刺繍草紙

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かなり直前ですが・・・明日、ライブに出ます・・・


大人と少女の間を彷徨うようなモノローグ詞に乗せて

キュートな女性ボーカルが唄うオリジナル楽曲です。

スエディッシュロック・ボサノバ・ジャズ・フレンチポップスの間を横断するような雰囲気です。

コピーも一曲、古内東子の「だいすき」をやります。

メンバーの殆どは10年以上のバンド暦でかなり渋めの音です。こちらは冷や汗をかきつつやってますが・・

テロルやレトルトとはまた一風違った雰囲気で楽しんでます。良かったら聴きにいらしてください。


バンド名 soi+4

場所   本町 マザーポップコーン http://www.mother-popcorn.com/


※出番は20時頃の予定です。


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Love Is The Devil

フランシス・ベーコンという画家がいる。偶然だが、前回に描いた「戦艦ポチョムキン」はベーコンに多大な影響を与えた映画である。オデッサの階段で腹を打たれ、口をあけて死んでゆく地獄を歪んだ姿で描いている。デフォルメされた部分、そしてフォルムにこだわった具象的な絵画。彼はピカソと並ぶ絵画の巨匠である。


私がベーコンで最も好きな絵は、揺り椅子に座った男が悶絶しながら落ちていく様子をえがいた絵だ。どことなくムンクにも似通う。すきというにはあまりにも抵抗がある絵だけれども。


そのベーコンと彼のファムファタル的存在だった愛人ジョージの映画。監督はベーコンへのオマージュをそのまま映画にしたようなイメージで、陰影の強く鏡面のように歪み光を駆使した画面作りにこだわっている。彼が影響を受けた「戦艦ポチョムキン」のワンシーンもそのまま出てきたり、散らかったアトリエもそのまま再現するなどドキュメンタリーな部分もある。ベーコンの絵画だけでなく、例えばフェルメールの構図なんかをそのまま借りてきたようなシーンもあったり絵画全体からの引用もある。


男同士のからみが、ベーコンの絵を準えるように描かれ、王家衛の「ブエノスアイレス」と並ぶぐらいに傷深く、良い。音楽がちょっと非凡だなと感じたら、日本の坂本龍一がやっていた。


映画はジョージとの出会いに始まり、愛ゆえ、疎外ゆえ、もしくはベーコンの才ゆえに孤独を深めたジョージが死ぬところで終わる。映画を見終わると網膜がチカチカして、何かが擦れるような残音がする。そうしてグラスに酒を注いでしまい、グラスの表面に青く窪んだ二つの目がこちらを見ているのを発見する。

戦艦ポチョムキン

映像の詩人、エイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」はソ連圧制時における戦艦乗組員の蜂起を描いている。この映画には映画史上最も有名な6分間と言われる、「オデッサの階段」と呼ばれる名シーンがある。この映画は見たことがなくとも、必ずどこかで見ていると思われるくらいの有名シーンだ。


私もこの映画は見たことがなかったが、このシーンだけは何度か見知っていた。蜂起した民衆を軍隊が射殺していくのであるが、逃げ惑う人々が階段を狂ったように駆け降りる阿鼻叫喚のスピードをゆっくりと撮っている。もっとも有名なのが、赤子を乗せた乳母車が階段を転がり落ちてゆくシーンで、その緊張感とスピードそして静寂が怖い。このシーンの迫り方に比べたらタイタニックの陥没シーンなど全く粗末に見えてしまう。


「無防備都市」のアンナの射殺、「天井桟敷の人々」の溢れかえる人々、「汚れた血」の走ってくるバイク、そんなものと同様にありえない突き刺さり方をするシーン。


ハッとするような瞬間を持った映画は忘れられない。人生もそうかもしれない。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にこんな話が出てくる。ある男が井戸の中に閉じ込められ飢え死に寸前で息も絶え絶えになったとき、差し込む一筋の光を見た。以来から全てが終わってしまうのである。ある時、完全に全てを得たら、全て失う。それは私の好きな話に共通した思考(もしくは感覚)だ。刹那、そして終わる、そして終わりが始まる。時々、喪失とは創作のこと。



ガラスの動物園

暫くブログを休んで、文字から離れていた。音楽だけに集中したら、それは音楽を嫌いにさせる暴挙だったらしい、根が怠け者だからだろうか、私はセロ引きのゴーシュを思いながら疲れていった。精神安定剤的に必要なのは自分自身から紡がれるイマジネーションで、音も文字もそこから勝手に溢れるのだ。少し長めの文章を書いたら大分心が落ち着いた。自分が信じるようにやればいいと感じる。


マレーシアからシンガポールに行く電車の中でテネシーウィリアムの「ガラスの動物園」を読みきった。それからというもの、私のまなうらにも炎が点って、誰かそれを吹き消してください・・・という気持ちになったのだ。その炎は執拗に追いかけてくる影のようなもので、其れが故にテネシーも書くし、私も書くのだろう。本当に素晴らしい戯曲だ。そういえば影が旅するっていうホフマンの話があったっけ。あれは何かぞっとした。


ブログを休んでいる間にオバマ氏が当選した。この選挙には一年前ぐらいから注目していた、まだヒラリーとオバマの対立の行方が見えないころ。この選挙前にはクーリエジャパンを買ってきて、その詳細を追っていた。なぜか心を打ったのはブッシュ退陣の影を書いた記事で「歴史が彼をジャッジするだろう」という言葉だったが。


私が小学校の時、よく読んだ物語の一つが「アンクルトムの小屋」だ。パンの袋に書き綴られアメリカ市民の心を動かした黒人奴隷の物語。「ぼっちゃん、ようがですが、」みたいな田舎鉛に翻訳された児童文学全集は土臭く、皮膚のひび割れと底辺の匂いがしていた。中学校の時はキング牧師の演説を暗記させられた、それからリンカーンの演説も、高校のときは「風と共に去りぬ」が友人の一番のお気に入り映画であった。コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けて、奴隷制を背後に陽気に踊る南部娘。


そうして大学になるとKKKのことや、暗い部分だけではなくモータウンだとか、サッチモとか、ジェームスブラウンが「black is beautiful」と絶叫しているライブとか、歌の上手い歌手の5本指には入る気がするアレサフランクリンだとか、アフロブームとか色んな情報が交錯するように入ってきて。最近では以前から勧められていた「マルコムX」の映画を見たし・・・・でも私のアフリカンアメリカン史の始発は「アンクルトム」で、そうして私が生きている間になんとオバマが合衆国大統領に上る歴史的瞬間に立ち会えたのだ。奇しくもリーマンの倒壊にはじまる恐慌の予感というこれも歴史に残りそうな大事件の後で。


そうして、筑紫さんが亡くなったのも大きな事件だった。ニュース23はちょうど筑紫さんが闘病のために番組を離れることになった頃にネット配信を定期的に見始めた。私は23における彼の不在感から彼の存在感を強く感じ始めるということになった。彼の存在感はこの日本にとって大きかった。ときとして不在感は存在感よりでかいのだ。忘却という人間の便利な道具を使わなければ。


ところで今のところ最も私を挫折させてくれる二つのバンドの練習であるが、昨日テロルゲストボーカルのレイナさんに来てもらって歌ってもらったら、忘れていた何かを思い出しそうになった。それは表現をする上で動機になるようなエモーショナルなもので、そこへ突き動かす種類の何かだと思う。それは「ガラスの動物園」のラストに出てくるトムの心に燃えるローラの消えない炎かもしれない。彼女に歌ってもらって思い出したものがあるのは彼女の才能ゆえんだろう。才能とは実は皆がここと思っている場所にはない。もうすぐそのテロルライブとそして前にも書いたsoi+4というバンドのライブがある。soi+4はこだわりのある良質で実直なバンドだ。比べればテロルは破天荒だろう。どちらも炎が消えないようなライブに出来たらよいのに。


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