で待っていると、夜の関大は掘り起こされた古代のギリシャの遺跡みたい。昼間の賑やかさがごっそり石に閉じ込められている。

佐伯が遠方から駆けて来てくれて、また夜のキャンパスを星ごとトリミングしたみたい、私が右も左も分からない新入生なら、間違いなく佐伯先輩が好き、って説得力。あまりに知らん人のようでほんの二言三言交わして、用事をすませて挙動不審に別れる。そして佐伯はまたカオス・パーティーの純血種ような笑顔を貼り付けて、キャンパスへ消えていく。

ステゴザウルスの背びれの中腹には「東大」って名前のラーメン屋があった。何のコンプレックスの想起?それとも、東大なんて豚の足を一緒に煮て、食うてやれっていう嘲笑?私は思わず、東大に入って、ラーメンを思いっきりすすりたかったけれど、またもやニキビを浮かべた若者軍団が、店内で汗を浮かべてふうふうしたり、すすり上げていたので、度胸が持てずに東大の前を通り過ぎた。東大をお膝元に置く関大よ、恐ろしや。

駅前のBOOKOFFではなんと廃盤の名雑誌スタジオボイスが300円で2冊も置いてあって、吉田修一の本が100円で売られていた。ビバ関大。素晴らしさといえば、関大の学園座の学生たちはレトルト内閣の舞台に平台を貸してくれ、どしゃぶりの雨の中、積み下ろしを手伝ってくれたそうだ。

久々に学園座の舞台を見に行こうと思った。そういえば、私が昔関大で見た作品は「極楽トンボの終らない明日」だったように記憶している。中身は全く覚えてないけど、私の中の関大って極楽トンボの終らない明日みたいな大学だ。

白川の

ふっと後ろを向くと、顔面を巾着のように皺皺にしたひどい形相で疲労が追いすがってくる。振りほどいても、振りほどいても、全速力で走って逃げても、そいつは追いすがって、肩にまとわりついて背骨を丸くし、足にくっついてなまりのようにして、腕にぶらさがり、頬をひっぱり、首を絞めて蹲らせる。若い頃、バーのマスターに「若いのに疲労がある。貴方に疲労がなければ、才能豊かでどこへでも行けるのに」といわれたことがある。その時、あまりにもその通りだと思ってマスターのどんぐりのような目をまじまじと見たことがある。そうして私の人生はいつも疲労との戦いだ、鬼の形相の、しかし顔のない、灰色の、泥の、粘着質の疲労。

「さらばアイドル」から「金色夜叉オルタナティブ」まで舞台美術家としてレトルト内閣の作品創りに大きく関わってくれた西條の卒業展を見に行った。西條は現役の美大生でこの春卒業となる。ちょうど、公演が終ったら現代美術を見に美術館に行きたいと思っていた。200点以上あるという若いアーティストの迸りのようなものを見ていると背中にたまった疲労がぽたぽた落ちて、いつも共にある心地よい疲労とだけ手をつないでいるような気分になった。西條の作品は、彼女のプライベートの日記や観劇・拝観チケットや趣味である写経ノートの切れ端がコラージュされたようなものだった。大竹伸朗をふと思い出したけれど、もっと真摯で真面目で、写経のせいか妙に葛藤と悟りが同居しているように見えた。彼女の中にある渦や竜巻や井戸や空や浜辺が覗けた。

彼女は彫刻科だが、他のデザインや漆工、日本画、油絵、版画、修復、染色など順番に見てまわり、楽しい気持ちになって京都市立美術館をあとにした。平安神宮に行って、神宮の広大な造園を散歩して、白川から鴨川に戻り、先斗町の料理屋で鍋をつついた。

昔、喫茶店に篭って文章ばかり書いていた。2時間でも3時間でもずっと書き続けられた。
そのうちあまりに自慰的すぎる行動に嫌気がさしたけれど、また書いてみようと思う。
道化になれば、疲労は失せる。冬。

今後の予定

今後の予定です。


●3/28(木)「白色テロル」@am hall
梅田am hallでワンマンやります。

ドラマーの初夏が東京に行っていた間、リズムトラック担当してくれたshinomyさんがゲストで出演してくれます。
第1部は初のエレクトロな白色テロルワールドに挑戦します。
第2部は御馴染みの初夏がリードするバンドサウンドでがっつりとやります。
計10曲以上、白色テロルの集大成とも呼ぶべきライブです。

これを機に一旦白色テロルとしての活動はピリオドです。
白色テロルは私の最も愛する場所であり、友達であり、仲間であり、拠り所でもあります。
口下手な私にとって、サウンドを介して直感的にメンバーと繋がれる心地よさや歯がゆさというのは
なんとも表現しきれない愛情にも似たものです。
バンマスのムッシュに音楽の深さを教えてもらい、新城と前ドラマーの山崎と女優だからこそ展開できる
物語性のあるライブをやろうと、台詞でも歌詞でもない散文的なテキストでオリジナルのライブ世界を開拓してきました。ギタリストの奥野とは下手な素人バンドやろうとスタートした時からの間柄で創立時から支えてもらいました。
新しく初夏をドラマーに迎え、音が洗練されたものになっていく過程は気持ちを新たにさせました。

私にとってはボーカルの高依がファムファタルで、彼女のために一つ作り上げたと思える作品世界と、
私の曲作りや演奏の限界と、そしてまた再びスタートすることで、メンバー全体に訪れる新たな展開を期待するものです。
3/28は是非、アムホールへお越しください。
※当日の詳細は随時、更新していきます。


●3/22(金)-24(日)
「眼帯のQ」@ 藝術中心◎カナリア条約(北加賀屋)

台本 三名刺繍×演出 佐藤香聲

performes 栃村結貴子(銀幕遊學◎レプリカント)、山田まさゆき(突劇金魚)、アフリカン寺越(劇団IQ2000)
、福田恵(劇団レトルト内閣)

「テーブルの上で、世界の最小単位で、レールは敷かれ、電車は走る。テーブルの上でどれだけ走っても、味噌汁からコロッケぐらいまでしかゆけない。私は今日、死亡した。」(「眼帯のQ」テキストより)

佐藤香聲さんは私の師匠にあたる人だ。色々とトラブルの多い方ではあるが、私は彼がいなければ、演劇の意味について、ただ日常を逃避し感情を吐露する場所ということ以上のものは見出していないように思う。ただお互いの客席を行き来するだけの小劇場、助成金のちらつき、収益やお金やマスの尊大な顔、人材不足、才能不足、時代的古さ、毎日のように行われ次第に視界が狭くなっていく稽古、そんな耳を塞ぎたくなる現実のしがらみから発想を逃れ、演劇が何にもかえられない藝術であり、そうあるべきであるという信念が、苦労を飛ばし、どこか心の奥底で自分を支え続けているのは彼のおかげと思っている。
佐藤さんが「全く自分の書きたいように書き、出来るだけ多くの人に迎合されないようなものこそ書いて欲しい」と言ってくれたので、執筆スランプの昨今、わりと労せず書いた。結果、私はこの台本がとても良く書けているようにも思っている。また佐藤さんがこの台本の一言一句を非常に尊重して演出してくれるのも、素直に嬉しく、また演出家として尊敬できる。

(レトルト内閣からは福田恵のみの出演になっています。)

タイトルは私と佐藤さんが寺山修司が好きという共通項により
「眼帯に死蝶かくして山河越ゆ」という修司の俳句から引用しています。
Qはまぁミステリアスで多重の意味を持たせております。






EDEN

「倦怠アヴァンチュール」に映画「EDEN」の出演者の方が観に来てくださった。
同じニューハーフを扱った作品ということで、興味を持ってくださったようだ。
私の方も、同じ時期に公開されている、この映画がなんとなく気になっていた。
ご丁寧に挨拶くださって、色々な方にお勧めしたいからとチラシを置いてかえってくださった。


eden_pic.jpg


山本太郎さん主演ということで宣伝にご苦労されていると聞いて、
私も協力させてもらいたいなと思ったのでここに紹介させていただく。
山本さんは素敵な俳優なので、こうして活躍の場があることが嬉しく、多くの人に見てもらいたいと思う。
とはいって・・私はまだ作品を見ていないのだけれど
(どうしても日々のスケジュール的に夕方の上演時間に間に合わず、
七ゲイに冷たく「途中入場お断り」と言い放たれたためだ・・)
「倦怠アヴァンチュール」のステージを観て、一歩彼ら(彼女ら)の傍に寄り添ってもよいなと思われたあなた
、次は銀幕へ!


大阪では
十三の第七藝術劇場、九条シネ・ヌーヴォーで上演されている。
どちらもマスに迎合しない気骨あるミニシアターの老舗だ。
知り合いの話ではハンカチを用意して、シアターに赴いた方がいいとのことだ。
私も最近、どうも鬼の目に泪なのでハンカチを片手に行くことにしよう。


(以下、公式サイトより)
多くの映画ファンに惜しまれつつこの世を去った名優、原田芳雄がかねてから温めてきたという船戸与一の傑作短編小説「夏の渦」(短編集『新宿、夏の死』を映画化した作品である。原作は発表当時から熱狂的なファンを生んだが、登場人物の殆どがニューハーフもしくはゲイの為、日本での映画化は不可能とさえ云われてきたが、『月はどっちに出ている』『KT』『パッチギ!』『フラガール』他、多くの傑作を創りだしたプロデューサー、李鳳宇が製作にあたり、『パッチギ!』『フラガール』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞をはじめ数々の賞を獲得した羽原大介が脚本を担当した。

また、監督には、永きに渡って井筒和幸監督や崔洋一監督の作品の演出部として数々の傑作の誕生を側で支えてきた武 正晴があたった。徹底的なリハーサルを重ねて撮影に臨んだ本作は、コミカルな展開ながらも、マイノリティに対する温かい視線を感じる深い人間ドラマに仕上がっている。

舞台となるショーパブ「エデン」の華やかなミュージカルショーは、実際の新宿二丁目のクラブで行われており、映画に圧倒的なリアリティーと艶やかさを加えている。全編を優しく包み込む豊潤な音楽は、イ・ビョンホン出演の『悪魔は見た』や昨年韓国で大ヒットした『トガニ~幼き瞳の告発』等で注目を集める、韓国映画界期待の才能、MOWGが担当している。また、挿入歌には、あの名曲「赤いスイートピー」や80年代のアメリカンポップスのシンボルである、シーナ・イーストンの「モダンガール」が使われていることも往年のファンには嬉しい驚きを与えている。

http://sumomo.co.jp/eden/

ホリデイ

放電したり、充電したり、停電したり、電子の粒は血管を泳いでます。

久々に京都の四条大通りをぶらぶらと歩き、ショッピングなどをしながら、京都芸術センターに向かいました。
京都芸術センターは小学校を改築してアートスペースとして解放している建造物で、
とある教室?ではインスタなどの展示がなされていたり、カフェスペースがあり、アートに特化したスペースがあり、ちいさなアートを日常的に喜びとしている京都ならではで、こういうスポットが大阪にもあればと思います。

視聴覚コーナーでカナダのパフォーマンスカンパニー「LA LA LA HUMAN STEPS」の過去の映像作品を鑑賞して、
官能的な絶技バレエに見入りました。


その後、地案さんにご案内いただいた、日仏交流事業の「フラメンコ&舞踏」の実験的な作品を見せて頂きました。
あの白粉のむせかえるような香りは舞踏独特で、神事を思わすなぁ。あまりの静けさと薄暗さに睡眠…。
「大丈夫、芸術的な実験作品は好きだから」などと言っていたのに、非常に気まずい。
チープなエンタメ性がないと楽しめないのか、と反省。
ちなみに会場は鳴り止まない拍手、口笛、…。舞踏は神の領域なのか、私にはまだまだ勉強不足だった。
しかし、フラメンコダンサーやギタリストも舞踏手も楽しそうだったなぁ。
http://www.kac.or.jp/events/1809/
昔、台北との交流事業で、台北のダンサーに「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の区分を説明するのに苦労したことを思い出しました。台北の歴史的な話にも触れて、文化が違えばまるで違う感性の人たちがそこにいて、一緒に作品を創造するのにこんなユニークなことはないと感じたものです。


その後、ひとっとびして大阪へ。nuthingsのabkn set japan tour 2013へ。
aoeさんに一押しされたのに、行った頃にはaoeさんのプレイは終了。
ごめん。けれどその後のセットも強力なもので、アーティストに個性があり、楽しめました。
特にAOKI takamasaさんのサウンドは、テクノなのに一気に草原を駆け抜ける奔馬のようなスケール感があって、その豊かさに心が動かされた。また聞いてみたい。
ラストセットのNHKさんも不意打ちをくらうリズムパターンの細かい変化が効いていて、玄人らしいダンサブルではない媚びなさが良かった。久々のnuthingsの強力なセッティングはパワーをもらった。
http://nuthings.wordpress.com/2013/01/15/2013%e5%b9%b42%e6%9c%8810%e6%97%a5%ef%bc%88%e6%97%a5%ef%bc%89-abkn-set-japan-tour-2013/

ちなみに阿木さんは非常に速いペースでブログを更新されていて、ファンとして嬉しいが、難解で解読追いつかない。
http://agiyuzuru.wordpress.com/



ご来場ありがとうございました

「倦怠アヴァンチュール」無事に終演いたしました。
ご来場くださったお客様、ありがとうございました。
今回も多くの方々に支えられた公演でした。
当たり前なことですが、一人で作品を作り、発表できるものではないことをつくづく感じました。

公演が終って、ホッとすると一気に気が抜け、伸びきったゴムのような体たらくでおりましたが、
ゆとりが少し持てて、いくつかのテキスト、音楽、小説、映画などに目を通すと力が戻ってまいりました。

あらためて虚構が現実を支え、現実が虚構を支えている、マッチ棒仕立てのジャングルジム
みたいな、この自らのバランスの不思議について思わずにはおれません。

霞は食っていませんが、夢、幻の類はビタミンCと同じぐらいには、身体に必需なのかもしれません。

と・・・何の話でしたでしょうか。
お客様と関係者皆様にお礼が言いたかっただけなのです。
ありがとうございました。

http://www.retoruto.com/aventure/index.html

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