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ありがとうございました

レトルト内閣&白色テロル ONE DAY ラプソティ IN LIVE 「楽園狂想曲」

IST零番館・芸術創造館共同プロデュース、クリエイティブスパイラル企画 BABY-Q 「私はそそられる」


ともに終了いたしました。


ラプソティ・ライブは新たな試みとしてレトルト内閣の確実なステップ・アップになりました。

また三名の散文をもとに作られたBABY-Qの「私はそそられる」は非常に前衛的で挑発的な作品になり、立ち見客が続出する盛況ぶり、新たな創作意欲を刺激されました。


この場を借りましてクリエイティブ・スパイラルを実現してくださいました、IST零番館様、芸術創造館様に御礼申し上げます。


また、ライブ企画を支えていただきました難波ROCKETS様、ありがとうございました。


また応援してくださった、また来場いただきましたお客様に心よりありがとうございました。


この経験を糧に、今後、更によい作品をお届けします。

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クリエイティブ・スパイラル企画

クリエイティブ・スパイラル企画いよいよ最終チーム。三名の散文をモチーフに展開されるクリエイティブ・スパイラル企画はいよいよ最終場。芸術創造館に挨拶に行き、制作さんにお話を伺った。


制作さんの話によるとBABY-Qの新作舞台は、この舞台のためにコンテンポラリー音楽を作り上げ、関西と東京のダンサー混交チームを結成し、いつもながらのVJやらDJやらが絡み合う圧巻舞台を作ったとか。錯乱した覚醒夢だとか。絡まりあう混乱だとか・・・

ブラックボックスを一夜にして魔幻空間に変貌させるのだとか。ここだけの話、楽屋をぶち抜いてびっくり空間を作り出したとか・・・


秘話を聞きすっかりテンションがあがる三名。普段はクラブでプレイすることも多いダンサーやVJを巻き込んだBABY-Q!スタッフが主体性を持って、作品を作り上げる。それは即興性を帯び、2日前の今もまだ作品は創作中だとか。なんて辛く楽しそう、制作さんの話を聞き、なんとも参加したくなってくるのでした。


今週末、「楽園狂想曲」は同時多発式にテロるのです



私はそそられる "I am aroused"」

構成・演出・振付:東野祥子

2008年1月26日[土]19:30開演 1月27日[日]14:00 / 18:00開

BABY-Q公式サイト

http://www.baby-q.org/index.html

クリエイティブ・スパイラル特設サイト

http://www.retoruto.com/creative_spiral/

楽園ライブ

いよいよ、ライブが差し迫って参りました。バンド練、劇団練習、合同練習と連日梯子で若干ヘロヘロに・・・。今日はバンド練でしたが、ようやくコレというものが掴めた感触。


昨日は劇団の芝居部分の練習、こんな時こそ基本に立ち返って想像力の力について力説。長く稽古をしているともしくは急いで稽古していると、本当に大切な「表現」したいっていう楽しさを忘れてしまう。


月面劇場に出てくる町は不思議な町、好きな稲垣足穂を意識しまくった無機的世界。お月様が突然、名詞を差し出したり、家出したお月様を探す奥さんが出てきたり、お月様がお茶漬けを食べてみたり・・・色の無い町。サイレント映画の町。ペラペラのテロテロの町。どこか寂しくて、不思議で。どこでもない所、ここでないどこか。私でない誰か、誰でもない私。


三名 「今、掘ってる洞穴はどこまで続いているという想定でやってる?」

睡蓮 「う~ん、腰のあたりまで」

三名 「浅いなぁ、吉本さんは?」

吉本 「300メーターとかそんくらいですかね?」

三名 「う~、もっと素敵な答えが欲しいな。例えば『世界の涯まで』とかね・・・」

吉本 「なるほど・・・そういふのをご所望でしたか」


ジャスミン、夕空のシーンで「月の光」が目にささるところで


三名 「それじゃ月の光が目に刺さるとというより、野球ボールが飛んできたみたいに野暮ったいよ」

川内 「月の光に刺さったことがないので」

三名 「月の光ってどんなの?細くて、銀色で、それとも金色?キラキラしてる?それともシャラシャラしてる?」

川内 「具体的にどうしたらいいのか言ってくれた方がはやい」

三名 「そんなこと私に分かるわけないじゃない。それをやってみせるのが俳優の醍醐味でしょ」

川内 「う~(苦)」


とまぁ・・・いつも追われてしまってこんな会話全然してなかったなぁ・・・。世の中には知らないこと、経験しないことの方が圧倒的に多い。けど、そんなものに思いを馳せ、その世界を生きることが出来る演劇の世界はなかなかおつだ。ちなみに俳優側の素晴らしい想像力にやられてしまうこともあり、そういうとき一人ではなく、多くの人の結集で作るというアートの良さが分かる。





日和周 引退に関するお知らせ

当劇団のメイン女優である日和が一身上の事情により関西の地を離れることになりました。今回が実質の引退公演となります。


日和は旗揚げ公演「梁一華」の観劇を機に当劇団に所属しました。役者ははじめてという日和は当劇団で一から育った女優です。最初は訛りも酷く、声も小さく、カツゼツも非常に悪いという三拍子揃っていて、一行の台詞を言わせるのも必死でした。その後、彼女の努力と持ち前のセンスで徐々に成長し、殆どの公演に重要な役として出演しました


「本能寺炎上」 聡子役

「ホワイト・リリー」 テング役

「サカナ」 ジュゴン役

「金の鵞鳥」 母役

「香華の館」 鴇子役(主演)

「あヽつばき 愛あれば君 逝かずにすんだものの」 女役 (主演)

「金色雀」 芙蓉役

「夢の花床」 音子役

「倦怠アヴァンチュール」 ロウズ・マリィ役

「楽園狂想曲」 雪村役


日和は私にとってファム・ファタル的存在であり、想像力を掻きたてられる女優でした。彼女には多くの台本を書かされました。初期は憂愁漂うメランコリックな雰囲気を前面に出し、後期は男性的なサバケた感じを役をこなし演技の幅を広げました。その他、幻想的な絵を描き、衣装をデザイン、縫製し、レトルト内閣の美的活動の中心となって活躍しました。


1/26日のライブでは中盤の楽曲「僕ら恋人 同じ傷口」でメインパフォーマンスをします。「どんな風にすればいいですか?」と日和に聞かれたので「踊るのではなく、演じるのでもなく、表現してください。私達がやっているのはいつも表現なのだから」と言いました。日和の引退に際して、往生際悪くふてくされていた三名ではございますけれども、どうぞ皆様最後の表現を見に来てやってください。



ライブ楽園狂想曲案内

いよいよゲスト陣営交えての稽古に突入。花を添えてくれるゲスト陣が一同に会すると流石に華やか。懐かしさも嬉しさもあいまっていつもより笑いの多い稽古場になりました。さてその「楽園狂想曲」ですが順当な仕上がりを見せ始めています。ノリの特訓に始まり、リズム練習、歌練習、演技、そしてまたノリに戻るといった稽古を重ねて、いよいよ追い上げと仕上げの時期にさしかかりました。次回はゲスト+劇団員+バンドと大所帯合同稽古。1/26日、19時スタートです。チケットは劇団HP他、ぴあ、ローソン各所でご予約いただけます。


(ストーリー)

ある日、身体に浮かび上がる青い痣、月食病。それはあなたを食べたいって病気、あなたを蝕みたいって病気。

ある日私のこんなに普通の日々に悪夢がやってくる。ある夜、玄関のドアをあけると黄色い顔のおつきさまがドアの前で待ち伏せている・・・


(見所)

こんなレトルト内閣はきっとみなさん見たことがないはず!オールスタンディング!この日のためだけのスペシャルショー!歌っちゃいます!踊っちゃいます!様々なサプライズでお届けします。


(出演)

吉本ともしよ

 河原者、吉本ともしよ。レトルト内閣きっての演技派俳優、吉本ともしよ。オープニングソングをリードします。ノリノリ吉本のパンチのきいたパフォーマンストーク!そしてなんと「倦怠アヴァンチュール」で好評をはくしたオカマ「エレガンス撫子」が帰ってくる。ぱーちくりんで、天真爛漫な馬鹿オカマ、撫子ちゃんをを再び舞台で見れちゃいます。


川内信弥

 メランコリック、川内。川内ファンの皆様ごめんなさい。今回はちょっと期待を裏切るかもしれません、とうとう二枚目俳優の座を捨ててこんなことやあんなことしちゃいます。サプライズお楽しみに!


藤京子

 プリンセス、藤京子。今回は彼女が主題歌「楽園狂想曲」を熱唱。年末年始の特訓を経てパワーアップ。もちろん愛嬌ある演技スタイルも健在、お月様を探す謎の少女を演じます。


日和周

 女帝、日和周。僕ら恋人のソロパフォーマンスに注目。彼女自身が振り付けしたパフォーマンスは彼女の魅力を最大限に引き出したもの。切なく不思議な動きで見せます。アジアンビューティー、見逃せません。


睡蓮 

 コケティッシュ、睡蓮。空に張り付いた月をおたまでこそぎとろうとする女の子を演じます。その他、随所に登場する愛らしの姿も必見です。

 


こみたお

 センシティブ、こみたお。なんと今回はバラードのメインボーカルで1曲歌いあげます。「僕ら恋人、同じ傷口」リズム練習でノイローゼ気味になりながらの稽古。毎日車中で練習とか・・・是非聴きにいらしてください。


松本茜

 エレガンス松本。「楽園狂想曲」で見せた圧倒の歌唱力で、殆どの楽曲に参加。もちろん悩める女の子、ジャスミンも演じます。クラシカルからパンチのきいたロックへと転じる稽古を重ね、よりパワーアップした彼女を見れるはず!


白色テロル

 バンド白色テロル。女優でもあるドラマー、山崎エリカは演劇と演出を理解したパフォーマンスで魅せます。日和の不思議な動きとあいまったドラムスに注目。普段はレトルト内閣の照明スタッフ、奥野のギター。アコギとエレキの二本を使い分けて演奏します。ベースのムッシュは総音楽監督として全体のバランスを見、楽器陣営から俳優まで音楽指揮をとります。そして三名のキーボードもなんとか頑張っています。



鹿鳴館

クリントン氏とオバマ氏の指名レース接戦が気になる。どちらともある意味で弱き人々の立場に立った人たちだ。弱さを知る人は怒りを、沈黙を、忍耐を知っている。そして何より「弱さ」を知っている。過去、アメリカの偉大な大統領は思い上がったあまり、大きな間違いを何度もおかしてきた。次の米大統領には期待したい。


先日ドラマで三島の「鹿鳴館」をやっていて、私の三島好きを知る人が親切にもビデオに撮ってくれていた。黒木瞳が影山伯爵夫人朝子、外務卿影山伯爵を田村正和、 朝子の昔の恋人であり自由民権運動の士である清原を柴田恭平が演じていた。


やはり原作よりも重みに欠けるのが辛いところで、田村正和なんか古畑と同じとしか思えない・・・


そんな中、清原の息子役、久雄を演じた俳優は松田翔太という俳優であった。TVを見ない私は彼が誰であるかわからなかったわけであるが、ひとたびドラマが終わってみると彼が最も三島の原作に近い演技である気がして俄かに気になってきた。大体、時代をまたいだストーリーを現在の人俳優が演じるとき殆ど目が座っていないのが気になるのだが、彼は若いながらにそこに確かに生きるという重みを出しているように見えた。調べてみると松田翔太という俳優はかの名優、松田優作のご子息であることを知り驚く。どうりでどこかで見たような繊細な憂愁が漂っていると思った・・・


明治19年の天長節、鹿鳴館で開かれた祝賀の会に集う迎賓たち。朝子はその日、清原との間に出来た子供である久雄を救うため夜会に出席する。朝子は新橋の芸子時代に清原と関係を持ち、誰知れず子供を生み、清原に預けたのであった。憎しみとも愛情ともつかぬ感情が混ざり合い、久雄は父を殺そうとし、影山伯爵は嫉妬の感情に駆られ清原を陥れようとする。


三島の作品は最後の大団円で交錯して高潮した複雑な感情を描き出し、しばしば高潮の度が過ぎるあまりのクライマックスをやるので、普遍的に分かりにくい部分がある。けれども、さすがテレ朝のドラマ、ちょっとロマンティックに感動できるよううまいことやっていた。それは正確に言うと違うものなのだけれども・・。・さっきの松田翔太という俳優なんかは無言のうちに複雑多岐な心情を乗せる事に成功していた。これからが楽しみな俳優だ。




杉村春子

我が家にTVがやってきた。TVなんか無い方が想像力の世界に羽を伸ばせるではないか!なんて貧乏人の泣き言に甘んじていた自分であるが、そんなプアマドモアゼルを哀れんでか、心優しい天子みたいな方に、使い古しのテレビジョンを恵んでいただいた。泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス。家康ガブリエル万歳。


早速、TVチャンネルを繰っていると美輪先生の番組が!しかも杉村春子特集を・・・。文学座旗揚げメンバーで戦時下を潜り抜け、死ぬ間際まで文学座を支え、主演女優として活躍した杉村春子。二人の夫の死に目にも舞台に立ち、若手劇団員が杉村が長く主演を取り続けることに講義して退去して出て行ったときも決して舞台に立つのをやめなかった。死ぬ間際まで次の台本を枕元に置いて読み続けた杉村春子。VTRで橋田すが子はこう語っていた。「今の若い人には決して真似出来ませんよ。辛いときもじっと押し殺して、先生からは恐ろしい気迫が漂っていました」


特別番組のテロップにはでっかく「生涯女優」


美輪先生はこう仰っていた「女優ってのはね、生まれた時から既婚者なんですよ。芝居と結婚しているの、だから添い遂げるしかないのよ」。杉村と幾度もドラマをともにした泉水ピン子は幾度も目を潤ませていた。(彼女はうるませている姿を見る方が多い気もするが・・・)とりわけて美人でも、演技がうまくもなかった杉村春子だけれども、杉村はうまくなかったから、美人でなかったから、うまくなろうとして、美人になろうとして、続けられたのだと言う。ピン子さんも決して上手くなかった、美人でなかった若い時代を振返っていた・・・


先生の言葉で記憶に残る言葉は何かと聞かれてピン子さんはこう答えていた

「はじめてしまったのだから、やめてはいけない。やめたら、はじめてしまったのがもったいないでしょ。1日たりとやめてはいけないのよ」


続けることほど難しいことはない・・・それは1日ごと微妙にでも前進する継続という意味で。

青ひげ公の城

昨日のブログの続きになるが、お誕生日に皆様からプレゼントを沢山、頂いた。日本映画最高の監督、黒澤のDVD、マンゴーの濃い薫りがするボディークリーム、麻地に薔薇のあしらったブックカバー、シガレットケース型のミントシロップ・・・・などなどちいさく、美しい様々なもの。なぜか私の詩を編んだ葉書までいただいて赤面だった。


今日、家に帰ると、ポストの中に「ゴミは分別のうえ、平成20年からは透明の袋に入れて下さい!さもないと収集されません」という大家の脅迫状と、仏蘭西から航空便が届いていた。すわ、国際果たし状か・・・・と封を切ると濃い香りがして、バースデーカードと共に、パンジーの種と思しき代物、トランプケースに似せた巨大なマッチ箱、魔術にでも使えそうなスプーンが入っていた。ふんふん・・・この種をカエルの干物とトカゲの尻尾とネズミで煮立てて、この巨大なマッチで火をつけてぐつぐつやったら、魔法のスプーンでかき回し、惚れ薬の出来上がりって訳ね・・・・


ところで、そんなプレゼントの中の一つ、「青ひげ公の城」をギタリストからいただいた。さすが、付き合いも長いだけあって(お互い首をしめあってきただけあって・・・)私の好みを恐ろしいほど熟知!?


というわけで寺山修司の没後20年を記念して打たれた、パルコ劇場の主催による「青ひげ公の城」を見た。


演劇を続けるのに逡巡をする時、大きな才能というものを思い浮かべるのだけれども、その一人が寺山修司だ。(その一人どころかお前以外の全員のことを考えろって?)まぁ、思い上がりが多少無いと無益なかりそめに、そのかりそめにも満たないつまらない人生を捧げたりしないものだから、その虚勢は許していただくとして・・・私が思うに、死後20数年たった今も寺山のその才能、前衛性を越える作家・演出家はいない。


「青ひげ」はペローを先駆けに、グリム、メーテルリンク、パラージュそしてバルトークと様々な作家の先鞭に触れてきた。・・寺山の「青ひげ」は一風変わって青髭の登場しない青髭の物語だ。寺山の作品は多分人よりは多く触れているはずだけれども、我が家には寺山関係の本が10冊ぐらいあり・・その半分ぐらいはすでに絶版である。この作品を映像で見たのは始めてで、最も寺山の思想がよく現れた作品の一つだと感じる。虚構の中を生きた夢幻詩人寺山修司。職業、寺山修司と自ら名乗るほどに詩人、歌人、演出家、作家、映画監督、スポーツ評論から果ては競馬評論まで。その幾多の自分を演じながら、住所不定、職業不定、故郷不定の拠り所の無さに居を定めて生きた寺山。その不定こそが、幾多の影の投影としての夢幻空間を生み出すのだ。


ところで、師匠が「新しいことを思いつくと、寺山の作品を調べる、そうするとだいたいはやってある」と言っていた。全くその通りで、これを見たらまたやりたかったことをすでにいくつか手をつけられてしまっていた・・・嗚呼。



―以下、寺山に見出された三上博演じる第二の妻の台詞より抜粋


いい死体の役者は、百篇死ねる役者のことだ

たった一度だけじゃ、演技と言えない。

嘘の死を生きるのは、ほんとの生を死ぬことだ。

ごらん何もかも騙し絵だから美しい。そう、あたしの心はあなたの造花。

舞台に本物のお月様の光が差し込んできたら、風邪をひいてしまうわ。

だから、お月様は金紙を貼ったボール紙に限るのです


あたしを御覧なさい。第二の妻は私の仮面なのです、その仮面の下に囚人の仮面がある、囚人の仮面の下にブローニュの花屋の仮面がある、ブローニュの花屋の仮面の下に娼婦の仮面がある、娼婦の仮面の下にマダガスカルの水夫の仮面がある、碇の刺青の似合う水夫の仮面、その仮面の下にジプシーのトランプ占いがめくったスペードのナインが笑っている。それは死。贋金作り。かりそめの道化。





シュルレアリスムとは何か

お誕生日をバンドの皆様にお祝いしていただいた。

お誕生日は家族からも忘れ去られ(家庭に問題があるから・・)、お友達は少ないが(人格に問題があるから)・・・仲間の多さに感謝(問題を芸風にしているからか?)。

こんなに一時にプレゼントを沢山いただいたのははじめて(涙)生きながらえてよかった・・・。


正月にシュルレアリスムの研究家、巖谷國士の「シュルレアリスムとは何か」を読んだのでここに紹介する。

実はこれを読んだので、ブログの写真をトワイヤンに変更したといういきさつだ。本はシュルレアリスムにまつわる3章仕立てになっている。


1章 シュルレアリスムとは何か

まずはシュルレアリスムの領域について、今日本で横行しているシュールという言葉の定義はシュルレアリスムの意味とは異なっているという自身の違和感を、シュルレアリスム運動の開始点となったブルトンの「自動記述」を例にあげながら説明する。


書く事の実験としてなされた「自動記述」は、一定リズムで思い浮かんだ単語を書き連ね、そのスピードをあげていくとどのような成果が得られるのかということの研究である。「自動記述」を続けると、まずは書かれた文字から「私」という主語が喪失され、ついで動詞が消滅し、名詞のみのオブジェ世界へと変貌する。主観が排除されたオブジェ世界は非常に狂気に近い世界に近づいていく。


さてそうやって文学ではじまったシュルレアリスムは美術の方へ領域を広げていくのでだが、自動記述から自動デッサンはエルンストにおけるコラージュ、フロッタージュ、かのデュシャンにおけるレディメイド、デペイズマンへと領域の羽を広げるていく。


しかし、シュルレアリスム(超現実)はどこまで狂気の世界に近づくとしても、異世界のことではなく、連続性のもと捉える方が正しい。重要なのは現実と超現実は切り離されたものではなく、現実は超現実のはじまりでありることの認識だ。それはそもそも運動の始まりである「自動記述」に焦点をあてると分かるというシュルレアリスムの領域の話を書いている。


2章 メルヘンとは何か

 2章は「メルヘンとは何か」についても「メルヘン」という言葉が柔らかい幻夢世界のうちで捉えられていることに違和感を感じている。このメルヘンもシュルレアリスムと同じく、現実の延長線上の物語なのだ。


17世紀までは「こども」という概念はなく、「小さい大人」がいたにすぎないので、そも児童文学というものも存在しなかったので、よって日本語になおすと「おとぎばなし」は、そも子供のためのものではなかった。そもそも「おとぎばなし」とはどういうものなんだろう。



御伽噺の特徴を見てみよう

・どんな場所、時代にも適応するような普遍的な構造である

例えば登場人物に名前がなく、男とか姫とか継母とかの名詞におきかえられる、時代は「むかしむかし、あるところに~」といいった風に適当である。

・「森」と「旅」がキーワードで出てくる

人間は狩猟を捨て森を捨て、農耕社会へとうつるわけであるが、森は新しい生命を得るための「通過儀礼」として描かれ、その過程が「旅」であると連想出来る・

・「妖精」が出る

妖精は運命を握るものとして登場し、かつ物語りは近代小説のように「運命」に抗したりせずに、妖精の恩恵をそのまま受け入れる。


おとぎばなしといえば「ファンタスティック」なものという形容がされるが、ファンタスティックといのはどちらかということ異世界が突然眼前に開けているというもの。おとぎばなしの世界は妖精にまつわる単語である「フェーリック」で表現されるのが相応しい。

それでは「ファンタスティック」と「フェーリック」との違いは何かというと「フェーリック」の方は人類が進化するときに忘れていったもの「森」だとか、それを通過してきた「旅」だとかを彷彿させる。つまり上記にあげた御伽噺の特徴に見られるように、御伽噺は人類が落としていった「記憶」や旅の過程で得られる驚きや喜びの「感覚」が内在している。


ところで第一章で触れたブルトンの「自動記述」で得られる世界もフェーリック的な世界である。意図しないオートマテックなデペイズマンを受け入れる世界。かつそれが我々の現実と確かに結びついているという感覚。つまりおとぎばなし、メルヘンとはシュルレアルと隣接した領域なのだ。


3章 ユートピアとは何か

この本で一番面白かった章である。そも「ユートピア」とは理想郷のことを指すものだが、一体それは何なのか。東洋にも桃源郷というのがあるが、西洋のユートピアはそれとは違う。むしろ桃源郷とユートピアは対立するものと言ってもよく、ユートピアは楽園とは遠いものである。


そも代表的なユートピア文学とは偶数世紀に書かれている。偶数世紀とは16世紀はルネッサンス、マニエリスム、18世紀はフランス革命、20世紀は言わずと知れた激動の世紀でつまり、ユートピアは危機の世紀に登場するものともいえる。


ユートピアの特徴として防御壁を持った理想都市として書かれている。ユートピアの特徴を見てみよう

1 空間構造は周囲から隔絶された状態である。城壁で囲まれるあるいは島の形をしている。

2 町の構造は直線の基盤の目か、正確な円形かの幾何学構造である

3 家も平等化、画一化され、自然も移植され幾何学状に配置される

4 ユートピアには歴史時間がなく、サイクル的な時間割がある

5 人に個性はなく、機能化された人間がいて、衛生観念が行き届いている。

6 闇がなく、町全体が蛍光灯に照らされたように均一に明るい


隔離され、画一的、衛生的、きれい、明るい、臭いがない、質素これらがユートピアの特徴である。この様子を思い浮かべて欲しい。

「自由」であると思っていることで、「自由」を失くしている。「自由という幻想」に取り付かれた無個性な規則的、反復的世界。なんだかぞっとしないではない・・・

ジャック・モノーという科学者は知的生物の特徴は規則性と反復性で、知的生物のない場所には直線や完全な円形は存在しないと言っている。あるのはミツバチの巣と結晶だけだと・・・。ユートピアは自然を愛するが自然にも結晶やミツバチの巣なるものを要求しているのである。・・・ユートピアを思うときそれは地獄に通じているとも見える・・・


ところでそのユートピア神話はすでにサドのユートピアの地獄性の公証、そしてフーリエのユートピアノ拡大における乱交性によって破壊されているのである。シュルレアリスムもユートピアと同じく、どこか別のところを思い浮かべながら、絶えざる変容を腐敗を要求している点でユートピアに対立した領域である。つまりユートピアというのは常われわれの使う領域とは異なったもののことをさしているのだ。


 

最後の章は、幸福とは何かの問いかけにも似ている。私も昔、現実逃避による空想癖があって、ユートピア的なものを常に頭の中で構築していた時期がある。確かにそれは周囲から隔絶され、無個性で反復的、機能化された日常があり、機能化された町であった。そのことを思い出して、我知らずぞっとした正月なのである・・・・








謹賀新年

謹賀新年、あけましておめでとうございます。昨年中は多くの方のご支援ありまして、劇団史上最大規模公演にバンド白色テロル初ライブにとやらせていただき、ありがとうございました。本年は1月26日に演劇ライブを控えている他、夏には更なるパワーアップで劇団本公演をお届け致します。


年末から友人が訪れるはずが、病に伏して来れず。仕方ないのが、初志貫徹で京都WORLDに行き一人カウントダウンと一人早朝初詣をして参りました。こんなことを一人でする奴はいないと・・・バカップルに囲まれながら年始の反省。


八坂に詣で、神籤を引きますと太文字で吉番二弟と上に記され、その下に藤原為家の和歌がしたためられている。


かつ見れば つのぐみにけり 御幸せし

神の園なる池のわかごも


ふと見れば 八坂の池のわこもが角のごとき若芽を立てて、芽吹いていらっしゃるよ。・・といった感じでしょうか?


だから・・・?まぁ、善良解釈で何か芽吹いている年になるということでせうか。


ちなみに恋神籤は


しられじなへだつる中のうき雲に はれぬ思いの身はまよふとも


なんてちょっと煩悶の一句・・・今年は冴えない感じなのだろうなぁ・・・・


さすがは神仏混交なんでもいい感じの日本人、人で溢れかえる四条通の八坂門前には入場規正がかかり、京都警察の必死の交通規制、寒空の下震えながらの2時間参拝。喉がおかしい元旦です。




Paging Navigation

Navigations, etc.

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