刺繍草紙

logs

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

焦げ穴から目

街は焦げていた

夜は晴れていた

てふてふ一匹よろめいた

けふ、何かが壊れる


泥棒一人

月を盗んで駆け出した

ツインスーツのご夫人の持っていたびあグラス

びいるが一粒、また一粒とはじけた

てふてふ一匹落ちたとさ

けふ、何かが壊れる



スポンサーサイト

最終電車の次の電車

背広を着たカナシミが一人、ぽつねんと立っていた


帽子を取ると彼方の方に会釈して、最終電車の次の電車に乗ってってた


最終電車の次の電車に乗ってった

バッファロー'66

「最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた」

?

ミニシアター系では脅威のロングランを誇り日本にて一躍その名を轟かせたヴィンセント・ギャロ。本作は彼の生まれたニューヨークのバッファローの実際の本家を使って撮影した彼のルーツに基づく作品だ。監督、脚本、音楽、出演まで全て一人でこなし、そのマルチな才能を示した。

?

ストーリーはしょうもない罪で5年間投獄をくらったまぬけな男、ビリーが、出獄両親に電話をする。男はつい「高級ホテルから電話しているんだ、結婚して政府の仕事につき遠くに言っていたのだ」とうそぶいてしまう。彼はその言葉を証明すべく、電話代の小銭を借りた少女レイラを拉致し、両親のところへ行き自分の男を尊敬している優しい妻を演じてくれるよう頼む。車で道を行く途中に我慢していた尿意を思い出し、用を足そうとするがどの便所に入ろうにもうまく行かずに癇癪を爆発し続ける。用をすましたビリーはトイレに行きたくてイライラしてたんだゴメンよ、なんて素直に謝る。バッファローへ到着し、両親と食卓を囲むがビリーと両親の会話は全くかみ合わず、それでもビリーは両親の気をひくように一生懸命頑張っている。その後、二人はボーリング場に行くが、ミッキーはレイラに興味を示さずにどんどんボールを打ち込みピンをなぎ倒す。そんな不器用で愚かなミッキーを見ているうちにレイラはミッキーに愛情が沸いてくる。

?

画家であり、バスキアとバンドを組んだこともあり、バイクレーサーでもあった奇妙な経歴のギャロは全く個性的な監督で、莫大量のビデオコレクションと音楽のコレクションを有しながら、誰の影響も受けていないと自ら断言する。癇癪もちで完ぺき主義、ナルシストのギャロ監督にレイラを演じたクリスティーナ・リッチはもう二度と仕事をしたくないとの拒絶っぷり。一方ギャロは、レイラを理想の女性としクリスティーナをべた褒め。このあたりにもギャロ監督のミッキーに酷似した不器用なキャラクターを感じる。



ポニーキャニオン
バッファロー'66


メトロポリス

ドイツ映画の最高峰、フリッツ・ラング。建築を勉強していた彼の美的構図は後世の映像作家をはるかに凌ぐ。どこかでラングの映画、その美術はデ・キリコを彷彿させると書いてあったがまさしく言いえて妙。

映画に対してどうストーリーを見せるかというより、どうVISIONを用いるかということを追求したドイツ表現主義。ラングはドイツ映画黄金時代を築き、後のブニュエル、ヒッチコック、エイゼンシュタインなど様々な巨匠らに影響を与えた。彼はユダヤ人の血が流れていたが、映画を見た当時のナチス宣伝部長ゲッペルスはいたく感動し、ユダヤ人であることを完全に抹殺することを条件に、彼にナチ宣伝映画を作るよう持ちかけた。その話を聞いたラングは銀行も閉まっている時間だったが、手元の金を急ぎ集め、その日のうちに仏に亡命、その後ハリウッドに招かれて米で活動することになった。

?

ラングのその建築美学があますことなく発揮された「メトロポリス」。後世のスペクタクル映画は全てこの影響下に存在するらしい。ビデオの解説で淀川は彼のアンドロイドを「美しい」と大絶賛。サイレント期において20ヶ月もかけて作られた秀作だ。

?

ストーリー

地下世界と地上世界があり、地下世界では労働者らが働いている。地上世界ではブルジョワが労働者を搾取し豊な生活を送る。マリアという女がバベルの塔の話をし、労働者らにこの二つの世界を繋ぐ媒介者を待たねばならないと話している。そのマリアに地上の若者が恋をする。

危険を感じた若者の父親は、科学者にマリアそっくりのアンドロイドを作らせ地下へ送り込み労働者らを策動する。

?

7つの大罪、バベルの塔、誘惑、聖書を思わすシーンや、オリエンタリズムを思わすシーンが次々と表現され美しい。ビルや人の描写、大量に地下に送り込まれる労働者の群れ、これらの空間把握はまさに芸術。



紀伊國屋書店
メトロポリス

・・・・


シカタナイをどれだけ積み上げるつもりだろう

日本列島、しようのないのゴミ箱か・・・

よくみりゃ、おまえもついでに捨てられてる

ストレート・テゥ・ヘル アレックス・コックス

こんなブログを書いているとアート系映画が好きなように思われるが、実はB級映画が大好き。B級とは表現が悪いが、私にとって彼らは比類なく優れた監督であり、「ダサかっこいい」という粋な表現手法を教えてくれた人々だ。とりわけ影響を受けた中にタランティーやギャロといった監督がいるが、特にこのアレックス・コックス監督の「ストレート・テゥ・ヘル」はあまりのかっこ悪さとかっこ良さの背中あわせにやられてしまった。物語は単純明快というか支離滅裂。大金を持った殺し屋三人がマカロニ街道の道中、エル・ブランコという街でエンストをおこししばしの滞在を余儀なくされる。そこに金を奪おうと画策する血の気の多い村の連中がガン・プレイを繰り広げる。とにかく意味の分からない葬儀シーン、そ知らぬ顔で車椅子の男をベランダから落とす。銃撃戦の最中に珈琲を飲んでみたり、ルネッサンス絵画のような構図で歌を歌ってみたり。すき放題、とにかく皆バカ、意味もなくキメキメ。加えてとにかくこの監督は音楽の使い方が粋すぎる!アレックス・コックスは「シド・アンド・ナンシー」が有名だが、この作品の方がずっといい!


アイ・ヴィー・シー
ストレート・トゥ・ヘル


アンリ・ミショー

アンリ・ミショー詩集


ー残酷の国からぼくは君に書く。眠っている群衆の住む「首都」から、君に書く。人々は恐怖の中で関心を持たずに生きている。結末を呼ぶと、地ならしの結末がやってくる・・・高貴な形はもう現れない。人々は身を屈するためにさしのばされた頸を見る。平和は恥辱を持っている・・・

 さらに次のことを知ってくれ。ぼくらはもはやぼくら自身の言葉を持たない。ぼくらの言葉は、ぼくら自身の中に引っ込んだ。確かに生きてぼくらの間をさまよっている口を失った顔がある。

?

時々街では、埃でできた何階建かのぼくらの家が、大音響とともに傾斜する。死へと向って走っている役人どもは、相も変わらずおびただしい。(詩「手紙はさらに言う」 抜粋)


アンリ・ミショー(1899~

ベルギー生まれ・医者を志したが放棄し、水夫としてヨーロッパ、北米、南米をまわる。その後、商人、教師、と数々の職を転々とし、22年ロートレアモンの「マルドロールの歌」を読み衝撃を受け詩作を始める。パリに出て詩作を発表、40年ノーベル賞作家アンドレ・ジイドの「アンリ・ミショーを発見しよう」によって広く世に紹介された。37年頃から独自に描いていた絵もアンフォンメル絵画の先駆けとして認められる。麻薬メスカリンを服用しながら、極限状態に見える体験を詩作した。ミショーのポエジーは忍苦を余儀なくされ、閉鎖の中で、抵抗を失い、窒息していくような、夢幻的悪夢の中にある。人々は漂流し、時間軸は溶解し、奇妙な人種の、奇妙な国で、人々は戦い、呼吸困難で、発狂と、悶絶、萎えて、変容を余儀なくされ、打ちのめされ、不確かな中に呑みこまれていってしまう。

?

?

それから 森田芳光監督

俳優さんにお勧めの映画を聞かれるときはこの作品を答えるとこにしている。というのも演技が素晴らしいからだ。夏目漱石といえば近代小説の中でもとりわけて本当に美しい日本語を使い、大学入試などに使用頻度が高いのもなるほど、頷けるのだが、この作品に出演している俳優陣営はまさに皆さん名演技とはこのことかと頷ける。なんといってもラムネを飲み干すことで思いのたけを伝え、俯き加減一つで堪えきれぬ悲哀を出すのだから。俳優というのが何だか恐ろしいものにまで感じる作品だ。かつ、日本人だけが出来る演技というのがまたいい。

原作は漱石の「それから」。主人公の代助は実業家の父親の金で仕事もせず老婢と門野という書生を置き、書を読んだりする生活に興じる高等遊民である。彼のもとに三年ぶりい平岡という友人が訪ねてくる。平岡は銀行へ就職するもののうまくいかずに転職の相談をしにきたのだ。平岡の妻は昔代助が思いをよせるも若者特有の義侠心で共に譲った思い人であった。その女性、三千代は平岡の作った借金と生活苦に悩んでいる。代助は金を工面するも、たいした工面は出来ずに自分の無力を思い知る。三千代に恋いうる気持ちを隠しながら、それでも就職する気持ちにもなれず、怠惰と、倦怠の中で思いと憤りだけが募っていくのであった。

監督は「家族ゲーム」で一世を風靡した森田芳光監督。代助に松田優作、三千代に藤谷美和子、平岡に小林薫という粋なキャスティング。三者ともに名演。


東映
それから
夏目 漱石
それから

鳥 アルフレッド・ヒッコック 1963


トリフォーがヒッチコックにロングインタビューを敢行して「映画術」という本が出版されたように、ヌーヴェルバークの巨匠らから神とあがめられたサスペンス監督。中でも当時最新鋭の技術と工夫を取り入れて撮影された鳥は圧巻。原作をもとにサンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジが鳥に占拠されるという異様な状態は、なぜそうなるのかの説明もなく、説明がないがゆえにパニックが大きい。一羽のカモメが襲い掛かったのを先駆けに、雀の大群が、カラスの大群が・・・・剥製の鳥、本物、アニメーション、これらは巨大な予算をかけて撮影されている。撮影時ヒッチコックはディッピー・ヘドレンという女優の足を縛って、本物の鳥たちを彼女に向けて投げて襲わせ、半狂乱になる彼女の姿を撮っている。ちなみに女優は目の下に傷を負いその後入院したらしい。黒澤監督も三船に本物の矢を射掛けて撮ったと言われるが、本能的な恐怖のすざまじさは演技では難しいということだろうか。DVDにはどのようにしてヒッチコックがこの映画を撮ったかという詳しい解説が付いていて面白い。音楽はバーナード・ハーマンで本物の鳥と電子音を織り交ぜて引き裂くような鳥の鳴き声を作っている。
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

ケン・ラッセル 「マーラー」


突如、航空隊に志願するも飽きて役者、三週間で向いていないのを知り、バレリーナ、ジャンプ力しか取り柄がないのにがっくりして、フォトグラファー、フォトで成功して後に貯めたお金で映画を撮る。それが評価され監督として活動する。滑稽無糖な人生よろしく、映画も非常にユニーク。代表作は「チャタレイ夫人の恋人」、文藝を主題とした作品を数多く創作しており、また偉大な音楽家をテーマとした作品も書いている。オープニングは交響曲第 番の盛り上がりと共に山小屋が突然燃えるという凄烈な印象のもの。マーラー自身が湖畔に山小屋を建てて暮らしたことをイメージしている。その後、岩場で繭に全身を包まれた女がそれを脱ごうと身体をくねらせるなんとも妖艶で不思議なシーン。成功したが病に犯されているマーラーが妻と汽車に乗っているだけの物語りに幾つかの夢や幻想、過去の回想が挿入されている。マーラーの影にあった弟フーコーの死、偉大な友人作曲家の病、失った自分の子供に捧げる歌、作曲家志望だった妻のアルマとの確執。マーラーはユダヤ人であり、後にカトリックに改宗する。それは作品の主要なテーマとして「改宗劇」というコミカルで遊びに溢れた長めのワンシーンを作っている。人を食ったスペクタクル仕立てで、やりすぎ、遊びすぎを大胆に取り入れながら遊びの部分では「ベニスに死す」の少年タッジウとアッシェンバッハを登場させてみたり、皇帝の謁見が叶ったシーンで妻と踊り続けることを要求されるなどの妙なシーンが出てくる。

かといって印象に残る非常に独創的で美しいシーンがあるので必見である。山小屋が火に包まれる、女が繭の中でもがく、湖での水浴とアルマとの時間、小屋の中でマーラーがタクトを振り続ける。



ハピネット
マーラー

ピアノ・レッスン

ニュージーランドの数少ない女性監督。「ピアノ・レッスン」はジェーン・カンピオンの名を一躍世に知らしめた出世作であり、傑出した代表作である。音楽はマイケル・ナイマンでこの作品の成功の大部分は彼の音楽にある。


主人公エイダはフローラという幼い子供を持った未亡人である。6歳から口がきけない変わりに、彼女の感覚器官としてピアノがいつも傍らにある。ある時、エイダはニュージーランドへの入植者であるスチュアートという男のもとに嫁ぐことが決まる。顔も見たことのない男に会うためにピアノと娘を連れてスコットランドからニュージーランドへ向うエイダ。ピアノとともに浜辺に到着するも夫の到着は遅れ、エイダとフローラはスカートの張り骨をテントにしてその中で一夜を過ごすことになる。ついに夫となるスチュアートが到着する。ところがスチュアートは重いピアノを運んでいくことを拒否し、怒るエイダを尻目に雇った原住民たちに他の荷を運ばせる。スチュアートに心を閉ざすエイダ、近くに住む原住民に同化している男、ベインズにピアノのある浜辺に案内するように頼む。最初は断るベインズだが、無言で圧力的に懇願するエイダに根負けして浜辺に連れて行く。エイダは浜辺でピアノを弾く。その音色とその姿に心を奪われるベインズ。ベインズはスチュワートに32エーカーの土地とピアノを交換することを契約し、エイダにレッスンに来てもらえるよう頼む。調律もされていないピアノを弾くのは嫌だと怒るエイダのために調律師を呼ぶベインズ。レッスンをはじめてピアノを弾くエイダの首筋に口づけするベインズ。エイダは驚くが、ベインズはレッスンに来れば毎回キイを一つずつ返し、全てのキーが揃えばピアノを返そうと申し出る。エイダは黒鍵の数にするように命令する。ある日、ベインズは裸になりエイダにも服を脱ぐように命じる。下着姿でピアノを弾くエイダ。レッスンを続けるごとに大胆になっていくベインズだったが、ある日自分の横暴さに嫌気がさし、ピアノを返してエイダへの愛に煩悶する。エイダは思いつめたようにベインズのもとに走り、やがて二人は抱き合う。それを壁の隙間から見ているフローラ。フローラには事の事態が理解出来ないが、それを聞いたスチュワートは怒り狂いエイダを閉じ込めてしまう。エイダはピアノの鍵盤を一つ抜き「私はあなたのものよ」と書いて、それをベインズに届けるようにフローラに頼む。子供として本能的な嫌悪感を感じていたフローラはそれをスチュワートに渡す。スチュワートは怒りに震え上がってエイダの人差し指を切り落としてしまう。それを布でくるむとベインズに届けるようにフローラに命じる。切り落とされた指を持って泣きながらベインズのもとに走るフローラ。スチュワートはベインズを殺そうかとも思いつめるが、エイダを愛していたのか、畏怖していたのか、その両方か、二人でこの土地を去るように告げる。三人は船に乗りもときた浜を後にする。海原の途中でエイダはピアノを海に捨てることを決意する。海に沈んでいくピアノ、一緒に心中しようとでもいうように、その足に巻きつけてあったロープがエイダの足を掠め取る。沈んでいくエイダだが、海中でロープは足を離れ、エイダは生還する。故郷に戻り、ベインズの作ってくれた義指でピアノを弾くエイダ。


万感溢れるのピアノ旋律と映像に押し込められた暗さと美しさに、誰でも感動できる作品ではあるが、この恋愛はかなり大人の恋愛だ。屈折し、野生的で、本能的で、野獣的な肉感、強力な静けさに浸され煩悶に悶えている。ここに描かれている濃厚な世界を堪能するにはかなりの積み重ねた経験がいるように思うのは私だけだろうか・・・。文句なしの大作。



ビクターエンタテインメント
ピアノ・レッスン

アンダルシアの犬 ブニュエル&ダリ

サイレント期に撮られた非常に有名なアヴァンギャルド映画。スペインにおける絵画の巨匠、サルバドール・ダリと映画の巨匠ルイス・ブニュエルの共同作品。僅か半月で映画化された15分程度の映像詩。映画史上最も残酷なシーンとして有名な眼球を切断するシーンから幕をあけると、痙攣する手の平を食いちぎって湧き出てくる蟻の大群や腐った驢馬の死骸が挟まれた二台のピアノをロープで引く修道士二人(一人はダリ本人らしい・・・)、路上に落ちている手首・・・。シュルレアリスムの世界を完全に映像化してしまった衝撃的な作品。こんな作品を20年代末に撮っていたなんて信じがたい。ブニュエルは好きな監督の一人だ。シュールでエロスがあり、夢幻悪夢の世界を次々と見せてくれる。


           

アイ・ヴィー・シー
アンダルシアの犬


黒澤明 「羅生門」1950

以前、三船の男臭さが気に食わず見ず嫌いだった黒澤監督作品だが、「羅生門」と「七人の侍」という代表作品を二作を見るや後悔し、日本に黒澤に並ぶ監督はいないということをまざまざと認識させられた。日本映画界の中でずば抜けて抜きん出ている、他にも小津監督や溝口監督など並び称される監督がいるが、私は頭一つ抜きん出ているというより、超越した位置にいると感じる。この三者や他の日本映画の優れた作品に共通する、日本映画が世界にひけをとらない点は「静謐を理解している」点と、「型の美しさ」だと思うが、黒澤監督はそれに加えて、ヌーヴェル・バーク期の優れた監督やハリウッドの大物監督にも引けをとらない「動」を理解している。その大胆なカメラの俯瞰、アップ、勢い、その立体的な演出はまさしく天才的で、日本のどの監督も持ち合わせていない。今現在も、世界のと冠される日本人映画監督は黒澤以外はいない。

原作は芥川の「藪の中」。雨の降りしきる羅生門の下で二人の男が、信じられないものを見たと話している。引っ立てられた三人の事件当事者とそれを見ていた話し手の四者の話が全く違う話となって検非違使に伝えられる。それぞれの口から話される話が全て映像として再現される。


山賊(多襄丸)の話 
馬に乗った女の笠の垂れ布から見える女の美しさにぞくっとなって、多襄丸は一緒にいた武士を縛り上げ、女を手篭めにする。女はどちらか一人が死んで欲しい、生き残った方と一緒になろうと言う。二人の男は殺しあい、多襄丸は武士を殺すが、見ると女はいなかった。
女の話
手篭めにされたあと、夫が蔑んだ目で自分を見ているのが分かった。「やめて、そんな目で私を見るのは」と叫んで気絶してしまった。目が覚めると夫の胸には短刀が刺さっていた。
武士の話
女は手篭めにされた後、多襄丸についていくが、あの男を殺してくださいと言った。多襄丸は武士に「この女を殺すか?助けるか?」と聞いた。女は隙を見て逃げ、私は胸に短刀を刺した
見ていた男の話
武士は辱めを受けて自害せぬ女などいらんと言った。それを聞いた多襄丸も嫌気がさして去ろうとした。女は取りすがって泣いたが、突然笑い出し、男なら腰の太刀にかけて女を自分のものにするんだ!と叫んだ。男二人は殺し合いをしたが、女はその間に逃げていった。


?
大映
羅生門         
芥川 龍之介
薮の中

ラヴァエルのボレロがうまく使用されている。微妙な心理描写の話をすざまじい演出力で息もつけぬ展開に仕上げてある。世界ではじめて太陽にカメラを向けたという画期的な作品でもある。京マチ子の妖艶さは夢にまで取り付きそうな感じだ。芥川の藪の中とは的の当て方が一風違った感じではあるが、芥川の小説も素晴らしいものなら、黒澤のこの作品も引けをとらずすばらしい。

花の影 チェン・カイコー

東洋の映画というのは西洋の映画に比べ質的に低い部分があると思うが、それでも真似できない独特の匂いがある。エキゾチズムというか、インド哲学から来る死の身近さというものなのか・・・。この映画もアジアの独特の気配を醸す映画である。監督は「さらば、わが愛/覇王別姫」で一躍世界に名をしらしめた中国を代表するチェン・カイコー。おそらく世界で最も有名なカメラマンの一人でありウォン・カーフェイのもとで「恋する惑星」などを撮った、クリストファー・ドイルをカメラマンに起用。流れるような映像美、中国独特の色使いをなぞる画面は香を焚き染めたような不可思議な雰囲気がある。


角川エンタテインメント
花の影

1911辛亥革命で清王朝が崩壊し中華民国が成立した後の1920年の蘇州。富豪パン家の御曹司に嫁いだ姉の面倒を見るため忠良は蘇州の大家にやってくる。そこには旦那様の娘である如意とその遊び相手である端午がいる。忠良は姉からの性的な虐待を受け(この辺りの描写はぼかされている)若旦那に砒素入りの阿片を用意して、屋敷を逃れる。忠良は上海に逃れ、そこで上海マフィアのボスの寵愛を受け、女を騙して金をせしめるジゴロに身を落とす。ある時、ボスから大家の女をものにするように告げられる。その女とは昔、忠良が逃げた蘇州のパン家の娘、今は当主になっている如意であった。忠良は如意に罠をしかけるが、如意の傲慢で、一本気な純潔さに気おされていく。如意は忠良を愛し、自分の魅力が足りないのは女ではないせいだと考え、使用人の端午に自分と寝るように命令ずる。忠良は如意を愛するが、そのまま屋敷を後にし上海へ戻る。上海のクラブまで追いかけてきた如意だったが、忠良がもう愛していないと告げると冷めた目をして去ってしまう。忠良は耐え切れずに蘇州へ戻るが、如意にはすでに婚約が決まっていた。忠良は昔、義兄に渡した砒素入り阿片を如意に渡し、如意を廃人にしてしまう。


陳 凱歌, 葉 青
花の影


大家の娘である如意の一本気の傲慢と捨て身の愛情、傷つきすぎて何も感じなくなった忠良、如意への思慕とその虐げられた身分ゆえの屈折が愛憎に変わっていく端午のその微妙な感情のすりあわせがたおやかに渦巻いている。蘇州は長江の南に位置する都で、古くから絹織物で栄え、マルコ・ポーロに東洋のベニスと呼ばれた風光明媚な土地柄。水のゆらぎ、櫂の音、船の滑る様子が静かな悲しみを称えている。おそらくはパン家も絹織物で富裕した大家で如意が豪勢な絹織物を惜しげもなく注文するシーンなどもある。如意が自転車の練習をするところや、大きな提灯をいくつも捧げた埃っぽい部屋で忠良と出会うシーン、忠良に片方のピアスを奪われて、もう一つを黙って差し出すシーンなど、心に残るシーンがいくつもある。とりわけ如意が廃人になって使用人が立ち並ぶ屋敷の長い廊下を車椅子に乗せられ通ってくるラストは救いのなさが衝撃的。

レオス・カラックス

非常に影響を受けた映画。とにかく残像が頭に飛び散って離れなく、しかも日を追うごとに映像が濃くなってゆくという魔的な映画。映画(俳優も含め)は筋書きではなく語りえぬことを語るものであることを教えてくれた一作。いまだにこの映画以上のラストシーンはお目にかかっていない。舞台でなんとか再現したいものだといつも思っているが当然未だ至らず・・・・。
20年で4作という寡作の監督、映画の神童、レオス・カラックス。名監督を何人も輩出したフランスの伝統ある映画評論誌「カイユ・デュ・シネマ」で批評を書き、「ボーイミーツガール」で鮮烈なデビュー。代表作の一つ「汚れた血」のラストシーンはフランス映画界を転覆させたという代物、ちなみに私も仰天した。「ゴダールの再来」とのフランス映画界にして最高の賛辞を送られているが、私はこの「汚れた血」に関して言えば、ゴダールよりも優れていると思う。敬愛するソンタグは何度も見れる映画こそ優れたものだと言っていたが、私は一度見て忘れられない映画こそ優れたものに思われる。

アミューズソフトエンタテインメント
汚れた血

彗星が地球に近づき異常気象が発生する地球。アレックスはいかさまのトランプ師。煙草の吸い方までまで真似し、一度も振り向かなかったからという理由でバイクから飛び落ちるほど狂信的にアレックスを愛する彼女。ある時、金庫破りの名人であった父親が亡くなり、その仲間からアレックスに親爺の仕事を受け継がないかという電話が入る。それはSTBOという流行の感染症の特効薬を盗み出すというもの。彼女を置いてアレックスは去る。彼女が、逃げるアレックスを追いかけるシーンは物狂おしく二人の間にある膨らんだはちきれそうな距離が痛い。その後アレックスは父親の仲間と合流する。その時に一緒にいた仲間の彼女、アンナにアレックスは恋をする。当時監督の実際の恋人、ジュリエット・ビノシュが演じる。どうにもならぬ恋、熱した地球、デビット・ボウイ「モダン・ラブ」の音に乗ってアレックスがジャンプしながら疾駆するシーンは今にも爆発しそうな押し殺した気持ちが伝わる。逃走準備のためパラシュートの訓練を受けるアンナ、そのまま失神してしまうのをアレックスが助ける。STBOの入手に成功しながらも、それを狙う大物の老女に撃たれるアレックス。車は走行し続け、血を流し続け死んでゆくアレックス。そんな車両の後ろを、狂気的に彼を愛した女がバイクで追いかける。



胸の痛み、爆破しそうな孤独、狂信的な恋、望むべくもない想い、つかめない夢、静かな絶望、声にならない激しい抵抗、疾走、疾駆、ナイーブで鮮やかで、この映画の感想には沈黙が似つかわしい。

時計じかけのオレンジ

1971年 英 

ユダヤ系、ニューヨーク生まれの奇才。サディスティックに凝りまくったオブジェ・デザイン・ライト。チャップリンとエイゼンシュティンをこよなく愛するカメラマンあがりの映画人。とにかく完璧主義者ですざまじい根気とこだわりでカメラに向かい、また編集も徹底的にやりこむ監督だった。この監督は特に音楽の使い方がゾクっとする。ジャズをやっていた経歴からか、幅広いジャンルからこの時にこの選曲を?という意外性があり、それがまたあまりにもかっこよすぎる取り合わせである。激しい音楽をかき流しながら、映画に沈黙をもたらすことの出来る天才である。この「時計じかけのオレンジ」の中でも主人公のアレックスがミュージカルの「雨に唄えば」を口ずさみながらレイプに及ぶという震撼シーンがあり、この歌の演出があるからこそ誰もが知る名シーンとして知られている。



ワーナー・ホーム・ビデオ
時計じかけのオレンジ

?

日々乱暴狼藉を日課とする不良少年アレックス。ベートーベンの第九を愛し、麻薬入りミルクバーに通う。彼はある時、仲間に裏切られ服役するはめになる。そこで受ける人格改造プログラムとは・・・

?

ちなみにこの原作も粋なディストピア文学である。ロシア語と英語のスラングを混ぜて新しいナットサッド言葉を使った文章は、激しく息づき、ビジュアル的なものを濃く想起させる。

Suzanne Vega

Suzanne Vega
Solitude Standing

88年に日本でも大ヒットしたバラード「LUKA」はスザンヌの代表作である。My name is LUKA で始まる殺伐とした詩はルカという少年が虐待にあっている設定で、「争う音が聴こえても、何も聞かないでね」と歌う。感情を押し殺して、ただ淡々と歌い上げるニューヨークの風景・・・それはただ流れていく日常の風景の中にある虐げられ、歪んでいくものたちからの告発である。




「レミング」 世界の涯まで連れてって

壁が消滅し、個と他者、現実と夢の境目がなくなってしまう。破滅を背に死へと旅する我々の後姿をレミングの大量自殺の神話になぞらえて描く。青森出身、日本演劇界が誇る天才、天井桟敷、寺山修司の代表作の一つ。



                                

寺山 修司
寺山修司幻想劇集


1 観客は都市に近づく
2 壁が消える
  中華料理の見習いコック、ワンが焼き豚の作り方をさらっているとき、部屋の壁が消えて金星と交信を試みる兄弟が見える
3 囲碁の都市計画
  消えた壁を訴えにきたワン、大家が四人もいて囲碁を打っている

大家1 その壁を
大家2 証明するものは
大家3 まず理性の高さである
大家4 一つの監房は
大家1 四枚の壁によって
大家2 構成される
大家3 四枚はいずれも
大家4 同面積
大家1 同一寸法
大家2 しかも立方体であると
大家3 想像される
大家1 どのマス目も独房であるから二人以上はいることは出来ない 房の数は四季九十ずつで三百六十日 一年は三百六十   

五日であるから わずか五日の猶予が与えられる。官房すなわち 深志の立方体は 出口のない密室であり 壁面には釘の頭ほどの手がかりもないので 蝿男もよじのぼることができない 仮にその壁に番号をふると 壁1は壁2の過去であり 壁3の父である 壁2は壁1の鏡であり 囚人の記憶の崩壊過程である 壁3は果たして侏儒の動詞形たりうるか 影の都市 壁4の覗き人 壁2を裏返しエーテル星座表に顔を伏せる。

4 四畳半の天文学
  ワンが帰ってくると品川区役所五反田出張所の「はじめに在ったようにあり、そしていまでも在りつづける」係りが壁の位置を図っている。そして仮の壁としてサルトルの「壁」という本を   
  置いていく
5 もぐら叩き
  四畳半の下からワンの母親が顔を出す。付き合っている女の子についてつべこべ言い、あげく孝行、従順、愛慕、母恋・・・と叫び続ける母親をもぐら叩きで打つ
6 噂
  下宿屋の空き家に住んでいた人物について、あれこれ噂がなされる。
7 屋根裏の散歩者
  下宿屋の屋根裏に夜毎登場する屋根裏の散歩者
8 タンゴ
  往年の大スター、影山影子がフィルムも入っていないカメラを前に「鉄路の情熱」を演じる
9 頭足人
  五反田の他人同士が失われた壁を探して歩き回る
10 リヤカーの惑星
  保健所員がいらない用済み年寄りを引取りにくる
11 遊戯療法
  患者が遊戯の規則に則って医者ごっこをしている
12 間奏曲
   囚人が絵に描いたドアを押すと、本当にひらいてしまう・・・
13 行きすぎよ、影
   キチガイの俳優達がピストルを放つと事実が死ぬ
14 ラッテンケーニッヒ
   鼠のような黒帽の他人たちが蠢く
15 夢のネズミ算
   母親は息子を自分の夢の中に落っことしてしまう。しかしその母親の夢にも見知らぬ人が訪れて・・
16 死都
   
   王 「世界の涯とは、てめえ自身の夢のことだ」と気付いたら、思い出してくれ。おれは出口。おれはあんたの事実。そしておれはあんたの最後のうしろ姿だってことを。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・出口は無数にあったが、入り口がもうなくなってしまったんだ






球体関節人形

あたしは一体の球体関節人形

うまく歩けやしないし

うまく踊れもしない


アルカイックスマイル

見えないものに向けて


灯かりを灯しませう

魔物を見るために

レコウドをまわしませう

聴こえない音を聞くために

テエブルに腰掛けて晩餐を共に

静寂を喰らいましょう


ギシギシきしむ身体

誰かが指差して笑う身体

滑稽な球体関節人形


誰か

腕を外して

胴を外して

それから手にとり愛しんで


召し上がってくださいましと


一言


それから破滅

破滅を抱えた身体・・・・



The Cook The Thier His Wife & Her Lover

1989 英仏 コックと泥棒、その妻と愛人


高級フランス料理店‘ル・オーランディーズ’の厨房では少年が聖歌を歌い、素晴らしい腕を持つシェフが鳥の毛をむしる。料理店はゴシックの食卓画を思わす荘厳な内装。その料理店の常連客は残忍で愚鈍、下品を地でゆく泥棒連中、中でも首領のアルバードの野卑さは目を覆いたくなるほど。アルバードの妻、ジョージーナは冷たい肌色をした美しく洗練された女性、夫の下品さと暴力に耐えながら、しかし恐怖で逃げることが出来ない。ジョージーナは料理店に訪れるインテリジェンスな学者、マイケルと眼差しを交わし、トイレットのコンパートメントで情事を重ねる。ところがある日、長すぎる離席を疑ったアルバードに浮気が発覚し、二人は料理長の協力によって腐った食材の詰め込まれたトラックで逃げる。ところが居場所が発覚し、愛人のマイケルは書籍を口に詰め込まれ殺されてしまう。ジョージーナは復讐を決意し、マイケルを丸焼きにすると夫をピストルで脅してその肉を食べさせる。食前酒を注ぎ、丸焼けになった性器を口にするよう脅迫するジョージーナ。カニバリズムの恐怖に震えながらナイフで腹部の肉を切り分け口に頬張ったアルバード。瞬間、「人食い」と叫んでジョージーナの銃から銃弾が放たれる。


                                 

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
コックと泥棒、その妻と愛人

?シーンごとに色彩を変えるピクチュアレスクな映像美。音楽はオペラ・映画など数多くの音楽を手がけ、生存中の音楽家の中でも最重要人物であるミニマルミュージックの巨匠マイケル・ナイマン。衣装は日本でも人気のある鬼才ジャン・ポール・ゴルチエ。醜美渾然一体となって腐臭と芳香を同時に匂わす、ピーター・グリーナウェイ渾身の傑作。



Tori Amos


英国ではナショナルチャートの常連だそうだが、日本ではあまり知られていないように思われる。エモーショナルで官能的な歌声、シュルレアリスムやゴシックの香りがする歌詞。アニマルの・・・野生的で雌的な、時に発情期のようなピアノが凝った美しい旋律となって響く。唯一性が高い孤高の女性アーティスト。


Tori Amos
Boys for Pele

ワードローブ

ワードローブの中はヘル・ヘブン

扉をあけたら中は塗りたくった虹色で

スネイク女が叫んでいる

2ミリ大のピアノから流れる

莫大音量のチャイコフスキー


壁に消えるゼブラ

天井に滲むサソリ

流星にぶち抜かれた穴という穴から

下着姿の老女が見える

紅色の口紅


ワードローブの中はヘル・ヘブン

あんたをここに閉じ込めたい。




無題

心臓に薄い切れ目を入れて

ぱっくり 口をあけて ニッコリコ

こんにちは


今夜も悪夢がやってくる

スキップしながらやってくる


わたくし・・・頑是ない、大人になりました




Paging Navigation

Navigations, etc.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。