刺繍草紙

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グラインダーマン

グラインダーマンに招待いただいたので、書かねばと思いつつ保留にしていた・・・。正直に一言で言えば、面白い。演劇というより、ハプニングとかに近い。場所は造船所跡地とあって、巨大な倉庫を舞台に展開・・・客は立ち見・・・というより劇場移動型・・観客参加型といった方がいいのかな・・・現在も公演中なので、あんまりネタばれしてもいけないのであれなのですが・・・仕組まれたハプニングが随所で勃発、途中で「今公演は、身体すらも肉としての道具として存在するのではないかといったテーマをやっている」といった親切な説明まで挿入され、ポピュラーさとのバランスに素人でも安心感がある。美術(鉄製の工場内部のような機械的美術、装身具)・映像(同時撮影)・音楽(テクノを中心にクラッシック、ノイズなどのミックス)をそれぞれ担当するメンバー4人から構成されるらしく、作品はそれぞれの発想を刷り合わせて緻密に構成された建築構造が美(粋)。トレードマークに四角い鉄の箱をかぶり、グラインダーを使って火花を散らす演出はスカーンと抜ける。ビート感とか、昂揚、開放とか、遠近とか・・・痙攣、戦慄き・・・みたいな・・・何が言いたいのか分からなくなってきた。見に行かないと多分わかっていただけない・・・なんともハプニング舞台なのだから。付け加えるなら、ラストは静かな感動の潮流がやって来る。


名村造船所跡地にて

http://grinder-man.com/


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hmp 「dust」

基本的にあまり同世代の小劇場界の人々とはうまが合わず、わりと離れ小島気味・・・・「I am a Rock」な我が劇団。今回は劇団総動員で応援してくれた「必志組」さんに、兄弟劇団のような愛情が沸いてきて、こんなことははじめてです。というわけで今回の制作チーフを勤めていただいた季実子さんを拉致って飲みに行った。日本文学を修めているとのことで、話題はとりあえず日本の文学へ、戦後昭和中心に三島、太宰、漱石、芥川、とオーソドックスな面々を渡ったのち王道の春樹に行きつく。わりと文学少女基本路線なわけですが、でも三島なら「仮面の告白」「金閣寺」、太宰は「女生徒」、芥川は「藪の中」、春樹は「風の歌を聴け」と大道ながら、なかなかいいセンスの持ち主。ちなみにご研究分野は宮沢賢治


私といふ現象は仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です(なんといっても賢治といえば・・・「春と修羅」)


というわけですから、それでそんなに素敵なのですね。


ちなみに同世代といえば・・・・ということでご招待をいただいてながら、うっかり書き忘れていた劇団をここにきて思い出す、無礼千万な私。


「hmp」を観劇しにまいりました。ポーランド分割の歴史的意義や問題点を突くオリジナル作品。ちなみに「hmp」は過去2回も見に行っていて、1回目はカフカ、2回目は岸田理生というコアな作品をする劇団。同世代劇団はあんまり好きではなくて見に行かないけれども、ここはわりと敬意を払っている。以前から呼吸の使い方が面白いと感じていたので、昨年近畿大学の前衛演劇講座を受けに行った際、演出の方にこっそり「あの呼吸方法は何かベースとなるメソッドがあるのですか?」と聞いたのだが、その時は「俳優の訓練のためにやっているので、次回からはありません」とお答えになられて、本当に今回それがなかったので、わりと長期のスパンを見据えながら公演計画を立てておられるのだなぁと感心した。ちなみに西側諸国の問題や、分断のもたらす歪とか、それをどう捉えていくのかという視点はあまりにも普段の生活に縁遠く、何か意味のあると思われる様式やセリフや動きを解釈することに終始追われていく感じがあった。カントールとか顕著に影響が感じるところは、逆に疑問が残った。それでもビジュアルや聴覚的に訴えるところも多いので、思想上の理解が乏しくてもそこそこに楽しめる作品にはなっている。ところでハムレットマシーンプロジェクトのhmp、是非一度そのハムレットマシーンを見てみたい。是非、宣伝したいところですが、もうすでに終了・・・・また機会があれば行ってあげてください。



公式サイト

http://www.geocities.jp/hmp_director/

音登夢コンサート

メタルアーティストの造形美術家であるアキコ伊達さんがレトルトの公演を見に来た際に、挨拶いただいたご縁でメタルアートとバイオリンとチェロのデュオユニット(音登夢)のコラボレーションコンサートを聴きにいった。展示の方は、銅をやわらかく加工し、シュルレアルな雰囲気を醸し出したもので、ダリの腐敗する柔らかい時計や家具を思い起こす。傾いた珈琲カップに毀れかけの珈琲だとか、メタルの動的な表現、硬柔の意表を突いたあたりが面白かった。


ちなみにコンサート会場に入り、席に座ったとたん、どこかで聞いたことのある響き!2拍子の力強いアタック、情熱のあるスタッカート、哀愁のあるメロディー・・・なんと敬愛するアストロ・ピアソラが演奏されていたのだ。バイオリンとチェロのデュオでピアソラを生で聴くなんて、全く初めての経験だったので感動!ついでに遅れて入ったことに大後悔・・ピツィカート奏法をはじめ、木の部分を叩く奏法や、タンゴ独特の奏法についての解説まであり、不勉強な私は今の今まであの「ギギー」という悲鳴のようなかすれた音をどう演奏するのか全く知らなかったので・・・目から鱗で、一緒に行ったベーシストにそんなことも知らないのかと呆れ顔をされたが、大変感動した。他にも服部さんの蘇州夜曲やシャンソンをタンゴ風にアレンジしたものも演奏していただいた。最後にアキコさんに自らの著書である素敵な作品集をプレゼントしていただき私の本棚に潤いを与えていただいた。こういう交流があるのは、地味ながらに表現活動をしている醍醐味、インスピレーションや感動をもたらしていただいた。



椎名林檎 弁解ドビュッシー

言いたいことを探し疲れて、結果無駄口吐いてばかり

どうせあたしの人生は語呂合わせなんだもん


甲斐性がなく向かい風のみ専門にできる雄でなくっちゃ

どうせあたしの人生は語呂合わせなんだもん

チョーキングだけに支配されて変化する馬鹿な女で宜し

云々で誤魔化して好い加減に飛んでいたい

(椎名林檎 弁解ドビュッシーより)


椎名林檎マイブームが再び到来した、一時期錯乱気味に聞いて最近非常に落ち着いていたのだけれど、またもや聞き直したら「分かる!分かる。その気持ちは分かる、そうだよね」という喜ばしい共感がやってくる。椎名林檎が一般的な女子の気持ちを代弁する歌手であるかはよく分からないけれど、多くの人の共感を得ているし、きっと皆、「そうだよね!」って思っているのだろう。彼女はとても等身大で虚勢張ったり茶番めかしてみたり、開き直ったり、蹲ったり、小石蹴ったり、そっぽ向いたり、考え込んだり、頭空っぽにしたり、踊ってみたり、死んでみたり・・・。


椎名林檎の表現はすごく繊細だし、ある種図太い。その辺り、とても詩的なリアリティーがあると私は思う。


もっと酔っていたい

哀しく満たされ寒さより明るさが疎ましいのさ(東京事変 ブラックアウトより)


そう、「楽しく」ではなく「哀しく満たされる」し、「寒さ」なんかよりも「明るさ」が異常に疎ましい

あぁ、この人はなんて鋭く、よく分かった人なんだろう・・・この曲を聴いたときほろりときた。


椎名林檎も演劇をやっていたからか、人間のもつ哀しいかな演劇性とかがよく歌詞に盛り込まれている


演技をしているんだ

あなただってきっとそうさ、当事者を回避している


ねぇ、答えはないの?誰かのせいにしたい

ちゃんと教育して躾けてくれ

新宿は豪雨 誰か此処へ来て(東京事変 群青日和より)


人は演技をしているし、そういう虚実ないまぜ、楽しいやら、しかし哀しいね・・・という感じがとても好きなのだ。


あと女の胡散臭さみたいなものも終始、馬鹿にされ、賛美され登場する。


もしも愛なんて呼んで居なくて

信号という解答で貴方を誘い出しても変わんないかな(病床パブリック)


始めませふ

安易な位置づけ

隷属の興行

安易な選択

私は今夜 唯 攻められたひ(椎名林檎 真夜中は純潔)


はっちゃけて、本能に忠実な家臣であるメスについて、臆面もなく、あるときは臆面しながら描いている。なんとなく歯がゆくてもじもじとしたところ、ええい侭よ!といった脱ぎっぷりの両方、素敵。椎名林檎は私にとって愛すべき「健康な病気」だ。














横溝健二 雨月物語

あおぐすりの光っているのが水晶を散りばめたように見えるではありませんか

人に伝えてはならぬ秘伝でもあるのですか?

いえ・・・・薬のかけ按配や、土の扱い、長年の手慣れでございましてね・・

手馴れの末の美しさ・・・優れた腕のお方から、はじめてあんな美しいものが出来るのでしょうね


あたしのような落ちぶれ者にかかっては、心を込めたお作が泣きましょう

さ、お一つ


若狭様とお語らいなさればよい、またとは言わずこの折にお契りなされたらよい


私のために命を尽くしてくださらなければいけません

もはや、物の怪、魔性のものでも構わん・・・天国だ


死ねなかった、死ねなかった、死ねなかった



溝口監督の恍惚作品。黒澤監督にしてもなぜ日本の巨匠監督達はこうも「恍惚」というものを理解しているのか不思議だ。西洋の監督と違って、背筋の寒くなる震えの来る美しさがある。クレーン撮影を多様し、俳優の演技の分断を嫌った長まわし撮影は画面をなめるように妖艶。上田秋成の「雨月物語」を原作とする魑魅魍魎がすっかり映画に撮りついている。信楽を焼く百姓が妻子を置いて、都で焼き物を売っていたところ、美しい姫の目にとまって屋敷に案内される。姫は舞を舞い、酒を振る舞い、ついには男と祝言をあげる。男は妻子忘れて女にのめりこむが、町で会った僧侶から死相が見えるといって全身に経を書かれる。


京マチ子の震え声がなんともいえず、ぞくぞくするし、田中絹代の演技も素晴らしい。和楽の響きが随所流れ、まさにえもいわれぬとはこのことかと思う。


LOVE PEACE&TRANCE

公演が終わってからうちのバンドのベーシストと我が家で楽曲の構成会議をしたのだが、その時に「勉強しろ」と言って置いていったCDの山を徐々に崩してる。ほぼ同時期にギタリストもメモリスティックを持ってきて「これを聴け」と言っていくつかの音源をいただいたので、それもプレイヤーにうつして楽しんでいる。人生を変えられた・・というほどのYMOに心酔のベーシストは細野さん関係のCDを置いていき、メモリスティックには私がいつもころりとやられてしまう、椎名林檎や吉井さんやら、レッド・ホット・チリ・ペパーズ、土屋アンナが名曲をカバーしたアルバムまで多岐に渡り納められている。


それでもって今日はLOVE PEACE&TRANCE なんかまわしながら、好きな本を読んでいたりして至極幸せなわけです。なんというかアンビエント・ポップスといったらいいのか、一時期傾倒したDeep Forestなんかを彷彿する民族性と実験性の強い面白い曲の連発だ。


CDジャケットを眺めていたのだけれど、なぜか文化人類学者?の中沢新一なんかが「シャーマンの歌を持ってきた」という文を寄せていたり、散らされた文章なんかどっかぶっとんでる。


大地(AINA)を祓い清め

光の呪術(YELEEN)で

太陽の神(SOLARIS)と会う

カリ・ユガに迷い、うろたえ

病んだものに、治癒の呪文を囁く


ウパニシャッド的な奇妙な歌詞、写真もアジア的な緩い衣装を着けて、蓮の花なんかをあしらっている。オーストリアやハワイやアフリカやら原住民の言葉からイメージを引っ張ってきて曲をつけている。


We are past the age of occultism

In our brain there are rare gasses which allow

our mind contact a metaphysical world

beyond the four demensions


オカルト的秘境や寓話の時代は終わった

人間の脳内視床下部に、希少ガスの原子がある

人はこの原子群によって、この四次元を超えた

形而上の世界とコンタクトしている


(YEELEN メッセージより)







クリムゾン・リバー2

1年ほど前だったか非常に多忙だった時期、ふと居間についていたテレビを見るとこの映画がやっていた。一目見て釘付けになって5分ぐらい過ぎた頃に、新聞のテレビ欄で確認すると「クリムゾン・リバー2」とあった。ジャン・レノやクリストファー・リーという大御所が出ていて、脚本はリュック・ベッソンという強面揃いだったが、監督はオリビエ・ダアンという聞いたことのない名前だった。


その時は至急に片付けなければならない仕事があったため、そのままにテレビから離れたが、ずっと気になっていてやっと今の時期、落ち着いたのでレンタルビデオ屋に赴いて借りてきた。なかなか見ごたえがあり、素晴らしかった。リュック・ベッソンの脚本は問題が多々あったが、音楽やカメラの使い方など演出が面白い。ちょうど以前テレビで見た時は女が薬をやりながら男を誘い、、中華風のオルゴール人形がゆっくり回転するなかで、イギー・ポップらしき音楽を背景に激しいアクションシーンが繰り広げられるというそのセンスにこれはいい!と直感したのだが、そんな狂おしいセンスがところどころに効いている。


ダアン監督はもともと監督としてのキャリアは少ないものの、音楽ビデオを作っていて、美術の博士号を持っているらしく、その音楽や美的センスもなるほどと頷ける。若干暗すぎる場面展開も想像力の余地を存分に使いながらサスペンス要素を引き出していた。ストーリーはブルターニュ地方の僧院で壁に埋め込まれた死体が発見されるというところからスタートし、聖書の黙示録に謎が隠されているという設定で12使徒と同じ名前の人物が次々と殺されていく。第七の封印に謎が隠されており、巨大地下要塞のマジノ戦に財宝が隠されているという面白いパーツを取り揃えている。なので謎が解き明かされていく中盤ぐらいまでは、ストーリー、演出ともにぐいぐい場面をひっぱっていく。最後はちょっとご都合主義的に謎が解き明かされ、うやむやに終了されてしまっているが・・・。まぁでもそういうマイナス要素はさておいて、ワンシーンごとに見ごたえのある、疾走感溢れるかっこいい作品だ。





カーペンターズ

昔、野島伸司のドラマ「未成年」の主題歌になったことで、このアーティストを発見した。それからベスト版CDを買い、譜面を買い、「Top of the World」 「Mr Postman」など数々の名曲をこっそりピアノで弾いていた。カーペンターズの歌はメロディックで美しく、けれどもそこに哀愁や翳りが滲み出ている。


コネチカットで生まれたカレンとリチャード・カーペンター兄弟はクラッシック好きであった父の膨大なSPレコードコレクションを聞いて育つ、兄は幼い頃からピアノをはじめ、はやばや音楽で生計を立てることを決意していた。そんな兄の音楽教育のために両親は西海岸への移住を決め、一家はカルフォルニアへ移り住む。その甲斐あってかほどなく妹のカレンはドラムをはじめ、兄弟はバンドを組むようになる。


二人の音楽は前衛的で本格的な気風を帯びていたため、ライブハウスでなかなか受け入れられず、バンドで賞をとるものの、レコード会社をまわっても相手にされない日々が続いた。最後にA&Mに受け入れられ、ビートルズの「涙の乗車券」をアレンジした曲をリリースするものの、ふるわなかった。レコード会社は迷ったが結局、もう一曲出して様子を見ることにし、その時に発売された「遙かな影」が大ヒットし一躍スターダムにのしあがった。


その後は数々の名曲をリリースし、多重録音やバラードの中の激しいギター挿入など音楽手法に新しい風を吹かせたが、妹のカレンは、長年の無理がたたり拒食症がもとで亡くなる。


ちなみにうちのバンドのカレン(ドラマー)はこの曲が好きだと言ってカラオケで熱唱していた。


don't you remember you told love me baby

baby baby baby baby baby


カーペンターズの「Super Star」・・・・シンプルだからこそ、心に迫る曲だ。

立原正秋 その年の冬

職場の読書家の同僚が本を貸してくれた。本を借りる醍醐味と言うのはその人が5本指には入ろうというものをお借りして読むことで、貸してくれた方の趣向や嗜好と本そのものの両方から補足しあって楽しめる。昔は自分の思考過程を知られるのが嫌で本棚に覆いをしたり、見えないところに置いたりしたものだが、最近では菩提樹か大根かの勢いで太い精神に変わり、見せびらかしてもいいぐらいの神経になってしまった。

?お借りしたのは立原正秋の「その年の冬」という、作家の死期間際の作品だ。


(以下内容)
前夫が都井岬で野生馬から落馬するという悪夢的な事件を経て後、周囲の勧めにしたがって京の茶の家元に嫁いだ直子。由緒ある茶の家元とは名ばかりの家で、直子は次第に表情を固くし、貝のように押し黙っていく.黙り続けて10年余りたったある日、直子は能面を求めることを思いつく。極限までに沈黙させられ、じんわりと殺められていく中で、直子はある日能面を求めることを思いつく。その頃、直子は深津という一風変わった男にであう。男は野趣に富み、豪放磊落な側面と清廉なたたずまいの双方兼ねた男で、直子は深津に心惹かれる。直子は研究者でありしばしば京都を訪れる深津に水仙の花を贈る。


能面というのは冷ややかな表と、見るものによっていかようにも変化する渦巻く怨念や思念を宿す裏側とで出来ており、その境地は無に通じる。そのはすかいを見ている人物が直子として描かれている。中世文学を好んだ作者らしくもののあはれといった日本美意識の真髄薫る作品だ。素材の味を生かす美食趣味から、無駄のない挙措、秘めた思い、質素な生活、佇まいの正しさといった細部に徹底して美意識を行き届かせたこだわりがある。直子が送った水仙も例えばその一つで、薔薇でなく、桜でもなく、水仙である理由は、水仙のもつ凛とした素朴な美しさ所以だろう。おそらくは、こういった作品を書ける文学者はそう多くないし、現在では望むべくないかもしれない。しかし作者の美食趣味は、美味しいものの記述の一度に数ページも縷々あり、素朴を超え、執念すら感じるほどだ。その美食趣味が作品に個性や執念を与え、一方で精錬たろうとした他の記述をも飲み込んでしまっている。ある種、凡庸に幸せな全体像が見えてしまうのは惜しいかな・・・、にしてもなかなかの一作だった。





私のイタリア映画旅行 マーティン・スコセッシ 2001

4時間に及ぶマーティン・スコセッシ監督の伊名画史の紹介映画。スコセッシ監督はニューヨークのエリザベス通りで育ったイタリア系移民2世であり、ハリウッドとイタリア映画界の中間点に位置する監督としてイタリアの巨匠達へのオマージュを捧げる。4時間あっという間の力作で、なんといっても名巨匠の名画シーンばかり選り抜いている。つまり、たいくつするわけはないという訳だ。これを見ればイタリア映画の全貌が覗けるわけだから、言い方は悪いのを許していただければお得感満載だ。


その中の殆どを見たことがあればシーンが随所脳裏に蘇って楽しめるし、その中の数点を見たことがあればそれを足がかりにイタリア映画の素晴らしいさを紐解くことができる。仮にその中の一点も見たことがなくとも圧倒され、いくつかの作品を見てみたいという欲求に駆られることは請け合いだ。おそらくは彼が一番影響を受けたであろう、かつ伊映画世界にもっとも衝撃的な切り口を与えたであろうネオレアリスモのロベルト・ロッセリーニの紹介に最大限の時間が裂かれている。特に「戦火のかなた」、以前ここでも紹介した「無防備都市」はなんども映像がリフレインされ憧れと敬意がほとばしっている。ロッセリーニにはじまり、ローマを扱った史劇(エピック)の荘厳さや、シチリア島を題材にした映画への賛美をはさみながら、パストローネ、同じくネオレアリスモのアレッサンドロ・ブラゼッティ、ユーモア溢れるヴィットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニ、・様式美の貴族ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ、アントニオーニ 、二日前に紹介した フェデリコ・フェリーニなどの作品が次々と展開される。映画ファンならはまる作品間違いなしだ。

モディリアーニ 真実の愛

公演を終えて何をしてよいものやら分からず、ライブに行ったり、読むべき本をかたっぱしからめくってみたりしている。見ようと思って2ヶ月近く放棄していた映画「モディリアーニ」の続きを見ることにした。モディリアーニといえば「モンパルナスの灯」だが、あいにく見ていない。モディリアーニは気になる画家の一人なので監督の名前は聞いたこともなかったが、映画のタイトルが気になったので見た。エコールド・パリの画家総結集する「ラ・ロトンド」というカフェを舞台に異端の画家モディリアーニを描いている。キスリング、スーチン、コクトー、ピカソ・・・知った名前がオンパレードなのは華やかで嬉しい。サロンで一枚一枚、展示作品を覆った布がはがされていくラストシーンでのカメラワークは絵への畏怖が感じられた。街角で男達に襲われて殴られながら殺されていくモディリアーニの倒壊をシンクロさせた映像で練られていた。途中ピカソと郊外のルノアールを訪ねるところや、精神病棟へ監禁されたユトリロを見舞いに行くシーンなんかが良かったと思うが、特にとりたてて優れたものという印象はない。インタビューで俳優達が口々にこの映画の脚本や世界を絶賛していたが、俳優に陶酔されるようでは二流ということなのかと思ってしまう。なんとも変なことだが、インタビューで俳優が、さっぱり分からなかったとか大嫌いだったなんて語っているもののほうが、得てして素晴らしいものが多いのはなぜだろう。人は不可解なものに弾かれるし、本当のリアルとは「分からない」の一言に尽くされるものだからかもしれない。かといってむしろ俳優が生き生きとインタビューに答え、アンディ・ガルシアに至っては俳優をしている以上、一度は挑戦したい役だとのコメントを出していて、程度は違えど同じようなことをやっている人間としてその言葉に感動してしまうのは複雑なことだ。絵のモデルであったジャンヌとの愛の話で「君の魂が見えたら、瞳を描こう」というのはなんだかやすっぽく、モディリアーニの絵は瞳孔の与えられないその欠如に美しさがあるのに、モディリアーニファンとしてはいささか不満の残る展開ではあった。監督として独自の解釈があるのは結構だが、もう一段闘って昇華して欲しかったというのが本音。モディリアーニの芸術に肉迫するほどのげ表現でないと、この題材を扱うのはなかなか難しいというのが感想だ。 

カビリアの夜 伊 1957

映画というのは本当に素晴らしくて、忘れられないシーンというのがいくつも胸に焼き付いている。全貌やストーリーなんかは、健忘症気味の私の脳みそではすぐに忘れてしまうが、すぐれた印象のカケラなんかが棘みたいに突き刺さって残っている。とりわけその印象がラストシーンに含まれている時、それは忘れられない映画としてインプットされる。今回の「楽園狂想曲」で参考にした、というよりやってみたくてうずうずしたラストのイメージをひっぱってきたのは、恐れ多くも巨匠フェリーニの「カビリアの夜」のラストシーンである。このラストシーンを見た時に「転覆」みたいな感覚のこ気味よい表現に驚いた。

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映像の魔術師と崇められたフェリーニ映画、その傑作と呼ばれる「81/2」というイメージ性の強い作品から入ったので、「カビリアの夜」を見た時はあまりの普通さに驚いた。この作品はフェリーニ初期の作品のため、ストーリー性のある、入りやすい作品になっている。彼の奥さんでもあったジュリエッタ・マッシーナ演じる娼婦カビリアはまさしく愛狂おしいというのはこんな女性のことを言うのだろうなという感じ。純真で愚直でコケティッシュな魅力で溢れている。三万リラのために男に騙され、川に落とされるという滑稽なシーンからはじまり、ローマの遺跡跡で踊ったり客を取ったり、娼婦仲間との喧嘩をしたりする毎日が描かれる。ある日、映画スターに拾われたと喜びはしゃいでいたと思いきや、喧嘩したスターの愛人が尋ねてきたために一晩をバスタブで過ごすはめになる。絶望は次々とやってきて、教会に行き神にすがるも報いられず、果ては見世物小屋で奇術師に催眠術にかけられ笑いもののネタにされる。純真な男オスカルが現れ、やっと幸せが訪れると思いきや、彼もカビリアの持つ持参金が目当ての男であったのだ。ラストで裏切られたカビリアが湖のほとりの崖で、玉のような汗を浮かべて彼女を湖に突き落とそうとする男を前に、絶望したカビリアは「もう生きていたくないの、お願い殺して」と懇願する。家も金も男も、何もかも失ったカビリアだったが、とぼとぼ歩く道でギターをかき鳴らしお祭り騒ぎをする村の若者に囲まれ笑顔を見せる。そのなんともいえない音楽の非常な陽気さが胸をすく。カビリアにはそれでも純真な気持ちが残っているのだということが分かるのだ。

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ナイトクラブで踊るマンボのシーンと、もう生きていたくないのだと崖っぷちで叫ぶシーン、対して陽気な音楽の奏でられるラストシーンが印象に残っている。フェリーニ映画は宗教や現実に対する疑心がたむろするものの、虐げられるくだらないものに対して口笛を吹いて賛美してあげるような心の良さがある。





打ち上げの際、衣装さんから頂いた枯れないバラ

さっそく飾ってみました



Paging Navigation

Navigations, etc.

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