刺繍草紙

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難破

快挙!?今月に入って2回もナンパされた。

1回目は帰り道で、「電車の中から見て、好みの人だったから、つい追いかけてきたんだけど・・・」。と言われた。まさか、私がコンビにでポテトチップスの関西だししょうゆかのり塩かどちらを買おうかうんうん迷いコンビニをぐるぐるしていたところもつけてきたのだろうか・・・いろんな意味ではやく声をかけて欲しかった。
「怖がらせたらごめん、普通のサラリーマンなんだ」といわれて、渡されたメモ。
連絡先のアドレスには death の単語が・・・・
多分、普通のサラリーマンはアドレスに death の単語は含めない。
怖かった・・・あの人・・サラリーマンじゃなくて、死神やったのだと思う・・・

2回目は本屋でナンパされた。「綺麗な人だと思って、後ろから見てたんですけど」と言われた。

ちなみに私はその日、「悲劇・喜劇」の雑誌を手にとり平田オリザの「ソウル市民」を流し読みしていたら、平田オリザの戯曲に「うん」という相槌が異様に多いということが気になり、つい「うん」だけを拾い読みして30個目を数えたところで意味がないことに気づきコーナーを移動した。

そのあと橋本徹について特集されたコーナーに行き、ぽつぽつ拾い読みしたが、匙を投げ、結局賛否のどちらの本の出版が多いかを数えて満足したあとさらにコーナーを移動し、

ミステリー小説の特集コーナーをまわり、ちくま文庫のコーナーに行き、角川の海外小説コーナーをまわり、カズオイシグロの本の購入を検討し、チャンドラーの本を購入しようと思いどれがいいかずっと迷っていたところだった。一体彼がいつから付けていたのか、多分私が殺し屋にマークされている特殊任務を持った海外スパイだったらとっくに命を落とすか職を失ってるだろう。

彼は「最近引っ越してきて」という出だしから始まり、私が道でも聞かれるのかと思っていたら「お茶をしよう」と誘われた。私がひるんで、「ごめんなさい」と言うと、か細く「あ!」と叫んで傷ついた小鳥みたいに去ってしまった。私はすばやく消えてゆく彼の背中を見ながら、別に時間はあったのだから、喫茶店で紅茶をすすりながら、彼のちょっと専門的で、要領の得ない話(推測)を聴いてももよかったのだ・・という後悔に苛まれた。もしかしたらポアンカレに生涯取り組むと決めている数学の教授助手かもしれない。ソーラー自動車を開発しているトヨタの技術者という可能性もあったのだ!

理想的なナンパ!!
「チャンドラー好きなんですか?春樹訳ならこっちの方がお勧めですよ。ところでこれをボクに買わせてもらえませんか?その代わりといってはなんですが、そこらへんで一杯だけ飲みながらチャンドラーについて話しをしません?怪しいものじゃないんで」(名詞を出す)みたいなのが良かった。

まぁ、でも私も逆の立場だったら後ろからじーと見ているだけで、同じ空気を吸えて嬉しいみたいな感じで声すらかけないだろう。結局、怪しげな人に昔から好まれる。

かくして月に2回ナンパされるという記録が打ち立てられた!!今月はもう数えるほどだけれども、もう一回あるといいな。チャンドラーなんか買わずに、ラメ入りのチークでも買った方が良かったかもしれない!




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良い観客

松本茜の舞台を観にいったら、三島の近代能楽集が構成要素のひとつとして朗読されたのでボルテージがあがった。コンタクトインプロヴィゼーションを基に動きをつくっていて、たまにローザスとかピナみたい影響を感じられる振り付けもあった。私の隣の男性は公演の半分以上を眠ってすごしていた。私にしたところで寝不足で集中がもたなければ寝てしまうだろうから気持ちはよく分かる。

演劇には能動的には楽しめない種類のものもある。観客の想像力と世界も同時に鍛えられなければいけない・・・そういった演劇に否定的な意見もあるが、残念ながらそちらの方が演劇界においては勢力を増し続けている。

昔、尊敬する人に「演劇をやる人間は、台本を読むだけではいけない、分析しなければいけない。やる人間と観る人間の観点は全く違うのに観る人間の視点で分かったような気になるな」と言われた。昔、まだこれが好きとかあれが嫌いとか言ってた時代のことだ。情熱的なものほど好きだったし、理解できなければすなわち嫌いだった。それからは良い悪いを好みと切り離して考えるようになった。今もその言葉を一つの教訓としている。

それから演劇を観ることは楽しいことではなくなった。でも顔をしかめて読んだスタニフラフスキーとかメイエルホリドに関する文献とか、読み終わらない「内角の和」だとか本棚の飾りのようになってる「何もない空間」だとか、ローザスとかベジャールとかの前衛的な海外カンパニー・・最近、公演を見るとき、色んな映画、色んな文学、もしくはアンバーの色、SEの音が語りかけてくれるような気がする。

私は以前より少しだけ良い観客になったのではないかという気がしている。

希求、気球、地球

夕方に「ハナノビョウキ」のライブを観にいった帰りに千佳子さんに会うことになりご飯を食べた。千佳子さんは、以前「アップルパイの午後」を依頼してくれた俳優さんである。その時にまた尾崎翠の「第七官界彷徨」を是非やろうという話になった。「第七官界彷徨」は翠の代表作で、一番豊かな作品だと思う。

1月にテロルのライブが終わってから2月にレトルトの福田と暇極まりないから舞台をやろうということになり、そんな理由でやっていいものか分からないが・・・台本を書き始めている。外部でやるのは実りが多いが、それでも劇団のメンバーと一緒につくるのが一番いい。劇団員はとにかく反抗分子の塊で、やれ本が面白くないだの、感覚が分からないだの、テキパキやれだの、これがいいあれがいやとうるさくて仕方がなくて、もう本当に私の本がいいと思ってやってくれてるのかなんだか分からないので腹が立つ。その点、外部でやると(人がよい場合だが)皆、素直で、だいたい初めてなもんだから意図を分かろうと一生懸命だし、まっさらな状態で歩み寄ってくれるものだからいい。でも劇団メンバーがあれこれ言うのは、もう家族みたいなものだろうと思う。自分の母の洗濯物の干し方にはあれこれ注文をつけるが、隣のおばさんの干し方には文句を言わない。自分の母の場合、隣の洗濯物と違って、長い時間干し竿が目に触れるわけだから、干し方的美的センスを共有し、長い生活を心地よいものにしないといけないし、パンとはたいてからかけろとか、ハンガーをつかって間隔をあけろとか、下着はハンカチで囲えとか・・まぁ、そういうわけだろう。ということにしている。

そう考えると家族的な人々は長い時間と労力と喧嘩を経て心地いい環境を整えられるわけだが、初めて会いましたみたいな人たちもある種の心地よさが認められるということは、「距離」とか「未知」とか「不安」いうことも心地よさを作り上げる一つの要因かもしれない。私などは仲間にはあんまりプライベートな立ち入った話をしたくないが、初めて会った人に思わず人には言えない色々な話をあらいざらいしてしまうことがある。初めて会い、そして今後もそう関わらないであろう人たちが持つその場限りの限定的空間は新密度が高い。たとえば変な話だけれど、一晩だけの関係なども悲しいまでに新密度が高いという気がしている。ポルノグラフィティの「スウダージ」という曲に「時を重ねるごとにひとつづつあなたを知っていって、さらに時を重ねてひとつづつ分からなくなって」という歌詞ある。最初は知って行く作業、そして知っていく中で徐々に分からなくなる作業ということなのだろう。そうすれば最初にみた姿は幻影みたいな気もちすらしてくるものだ。もちろん幻影ではなくて、分かりあいたい、分かってくれるかな?という未知の不安の中で、純化された希求精神が綺麗に見れるんだと思うのだけどね。


雨、飴、降れ、振れ

引きこもりたい病発症中・・三名です。勧められてFace Bookを始めてみました。しかし…登録中に、「あなたのお友達ですか?」とか言って大量の人々の写真が・・・。その下に友達申請するというボタンがついているのですが、ここではたと迷う・・・。一体、この方は私の友達だろうか・・・はて私は友達と思っていても向こうはいかがなものか…勝手に申請されたら無下に断るわけにもいかず困るのではなかろうか。勝手に友達と申し出ていろんなものを詮索したりしたらストーカーみたいに見えないだろうか・・・仮にもし断られたらこの傷はどうやって埋めればよいものか。かといって人を選んで申請するというのはいかがなものだろう・・この人は申請し、この人はは申請しないという線引きなんか出来る身分だろうか・・・私のようなものとお友達になってくれるなんて感謝こそすれ、ましてやこちらが選別申し上げるなど。そうして今夜、この微妙な問題に苦しんで怖くてFace Book見れません。ミクシィも考えてみれば同じようなものかもしれませんが・・・。ちょっと私とお友達になって幸福を吸い取られてもいいなという方は是非申請してみてください。心安らかになれそうです。

ところでレトルトは基礎練習中です。月に数回ほど練習しています。この基礎練期間、結構楽しみにしていました。なぜならば自分以外の台本でやれるからです!1回目はハロルド・ピンター、2回目は岡田利規さんの台本を読みました。人の台本を詠むのはワクワクしますね。いつも家で黙読なんで、どうも雰囲気がでないし、分かりにくい、台詞はやはり声に出されることも前提としてるので声に出してはじめて分かることも沢山あるわけです。優れた台本を研究してもっと良い本がかけるとよいのですが。

秋 不覚

満月を とってくれろと 泣く子かな 一茶

林檎樹下  病める林檎の 集められ 誓子

秋深し 隣は何を する人ぞ    芭蕉

寒くなってきました。季語を入れて5.7.5で語れることっていいですね。ワタシなんか「愚か者」の一言で語れますけれども。


友人に誘われて三谷の「素敵な金縛り」を観にいきました。

超豪華キャストでとにかくスペシャルなため、端役なのに大物俳優なので、ひたすらクローズアップされ印象的な見せ場が持たせられるという無茶苦茶で、豪華キャストに比べ、その他のロケ地などの節約っぷりといったらなかったです。ドラマでもまだお金がかかってるんじゃなかろうか。

俳優といえば三谷映画なのに西村雅彦が出てなくてさびしかったです。とりわけ唐沢寿明が医師役で出ていまして、渋い演技で「ご臨終です」という一言に「白い巨塔」の財前五郎のめくるめく苦悩が頭をかけめぐり涙しました。深津絵里も髪を下ろしていて本当はおでこを見せている方が好きだけれども、衣装も似合っていて、演技も自然で可愛い。人形美の深田恭子や綺麗過ぎる竹内裕子、草薙剛 ・中井貴一、佐藤浩市、生瀬勝久、梶原 善、篠原涼子と演技派俳優のスターパレード。これだけ揃うと、もうストーリーもカメラワークもどうでもよくなって楽しめました。でもやっぱり三谷は舞台の方が面白いな。

関係ないけど綺麗な動画を見つけた






 

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