刺繍草紙

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本日、ABC春の文化祭

友人がまた一人いなくなった。久米島という遠い沖縄の島に行ってしまうのだ。

那覇から、フェリーでなんと、4時間も要する。二枚襟がついたブラウスを買う洋服店も、近江製薬のメンソレータムリップが98円で山積みされているドラッグストアも、アジアンカンフージェネレーションが聞けるCDのレンタルショップも、5分でお湯が沸くティファールポットが買える電気屋もない。もぅ、ヘミングウェイを入手するにも困るし、生理用品だって島外から来るものは高い。

そんな遠いところへ行って、神戸にいたころのお洒落心をすっかりなくしてしまったり、ハブの饗宴の餌食になったり、大きな海がめにさらわれたりしたらどうしようと思う。
魚を採って生活するはいいが、釣り糸1本垂らして、浜辺にちんまり座っている姿を想像すると、
女の子ひとり、もう小さな背中すぎる。

私は口下手なので、色んな物語を語りかけてくれる人としか、結局、長い時間いることが出来ない、という欠点がある。物語を語れる人は、物語に耳を傾けられる人でもある。そんな貴重な友人が、どんぶらこと、遠い海の向こうへ旅立つ。何時のころからか、こころを通路にして「こんにちは」と開いていった世界が、「さようなら」と次々閉じられてゆく。通路は徐々にふさがり、貝殻になって深海に沈んでいくんじゃないか、と思うほどだ。いつか本来あるべき場所へ、人は戻っていくとすれば、私にとってのそれが深海の底なら、到底寂しい。

花に嵐のたとえもあるさ、さようならだけが人生だ

今日は「ABC春の文化祭」に参加して、私にしては、ちょっと楽しいストーリーをやるから、通路を全開にしていよう。皆さん、ちょっと奇妙な私たちレトルト内閣に、会いに来てくださいね。私はこわごわオープンです。

http://www.retoruto.com/event/abc2012.html

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ギター、来た

春の文化祭のリハに行ったら、伊藤えん魔さんがいらしていた。
いつも黒いTシャツをお召しだから、そこから伸びる二の腕が白すぎる。
災いと福をいっぺんにもたらしそうな、複雑すぎる微笑。
お顔をみたら、なんだかホッした自分を発見し、驚き。
演劇界の大御所にどういうことだ、これ。

いやぁ、本当は泣く子も黙る厳しい演出家ですけどね。
実はへビィーな時に声をかけてくれたり、お世辞を言わずに率直にアドバイスしてくれる優しい方です。

春の文化祭は「レトルト内閣」のすぐ後なんで、楽しみにしていてください。

そういえば、目にしただけで、頭がジョアン・ミロ化しそうな、変な小道具をいっぱい引っさげていました。
世界が映りこむぐらいぴかぴかに磨きこまれた、黒光りするギブソンギター、爪弾いてましたよ。(ネタバレだったら殺害されるなこれ・・、証拠一つ残さず、眠るように、さっくり殺られるだろうな。ある意味ハッピーな末期か・・)

猫も杓子も、早弾き時代の申し子のらしいクールな爪弾き・・楽しみ。
そういえば、リハされてたスクエアさんもギター片手にスイングされておりました。
我々の作品も驚くなかれ、奇妙な楽器で、クールなギタープレイと、月ほど離れてやりますゆえ。









泥沼クッキング

ライブのご来場ありがとうございました。怒涛の中で闇ジブリライブは終了しました。今後とも白色テロルをよろしくお願いします。

さて、よしながふみさんの「きのう何食べた」という漫画をお借りしました。独身、彼氏持ち、弁護士でゲイの渋中年おやじが、日々作る、ごく素朴なおばんざい、を紹介する作品です。風にたなびくこいのぼりよろしく、当節吹く風に感化され易い三名は、「やっぱり、日々の暮らしを大切にせねば。コンビ二のおにぎりなどを買って食べるなんて、女として、さて日本人として、はて人間としてよろしくないわ。口にする素材が顔に体に出るじゃないの、そうだ、ちょっとここに掲載されている料理が美味しいかどうか検討してやろうじゃないの」と思いつき、スーパーにいそいそと走りました。

ずしりと重い「きらら」を1キロ、洗いゴボウを2本、日本産のシャケを二切れ、シメジを一株、イカの短冊切り、オクラを買って来て流しに並べました。米をセットするとゴボウの表皮を包丁の背でこそぎ、ゴボウを細めにささがきにすると、そこにシャケを二切れセットし、シメジを散らす。ダシを少々、醤油とミリンで軽く味をつけて、あとは炊飯器にセットして炊飯ボタンを押すだけ。美味しい炊き込みご飯の出来上がり。待つ間に洗い物を済ませ、掃除機をかけ、洗濯物を干す。お腹が空いたけど間食はしない。炊き上がりにあわせオクラをゆがき、イカを短冊切りにし、ドレッシングをかける。おすましを作り、フライパンで出し巻きたまごを作る。ピー、と炊飯器から炊き上がりを示すアラームが響く。少し蒸らす時間をおいて、炊き込みご飯をかき混ぜて、後は茶碗によそい、食卓に並べ、さぁ、いただきますをするだけ。

どれどれ、炊飯器の蓋をあけて。あれ・・・。キノコの傘の端部分、なんだかパサパサしているような。ん、なんだろう・・この混ぜるとザラッした感覚、あれシャケの皮がまだ銀色で鱗部分が毛羽立ってる。なんだろう、この生ぬるいご飯、透明に透けていて固い芯が残っている・・・。総合すると、出来てない!そういえば、炊飯中にモクモクあがる白い煙や、ご飯の炊ける香ばしい匂いがしなかった。すでに炊飯器のボタンは保温のところに点灯しているのに。あれ・・。保温を切るボタンを押す。消灯しない。力が弱いのかと思い、指先を固くして押す。長押し。連打。早押し。コンセントを抜く。また保温ボタンの点灯になる。炊飯ボタンを押してみる。タイマーを押してみる。連打。もう一度コンセントを抜く。もう二度抜く。暫く待ってから、コンセントを付け直す。保温ボタンが消えない。

私が15少年漂流記の少年たちなら、ロビンソンクルーソーなら、次はジャー分解だが、さすがに現代日本社会に住む豊かな日本人としては、諦める。大体、無人島に行ったらまず電気がないのだから、電気釜に対峙するならまず発電だろう。

悲しい。私がコンビ二のおにぎりや、焼きソバや、さとうのご飯を食べているうちに、彼は何も言わずに、死んでいたのだ。保温しか出来なくなった電気釜は、寂しそうに私を見ている。うさぎと同じく炊飯ジャーも寂しくって死んだりするのだろうか。「さようなら、僕はあんまり君のお役に立てなかったね。僕はここに来た当時、すでにもらわれてきた子だったし、何のとりえもないジャーだった。一人暮らし用で3合炊きしか出来なかったし、旧式の白くて野暮ったい形だった。炊飯の残り時間を示すパネルはとっくに壊れていたし、圧釜でも、象印でもなかった。炊き上がったご飯は、ふっくら銀シャリというより、変哲もない白いご飯だった。君が僕から離れ、体に悪いものを口にするのを僕は心配しながら見ていたよ。台所の棚の上で白い塊になって、凝固していく僕は、だんだん衰弱していった。君の体も、内部から徐々に衰弱していくのを見ながら。さようなら。どうか健康には気をつけて。長い間ありがとう。生まれ変わる時は、ぴかぴか銀色に輝く、最新IH圧釜になって、毎日使ってもらえるお宅で暮らしたいよ。さよなら。」

涙…。こうして炊飯器とお別れ劇は終りました。なんだかいたたまれなくなってしまって、暫く呆然としていた私でした。

さて、ABC春の文化祭は「泥沼クッキング」再演です。再演とはいえ、お玉でフライパンを叩いたり、包丁でビートを刻んだり、調理道具がパーカッション化する、ゴージャス版に変わっています。お楽しみに。皆さん、料理は楽しいものです。健康のためにも、調理器具に宿る付喪神のためにも、クッキングを楽しみましょう。レトルト内閣の「泥沼クッキング」を見て料理熱を上げてくださいね。

詳細は以下から↓
http://www.retoruto.com/event/abc2012.html



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