刺繍草紙

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サンタルチア

昨日ようやく、明かり、映像、サウンドの最終打ち合わせが終りました。
慣れたメンバーだけに、充分な説明がなくともなんとなくイメージが通じ合っていて、久々このチームにわくわくします。といってもいつも場当たりで喧嘩、罵詈雑言なんですけど・・。初日からクレイジーなスタッフワーク目指します。

ところで倦怠アヴァンチュールのテーマ曲の中に「サンタルチア」という単語が出てくるのですが、なぜ私が歌詞にサンタルチアなどという言葉に惹かれたのか、それについてふと思い浮かべてみました。イタリアの代表的なカンツォーネ「サンタルチア」。何か私は倦怠アヴァンチュールにサンタルチアのイメージを重ねているのだと思います。紺碧の地中海、警笛が鳴り響く港町、やってくる人、旅立つ人、留まらないもの。ギリシャ彫刻のように美しい肩を持つ荒くれた海の男たち、危険を背中に一夜限りの女たち、朝が来れば去ってしまう男、戻らないかもしれない男、酒のにおいが充満する居酒屋で、異国の話に花を咲かせて騒いでいる。そんな華やかで粗野で、冒険に溢れた寂しい地中海の、サンタルチア。

倦怠アヴァンチュールは大阪の街を描いていますが、私の中に大阪、サンタルチア観というのがあるのかもしれません。倦怠アヴァンチュールは大阪を離れて戻ってきたときに書きました。場所への思いというのは離れてそして始めて、分かるものです。恋とおんなじかもしれませんね。倦怠アヴァンチュール以降、私は大阪の街に独特のイメージを持つようになり、とても好きになりました。


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Because・・

風が針みたいに痛いですね。冬。

昨日も帰ってからあたりの雑誌をひっくり返したり、ネットをみたり、Aoeさんの音楽を聴きなおしたり
しながら、倦怠アヴァンチュールの音楽的な変化を求めて旅をしてました。

なかなか糸口がなくて、次はイメージの強い名曲を頭の中に思い浮かべたり聴いたりしていました。
稽古で初夏と「いつもの昭和名曲シリーズをどこかに入れたいですねよね」という話もしていたりして、
いまや劇団内で最も音楽的なイメージを持っている初夏の意見も参考に聞いたりしてました。

いつも濃いイメージのついてしまった音楽を逆手利用したいという目論見を持ってます。
それはキューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」の強姦シーンでアレックスが「雨に唄えば」を口ずさんで踊っていたから、「フル・メタル・ジャケット」で「ミッキーマウスマーチ」にあわせて銃弾の雨の中を戦争行進していたから。舞台では、ケラリーノの「フローズンビーチ」で「さそり座の女」をバックに殺人が行われたから、ベジャールがクイーンの「Iwas born」でバレエの振り付けしたから、思いもよらない音楽の使い方は私の後頭部を綺麗に打ちのめしてくれます。

作品のことを考えているとふとパティ・スミスのことを思い出しました。細くて折れてしまいそうな肉体、繊細で激しい歌詞、ボーイッシュでフェミニンな佇まい、昔良く聴いていたのですが、さほどロック好きでもなかった私に、彼女の何がそのような私の基盤に作用したのか、・・ランボーとか、ギンズバーグの香りとか、そのファッション、スタイル・アート・・でもその答えは「ない」ということがきっとそのアンサーなんだと思う。


とりとめもない話でした。
ありがとうございます。「倦怠アヴァンチュール」、2日昼完売です(当日券あり)。





倦怠アヴァンチュールはもうすぐ!

久々更新!

倦怠アヴァンチュールも佳境です。
初演の頃と比べると骸骨のようにがらんどうになってしまった気持ちにあわせて音楽や演出を考えていたら、俳優から音が助けてくれないと怒られて、ふっと気づくと私自身が随分弱っているのだなぁということに今更ながら思い至る訳です。日々のうまくいかなさや、限界やら、メンバーの移り変わりが辛く、今日が来て明日が来なければいいのに・・など思っていると本当に疲労という服を着て骸骨のように街をうろついている自分が不気味でもあり、その世界を具現化したいと努力するのは深い井戸を掘る徒労のようです。

改めて台本を読むと、昔の自分は反骨があって・・・あぁ倦怠アヴァンチュールって「不自由なものへの賛歌」だったなぁ、祝祭感と開放感が要るのだなと気づいて、色々と演出プランを練り直しております。

今日、練習帰りに佐伯と歩いていたら、佐伯が「劇団っていいですね」とボソッと言ってくれて、それで嵐がごうごう吹いて、空も星も落ちてくるかと思うほど嬉しくなりました。入団当初は、台詞は呂律がまわらなくて何一つ聞き取れないし、責任感はなくて遅刻と欠席を繰り返すし、じっと舞台上に立っていることが出来なくて挙動不審に揺れていただけの佐伯が、今は良き相談相手にもなり、俳優としての安心感と魅力を備えて、他の俳優にアドバイスしたり、自主的に練習したり・・そんな様子を見ていると、何かやってきたことが無駄じゃなかったという気持ちに喜びを感じます。


というわけで、残り数日をパワーアップして過ごします!怖がっているのはいつも枯尾花。
俳優もスタッフも全力追い上げで色々なことが着々と仕上がってきています。
だけどいつも、破壊のための創作なんて・・太宰かぶれのオタクみたいですが・・・
きっと皆さんに祝祭の「倦怠アヴァンチュール」がお届け出来るでしょう。

Take me Out

Franz Ferdinand 「Take me Out」の歌詞について、長い間勘違いをしていました。勘違いと分かってからも気に入ってその歌詞で口ずさんでしまいます。

勘違いした想像の詞は

so if you are lonly
so maybe…,the reason SHA-RA-RA-RA
(あなたがLonly,寂しい理由がSHA-RA-RA-RAで)

・・・。本当は全く違う歌詞ですけどね。
勝手に妄想いして、いいフレーズだと思ってました。

孤独の訳など、SHA-RA-RA-RAで、笑い飛ばす、SHA-RA-RA-RA、口笛を吹くSHA-RA-RA-RA、吹けば飛ぶSHA-RA-RA-RAですよね。

私が初演の「倦怠アヴァンチュール」を書いた時も、非常に辛いことが重なった時期でした。一歩歩けばメキメキ音を立てて地面ごと割れて堕ちていきそう。でもそんな時に、こんな明るい戯曲を書いたのは、今思っても意外です。欠落も、フラジャイルも、だから強くなれるぐらいの爽快感を持って、なんとかこの状況を笑い飛ばしてやろうと思っていたのかもしれません。大騒ぎして、たいして何も得られず、だけど「だから,何?」みたいな開き直りの戯曲。

そしてまた今回も、前回のような大きな出来事はないけれど、じわじわ襲ってくる常ある落下感の辛さの中に、またこの作品を再演するという因果を感じます。上演するに辺り、ゆっくり襲ってくる悲鳴みたいな不安を入れようと思って、書き直しました。女の子も沢山出てもらって、いずれ散り逝くけど、花の綺麗みたいなものが透けて見えるようにしています。パンクな作風から、ノイジーで混乱した今の世界へ。

まぁ、人はいつも影を抱えて生きているけれど、俯瞰の都会にそんな理由はSHA-RA-RA-RAですね。








謹賀新年

謹賀新年 あけましておめでとうございます。

鯛をつまんで、ごまめをつついて、餅をいただいたら、初詣もせぬまま、もう七草・・、
師走がすぎてゆっくり・・と思う間もなく、慌しいですね。

何に迷い、何を恐れているのかも分からぬまま、目をつぶって人生が過ぎてゆけば
これも幸せ(まぬけ)として幸福の一部に数えられるでしょうかね。

そんなことをつれづれではないのに思ったりなどして、
まぁ、本年も忘却のために生き・・用事を詰め込み、沈むまでは・・
といったところで

本年もなんとか生きてゆけるかしら?
皆様の健康をお願いしつつ
よろしくお願いします。

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