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ベルイマン

なんと!・・・・といってもさっきふと思い出したのだが、丸の内でナンパされた!

実は丸の内OL気分を味わいたい、なんちゃって癖の私は丸の内クリスマスをふらふら闊歩。

とそこに後ろを追い越してきてこちらを振り向いているお兄さんが。



「あの・・・あんまり素敵だから見とれてしまって、いやナンパとかじゃないんですけど」

(ナンパだ!)

「本当にお綺麗ですね」

(あら、蓼食う虫も好き好きといったよき言葉が日本にはあります)

「なんていうかちょっと憂いを帯びた感じとか、

(なんといっても日本根暗倶楽部会員なので^^)

・・・すごい気品みたいな雰囲気があって」

(鬼畜信仰会に入っているのもよかったのかしら)


「どうやったらそんなに綺麗になれるのか秘訣を教えて欲しいと思って」

(そんな言葉!かつて聞いたこともないし、これからもきっと聞くことはない!嘘でも、お世辞でも、世界ひろしといえど私にそんなことを言ってくれるのはあなただけ!)

「ファッションも素敵でよく似合ってるなぁと思って」

(在り合せコーディネイトと称してます)

「センスあるな・・・」

(昨日、ベルトが剥げかかってるのをサインペンで塗ったのがよかったのかな!)

「赤いマフラーも引き締まっていて」

(血液色です)

「僕も教えて欲しいなぁ・・なんて」

(ええ・・・その白いスーツに白ジャケットは如何なものかと思うわ。白スーツというのは似合えば王子様、似合わなければ犯罪者という恐怖色なのです。今すぐお付き合いしてさしあげて、その白を訂正したい!)


「僕、雑誌のライターやってて、そこで打ち合わせだったんですけどね)

(丸の内喫茶で打ち合わせするライター!それ私の憧れじゃない!)

「どうですか、お茶でもおごらせてください」

(ローン50万円の英会話教材か、ローン75万のエステ勧誘か、はたまた金運ネックレスの販売、どれだろう!?)・・・・


とまぁ、そんなことはどうでもいいのですが、ベルイマン映画祭に行ってきました。前回の舞台「楽園狂想曲」で気に入りのキャラクター、ゲイで音楽家の咲岡という男が登場してきた。この咲岡という男は「サンタモニカ」という名前の小鳥を飼っていて、珈琲を好み、少し品のいい広めの部屋に住み、好きな音楽家はサティ、好きな監督はこのベルイマンというなんともいえない男性なのだ。そうして楽園の台詞で夕空という恋人の男に向って

「ベルイマン監督の沈黙って知ってるか?」

と話しかけるシーンがある。


昨日、風邪をひかせていただいて、関節痛いわ、発熱するわで大変なことになっていたので、1作だけと思って「秋のソナタ」を見たら、これが縛れて縛れて、氷ついてしまって、身じろぎも出来なかったので、引き続いて2作目の「夢の中の人生」も鑑賞。ベルイマン監督はレンズ越しに何を見て、なんのためにレンズを見ていたのだろうと思う。それは生を通じて何を見て、なんのために生を生きるのかという問いかけに似ている気がする。なんだかその素晴らしさをどういったらいいのかうまく説明できないのでソンタグ評をのせておく。


≪ベルイマン映画のいくつかは―現代の精神状況についての生半可なメッセージが詰め込まれているにも関わらず―監督自身のもったいぶった意図をみごとにこえて勝ち誇っている。「冬の光」と「沈黙」において、映像の美しさ、その視覚的洗練が、物語と台詞の知的めかした青臭さ、われわれの目の前で覆してしまう。すぐれた映画は、必ずわれわれを、解釈の要求から完全に解放してくれるところの直接性をもっている。(スーザン・ソンタグ『反解釈』より)≫














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有馬記念

中山競馬場、今年度ファイナルレーシング2007GI「有馬記念」に行ってきました。

浅草のウインズ、大量の人の群れが1つの建物に流れ込む、ウインズ浅草。朝から大混雑だ。

スポーツ新聞を握り締め、真剣な顔つきのおじさんたちの群れにまみれて予想を立てる。


1位はやはり王道、武豊の「メイショウサムソン」

2位は同じ女性同士ということでエリザベス女王杯を牝馬の「ダイワスカーレット」

3位は意表をついて睨んだ「マツリダゴッホ」

競馬はギャンブル・・・ということで三連単でおさえる!


そしてファンファーレが鳴り、蓋をあければ・・・

2位は予想通り、ゲートからぶっちぎって逃げ切ったダイワスカーレット

3位はダイワスカーレットの兄弟馬、ダイワメジャーが兄弟で有馬制覇

そしてなんと1位は誰も予測できなかった最下位人気「マツリダゴッホ」!!!


1番人気のメイショウサムソンは8位で惨敗を喫し、マツリダゴッホは9馬出走中、9番人気。三連単は史上最高の800880!しまった!単勝で買っておけば!!と悔やむがさすがにこの伏兵を睨んでいたものの、一位逆転劇はよみきれず、会場は失意と舞い散る馬券と飛び散る競馬新聞で興奮の坩堝!!まさかの夢!その追い上げ!躍動する馬体の疾駆に思わず涙ぐむほど、波乱の熱狂!あとでニュースを見たらオーナーもまさか優勝とは思わず競馬場に姿を見せていなかったほどだとか。昨年のディープインパクトの予想裏切らぬ有終の美も大きな感動を呼んだが、まさかの最下位人気馬に軍配があがったのは衝撃の感動!!!中山競馬場11万観客の驚嘆と賛美との絶叫はまさしくことし最後のしめくくりに相応しく、でかいパワーをもらった。


というわけでランティエ、高等遊民暮らしという夢の他に競馬馬を持つという新たな夢を獲得。名前は「エレガンス・ロック」と名付けることにした。ちなみに一緒に行った友人は「ゴールド・ダイアモンド」にするとのこと。宮本輝の「優駿」を読んで以来、また数々のアーティストがその躍動にひかれて、競馬論を書き、ジャケットにあしらい、映像を取り入れているのを常美しいと感じていたが、まさに選び抜かれたサラブレットの美しさは圧巻!叔父は馬の美しさに魅せられ、従兄弟にあたる双子の男の子に優也、駿也と命名したが、まさにそれは夢という名前であることを再認識した、中山競馬場。ゴール後の蛯名騎手が人差し指を大きく振り上げ、馬身を叩いて狂喜したその先は頭上しばれる青空でした。










2001年宇宙の旅

とにかくびっくり!キューブリックの映画は「時計仕掛けのオレンジ」、「博士の異常な愛情」「ロリータ」「アイズ・ワイズ・シャット」・・・どれも素晴らしい作品だけれどもこの作品にはびっくりした!「2001年宇宙の旅」!


原始・・オラウータンのようなチンパンジーのような猿たちのたむろう姿、不似合いな金属製の石版が岩場に突き刺さり、電波のようなものが発される。猿は骨を持って白骨化した動物の死骸を砕いていたが、電波を浴びると猿人となり、道具を使い二足歩行を始める。


時はうつり2001年。人類は宇宙船に乗り、宇宙基地を建設し、有人飛行を行う。そんな時、月面で正体不明の金属製石版が発見される。はじめて木星への有人飛行を実現する宇宙船内。思考回路を持つ完全無欠のコンピューターのHAL9000は船長に「私はこの計画に疑問があるのです」と話しかける・・・完全なはずのコンピューターのミス。そのミスによって思考回路を停止させようとする船長。そしてついに木星についた船長が見たものとは・・・


米の月面着陸はキューブリックの作った偽映像で、宇宙競争でソ連に先んじるために偽の記録をキューブリックに依頼してつくったのだという説まであるほど、映画は非常にリアルで緻密。なんといっても月面着陸以前の映画なのだ!完璧主義者キューブリックが睨みをきかせた大作、クラッシック音楽に極力台詞を排して、宇宙の、神秘の、月の、シャトルの、文明の、美しさを見せた。単純にそれは生命とか神秘とか、猿人から人間が宇宙に赴くまでの底知れぬ大きな意思まで透かして見せてくれる作品で、本当に衝撃的な作品だった。映画に対する認識を塗り替えてしまった1作。


ところで映画といえば昨日、劇団員の吉本氏が素敵なチラシを持ってきた「ベルイマン映画祭」!。なんてこった・・・・これは行かなくてはいけない。持つべきものは仲間!舞台に関わる人は必ず傾倒しているといわれる、ベルイマン。またその話もしたいと思う。

一千一秒物語

昨日は花村蔓月の話をしたが、どうも今日の月はおちゃらけ感が漂っていた。月は見るものの心を反映する代物だ。帰り道、上を見ると、○○生命と書かれたビル看板の上に、ちょっと斜めで小太りにふんぞり返って、人を小ばかにしたようなおつきさんが寝そべっていて、こちらを薄めで見やるとケケケケと笑っていた。


「アホかいな、お前は」みたいな


私はこのほど笑い死にしたいような気分なのだ。情けない気分の、癇癪晴らさず、今自分がこの世から消えたらどうなるか・・・という夢想にひたすら夜を過ごすみたいな馬鹿げた日常に見える月を総称して「アホかいな、お月さん」と私は呼んでいる。あぁ、そして今日もアホかいなおつきさんが浮かんでいる・・・。


レトルト内閣のブログ女王、松本氏が「今年のあなたの一字は何か」といった命題を記事におのせになっていたが、どうも今、自分を振返って「笑止!」といふ言葉がよくお似合いな気がする。(二字ではあるが・・)笑止ワンピで、とぼけ帽子で毎日ワルツりますか?いつまで・・・?。


もう一人のブログ姫、藤さんは「あのね、苦痛とか憂鬱が笑えてくるところに達することがレトルト内閣の到達点だと思うんですよね」みたいな笑えないことを仰っていたが・・・とするとそろそろゴールも近いのだろか・・・


稽古に行き、ひたすらノリについて口をとがらせる。こう見えても私の部屋からは毎朝ノリの練習をするためメトロノームが約30分もカッチン・コッチン鳴り響いているのだ。ある日、白色テロルのドラマーとベーシストにリズムが正しくないと言われ、変拍子で踊っていた私になんと言うことを!と激怒。速攻メトロノームを買いに行き、


それから、リズムをノリよく正確に打つ為にメトロノームの二、四拍子をひたすら打つことはや数ヶ月、ノリが悪いことに対する不快感と隣人のメトロノームノイローゼを生み出すにいたった。なんだかポテポテとヘロヘロしてる劇団員にアフリカン霊歌的ノリを培うべくことを使命にしたこのライブ公演。千里の道も一歩から・・・というがしかし、理想だけは舞い上がりEXILEを見て、ケミカルブラザーズ聞いて更なるエッジの効いた、クラブビートノリ研究にせいを出す。


何を書いているのやら分からなくなった。日本一の「月の詩人」を紹介する。

稲垣足穂氏「一千一秒物語」より


『ポケットの中の月』

ある夕方、お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた。坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつむくと ポケットの中からお月様が転がり出て、にわか雨にぬれたアスファルトの上をころころころころとどこまでもころがって行った お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった こうしてお月様はズーと下方の青い靄の中へ自分を見失ってしまった




ジャンゴ

なぜか本棚に「ジャンゴ」花村萬月著があった。花村萬月という作家は知らない。はっきりとは分からないが、多分、古本屋で乱雑に置かれた安売りのものをなんとなく買ってきたのだと思われる。古本屋があるとついつい寄って、ついワゴンの本を数冊買ってしまうという悪癖がある。積み重ねた人生をかけて、すざまじい下調べをかけて書かれた本がたったの100円で買えてしまうなんて!いつもながら小さな驚きを持って、ついつい食指動いてしまうのだ。銀硬貨1枚に匹敵するペーパーブックの軽さは、ことによっては重い軽さだ。


話はそれるが、「存在の耐えられない軽さ」という5本指に入る愛読書がある。「軽さは素晴らしく、重さは本当に恐ろしいことなのか・・・、」ニーチェを引用した導入に導かれてページを紐解いていくと、相反する精神世界がコインの裏表みたいパラパラ見える。哲学なのか、それともただの感慨なのか・・・アイロニックで、随分と哀しい香りがする小説だ。


「存在の耐えられない軽さ」については、他で語るとして、今日はその「ジャンゴ」について。なぜこれが安売りワゴンの中から選ばれたかについて・・・。きっとそれは花村萬月という字が花と月を持っていたからだと思われる。日本人なら雪月花・・・そして萬の字、ちょっとおどけたようなファルス感。そしてブックカバーの表紙はギターの弦。雪月花におどけた感じ・・そして音楽。これなら好みの三拍子が全部揃っている。


「ジャンゴ」はジャンゴ・ラインハルトのジャンゴ。ジプシー育ちのギタリストでキャラバンが火災にあったとき、左手の小指と薬指が全く動かなくなってしまった。ジャンゴは人々の前から姿を消し、残った指で独自奏法を編み出し、天才ギタリストとして完全復帰を成し遂げた。


ところで、東京のクラブでプロジャズギタリストとして演奏している沢村という男がいた。その沢村が山城という大手芸能社プロ社長の持つ赤坂の超高級クラブで演奏していた時だった。山城の妹である美女、麗子に甘く口説かれた沢村は、思わず麗子と一夜の関係を持ってしまう。その時、麗子は沢村の尻にスピードを挿入し、その味を教えた。


山城のプロダクションは、所属タレントをスピード漬けにして、絶対服従させるという残酷な方法を使っていたが、妹がスピードに手を出していることを知り激怒。スピードを教えたのは沢村だと勘違いし沢村を呼び出した。そして、麗子に口ぞえされ、沢村を彼の尊敬するジャンゴのごとくするため、銃で指を吹っ飛ばし、その上、巨大なオカマの男にレイプさせた。尊厳をずたずたにされた沢村は、復讐のことを考えはじめるのだが、それこそ麗子が望んでいたことだった・・・


設定が若干突飛で、感情や流れの飛び方があんまり気持ちよくないけれども、文章は音やリズムの匂いがする。官能というよりは、少しえぐい感じのする花弁のようなものを、こねくり回して、覗き込む、刻み続ける、踊り続けるみたいな情欲世界だ。鬱屈、嫉妬、卑屈、悔恨、憧れ、挫折、恐怖、スピード感みたいな感情がリズム体でスイングして打ち続ける。この本を読むと、なぜ「ジャンゴ」なのか、それが分かる。










ベルナルダ・アルバの家

公演が近づいてくると、日曜日が消え、土曜日が消え、過酷な世界に突入する。こうやって引きこもりながらも、外の世界の核心を表現しようということは何なのだろう。


先週、エレベーター企画の『ベルナルダ・アルバの家』を見た。オペラ・コンテンポラリーと称された作品は、小劇場ではなくクラッシックの世界で鍛えられた歌い手たちによって演じられていた。電球を入れたステンレスのすり鉢上ボウルのようなものを舞台一面にぶらさげて、その間を潜り、それを揺らしながら演じるという興味深い舞台で、質が非常に高かった。ただ高すぎてというか暗すぎてなのか、客席からいびきが聞こえてきて・・・苦かった。


スペインを代表する詩人、ガルシア・ロルカ原作の「ベルナルダ・アルバ」。アンダルシアのよい家柄の女であるベルナルダ、彼女には4人の娘がいる。敬虔なベルナルダは父親の死に際し、娘達に喪に8年ふくすことを命じ、部屋の中へ閉じ込めてしまう。年頃の娘達は、男に飢え、外気に飢え、自由を侵食されながら、漆喰の中で徐々に神経を高ぶらせていく。アンダルシアという土地がもたらすたちのぼる因習・・・そんなものがこの土地自体を病んだものにしている。そんな折、四十路にかかった上の娘に持参金目当ての若い男が近づき、結婚を申し込む。湿度の高い欲求不満を高まらせた女達の中に突然現れた若い男・・・・完結された壁の中という世界が軋み始める・・・


ロルカの世界は、なんともいえぬ因習の匂い、「香り」ではなく「匂い」がする。ムッとするような、花瓶の中の大量の花が部屋の中でむせているような、かび臭く、けれども高飛車な・・・・そんなロルカの世界を評した中沢新一の一文を抜いてみた。



ロルカの書いた詩はとても優しく、愛情にあふれているが、同時にその優しさは突如として激しい身振りに変わり、アンダルシア地方の土俗的な舞踏のような激しさのなかに、言葉たちまでがわれを忘れていくところがある。優しさから悲劇的な激しさへの、このエッジの鋭さを見ていると、それはたしかにスペインの舞踏や音楽の特徴とつうじているものを感じさせもするけれど、それよりも大切なのは彼の詩や言葉の精神が、詩をもおそれなかったスペインの禁欲的なカソリック聖者達のたましいと、深いつながりをもっているという隠された事実を見抜くことだ。(中沢新一「眼のオペラ」より)



ベルナルダ 

私は涙はきらいだ。死というものは真正面からみつめ、受けてめるものだからね。静かにしなさい!・・・・これからみんなで、海のように深い喪に服すんだよ。ベルナルダ・アルバの末娘は純潔のまま死んだ。わかったね、静かに、静かにしなさい!静かに!






嫌いなもの

群れる女

一人じゃ何も出来ないくせに、群れて強者になろうとする女

「私」という主語

話し始めは常に私が来る人間が大嫌い

「私は~だから~」「私は~だし・・」「私ね、」

なんて話し出したら、うざい!もう死ねよ!って思う。自分が言ってたりしたら自分に「死ねよ!」って思う。


昔は苛められっこだった。登校拒否で、勉強も全然出来なくて最下位から数えた方がはやい成績で、リストカットのマネゴトばかりする親友がいて、その子も苛められていて、誰からも見向かれない小汚い少女で、家庭は崩壊していて、神経症が家を暗くしていた。一人ずっとあてもなく自転車をこいで、家は臭気がして気分が悪く、学校はどよどよとした灰色だった。常にどこに行っても出来の悪くて、ぼんやりしていた。どうやったら壁になってじっと黙って耐えてられるのか、どうしたら死に近づけるのかばかり考えていた。先生に「私は学校辞めて、家を出て、もうどこか遠くへ行きたい」って職員室で1時間も泣き続けて困らせたことがある。面談に母親が「この子はうちで一番の出来損ないで、大学なんか無理ですよ、先生」って言ったその時、担任の先生が「それは違う。この子はどこの大学だって入れる能力があります。私は分かってますよ」って言ってくれ、それがなかったら今の自分は無い。それから先生はずっと「あなたは出来ますよ」と言いつづけてくれて、その後はやればだいたいのことは叶うようになった。友人も仲間も助けてくれる人も恋人も師匠も出来た。


それでも根底にあるコンプレックスとか、怖気とかが消えなくて、例えば「顔」のことについて冗談で色々言われたりすると、「気味悪い」とか「ブスだ」とか家族や周囲から言われていた、その時のことを思い出して怯えてしまう。今でも自分の顔は嫌いだ。おかげで苛めの見物人という加害者タイプになる人間を嗅ぎ分けることが出来て、そういう人間の要素を軽蔑している。そういう人はだいたい一人じゃ何も出来ない群れるタイプの人間で、何かといえば「私はね」を連発する気味の悪い連中だ。


卑屈さはずっと消えなくて、今でも傷つけられたりしたら異常に執拗に覚えていて、その癖、人間との間隔がうまく掴めず傷つけたことはよく分からない。


話は変わるが、小さな頃はずっと想像するのが好きで、誰もいない、自分という少女がたくさんいる「子供の街」を頭の中で作っていった。その街には自分に似た少女が6人いて、あとは老人しかいない。少女は6人で同じ家に住んでいて、家の前には芝の庭があり、石畳が伸びている、春には花びらを秋には落ち葉を冬には雪を箒で毎朝掃き清める。少女の指には10個の指輪がはまっていて、散歩に出かけるたびに貧しい人たちに1つづつ指輪をあげる。少女は道路を掃き清め、パンを配る。少女のドレスの後ろには全て大きなリボンがついていて、薄桃色、薄黄色、水色、薄橙のパステルカラーになっている。・・・少女たちは何も喋らない、ただ黙々とパンを作り、掃除をし、散歩に行って、それを繰り返すのだ。毎日、街のあちこちや家の細部、例えば箒はどんな形なのか、指輪は何色か、道路の広さはどのくらいか、どこにゴミ箱がありポストがあるか・・・そんなことを布団に入ってずっと考えながら頭の中の「子供の国」という桃源郷を作っていった。


私はという言葉が嫌いといいつつ、私のことばかり書いた。多分、ほんとそろそろ頭を打ん殴られた方がいいんだろう・・・きっと先行き長くない・・・そんな予感がする。過去が走馬灯のように去来する。



ライブ終了

ライブ、終了いたしました。多数のご来場ありがとうございました。

演劇仕立てでいつもより爽快にアレンジしたエレガンス・ロック・ライブ「狂った夜汽車」、ご好評いただきまして嬉しいです。とくにコケティッシュなボーカルや世界観のある楽曲に多くの注目が集まりました。関係者皆様にも様々なアドバイスいただきまして、ありがとうございます。皆様のお陰もって舞台に立てることを再認識し、感謝の気持ちで一杯です。まだ未熟な点ございますが、温かく見守ってやってくださいませ。ライブの動画が少しだけですが、レトルト内閣のHP、次回「楽園狂想曲ライブ」の案内からご覧いただけます。


次回は「白色テロル」と「レトルト内閣」のコラボレートライブ、一夜限りの楽園エンターテインメントショーが1/26(土)難波ROCKETSで行われます。最新情報をレトルト内閣又は白色テロルのHPでチェックください。


「クリエイティブ・スパイラル企画」 ・・・「楽園狂想曲」の原本となりました三名の「散文」をもとに、多角的な視点からパフォーマンスを構築する企画。銀幕遊学◎レプリカント、そしてレトルト内閣と公演してまいりまして、ラストは「楽園狂想曲ライブ」と同週になんとあのBABY-Qが芸術創造館で公演いたします。先日、振り付け家の東野さんとお話したところ「悪夢!っていうのがキーワードだと感じ、そこからインスピレーションを沸かせています」とのこと。どうなるのか楽しみです。是非こちらもご来場くださいませ。



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