刺繍草紙

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Meets@nuthings

Meets@nuthings

Date
12/15(土)18:30-21:00

18時 OPEN
18:30 START

あうんともこetc.
S.F.NoiZe×地案
万実×わたる×tateyang×扇芝智也
Kentai Aventure

1500yen(inc 1drink)

問い合わせ nuthingsjajouka@gmail.com


パフォーマンスからサウンドへ、サウンドからドラマへ、ドラマから最果てへ。
白壁の小さなBOXで、サウンドに触発されてあなたが、未知の空間と遭遇する。
大阪発信のミニサロンnuthingsがそんな場所であればいいと思う。
音楽を基軸にビジュアルにクロスオーバーするカンパニー及びユニットによる作品群。

是非いらしてください。


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イベントのお知らせ

三名です。リハ3日目・・・、技術のある人たちで作り上げるショート作品だともう明日本番なんてこともありえる日程ですね。オーディションのメンバーはキャリアは少ないものの、面白い個性ある方々なので、魅力を引き出せるようにやりたいなぁと思っています。一緒にやりたい!って思うのですが、なかなか年齢に開きがあったりして、ワークショップや授業のような展開を見せるようなところが悩みです。若者ことば、勉強しようかなぁ・・、いや別段同世代ともうまくやれるわけじゃないけど・・・。

ところで最近、イベントをやらせてもらったnuthingsが刺激的で、ホームのように感じている私です。新しい音楽やアートというのがこういうスポットから発信されていくのだなと、大阪にそういうスポットがあって、自分がそこにいる人や雰囲気に刺激を受けたり、愛着を感じるというのはかつてなかった経験です。以前、関西の演劇シーンを支えてきたOMSが亡くなった時、発信地がなくなることへの危機感を訴えるシンポジウムのようなものが開かれ、京都の鈴江さんという作家が、根本は「自分たちのスポット(劇場)への心の問題である」と訴えていたけれど、その時、政府の助成、企業の助成、メディアの関わり、といった偉い人の理詰めの言葉より言葉より、鈴江さんの言葉が心に響いたことを覚えてます。

まだ詳細は未発表なのですが12/15(土)にnuthingsでVisual×Musicのイベントをやる予定です。「9」で一緒にやってくれたmilklotusに協力してもらってミュージシャンやパフォーマー3-4グループによるライブを行う予定です。今回はレトルト内閣の倦怠アヴァンチュールチームから、公演のパフォーマンスシーンを中心に展開される作品を行う予定です。皆さんにメンバーのお披露目も兼ねて、倦怠アヴァンチュールの不思議な世界を覗き見に来ていただければと思います。

12/5(土)@nuthings
Visual×Music Theater(仮)








いよいよスタート

三名です。いよいよ来年度2月の「倦怠アヴァンチュール」のリハーサルがスタートしました。
初夏も帰ってきてくれて、心強くなりました。
新しいメンバーがどんなセンスをみせてくれるのか、それが楽しみです。

夜に帰っきて、軽く食事をとりながら、映画を10分、15分観るというのが、忙しいリハ中の楽しみです。
作品を作っている間に観る映画の方が、作っていない間に観る映画よりもハッとします。
忙しくなって、忘れていることにふと思い至ったりします。
演劇をやっていて本当に良かったなと思えることの一つは
絵を観たり、音楽を聴いたり、映画を観たりしたとき、フィードバックできるような生き方をしているということです。より豊かに味わえることは良い家に住み、良い服を纏うことみたいに、特権階級的贅沢だと思う。

今はエドワードⅡをもう一度見直しています。1度みて、あぁ、もう一度観ないとと思って見返しました。
デレクはゲイの監督で、作品もゲイが一つのテーマになっています。なんとなくこういうセクシャルマイノリティなことって関心があります。デレクはそれとは別にクレイジーな作品を作る監督ですけど。ゲイの作品で一番、いいなぁと思うのはやっぱり「ブエノスアイレス」です。あとは「太陽と月に背いて」レズビアンを扱った「バウンド」もいいですね。

さて演劇でいえば「女中たち」か「倦怠アヴァンチュール」というのを目指して頑張ります。

特設サイトOPENしてます!!
http://www.retoruto.com/aventure/index.html




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ハロー、グッパイ

三名です。バスタブに浸りながら、「軽蔑」のことをじっくり考えました。人が敬意や好意から突然、軽蔑に変わる目の経験をじっくり思い出して、ゆるくお湯のナイフで胸を刺していくような遊び。どうして私はこんな「軽蔑」のことをかくもよく考えてしまうのでしょう。

時折、Aさんから「軽蔑」されてるのかもしれない、あの時、Bさんに軽蔑されたのかもしれない・・・と考えます。変化の目は疑いようもなく捕らえられるけど、文章や雰囲気で媒体を間に挟んだ「軽蔑」はどちらかというと私の「コンプレックス」である可能性が大きいかもしれない。

軽蔑されることは怖いけれども、もし私が軽蔑の目を周囲に向けてるのだとしたらなんて醜いんだろう・・だけど私はそんな記憶がいっぱいある・・・ああ、でも無関心の目よりましなのか。ああ、こんなことにとらわれない人というのは世の中にいっぱいいるんでしょうね。上とか下とか、ああ嫌だ・・・まるとか、さんかくとか、ひしがたとか、世界に一つだけの花みたいなダサイんでいい。

幸せというのが何かは分からないけれど、間違いなくこういうものから逃れていることも幸せの一つと確信できる。

突然だけど、さよならだけで構成された歌詞を書きたい。

さよなら
さようなら
さよなら
さようなら

ではさようなら
さようなら
また
さようなら
左様、左様、左様、ならば
さようなら

ビートルズの歌にこんな歌詞があったなぁ・・・ボクはハローって言ってるのに、君はグッパイって言う。
ボクはハローって言ってるのに。

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