刺繍草紙

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新しいリアル 伊東豊雄


原始と未来を同時に髣髴させる計算されない有機的建築物。伊東豊雄の建築は 時を経て侵食された洞窟の内部とか、時を経て風化された砂漠、もしくは赤血球の球体やヘモグロビン、DNAの螺旋など生物の内部イメージを彷彿させる。その隆起や空洞でもって未知なるはるか古代へ、同時にそれから伸びる未来へと伸びるならだらかな感覚を導く。彼の場合、美や居心地のよさに対して対峙したものを作るというより、従来の美や快適さの概念を覆し、新しい居心地の良さを提案している。


彼の建築物は視覚を通じて触覚に働きかける。それは「やわらかさ」「なめらかさ」「なだらかさ」といった包み込まれるような、有機的と書いたが、あたかも建築物が呼吸している地球や生物という母体内部感覚の居心地のよさである。彼の発想の素晴らしさは同時に風、地形、流動、交錯を建設すること以上に、設計技術の素晴らしさでもある。


?展示物~

洞窟内部、身体機関の内部を思わす有機的な台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト、応募案の模型無尽蔵に組み合わされた線による四方体 サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2002 模型代表作に角度を変えた幾つもの細い支柱で支えられた画期的な設計構造を持つ仙台メディア・テーク。映像等


http://www.operacity.jp/ag/exh77/

オペラシティ・ギャラリー

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「ゴシック」 ケン・ラッセル監督



世紀末、スイス湖畔に別荘を構えるイギリス人貴族、バイロン邸に美しい詩人シェリーとその恋人メアリー、そうしてバイロンに恋をしているメアリーの妹、クレアが遊びにやってくる。おりしも館にはバイロンの掛かりつけである奇妙な医師がいる。五人は阿片をくゆらせながら退屈を紛らわす様々な不道徳な遊びに興じる。奇をてらった遊戯にも倦んで、物足りなくなったころ、それぞれに怪奇談を作り披露することになる。亡霊を呼び出すという儀式に興じる四人。悪霊が妹の体に取り付き、館は魔物の影に恐怖の渦に巻き込まれる。正体不明の怪物が窓の外に姿を見せめくるめく悪夢スペクタクルが展開される・・フランケンシュタイン伝説に想を得た大胆な芸術的もしくは趣味的作品。

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まさしく耽美的。ゴシック・ホラーそのもの。ワイルド、ラディゲ、ビアズリー、ユイマンス…豪奢で絢爛、快楽・・・19世紀末退廃芸術への傾倒がある。世紀末美術共通の悪徳への愛情、狂気や恐怖感情への賛美がちりばめられ、胎児、骸骨、阿片、自動人形、豪華なディナーテーブル、ヤギ等・・次々出てくる小道具、衣裳、骨董や調度に対するこだわり、ゴシック、異国情緒趣味も徹底されている。観客をとってくったような嘲笑い的な、あえてB級を恐れない豪胆さが非凡な発想から展開され、作品をスペクタクルに彩度の鮮やかさにしている。クレアがベットで眠るシーンなどは、ゆれるカーテンや剥き出した腕の形などは寝台に横たわる美女の絵画の数々を思わす。その豊穣さにおいて満足できる映画。









ボリス ヴィアン うたかたの日々(日々の泡)

39歳で夭折したボリス・ヴィヴァンのこの著書は彼の生前は殆ど評価されなかった。哲学・ジャズ・絵画・ファッション・料理など様々なパーツを組み合わせながら、イマジネーションとセンス漂う唯一性の高いこの奇妙な絵画小説は、彼の死後、コクトーやサルトルの評価により注目を浴びることになった。

ボリス ヴィアン, Boris Vian, 伊東 守男
うたかたの日々

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(STORY)

コランの恋人クロエは胸に睡蓮の花が咲くという病気にかかる。クロエの治療のためには高価な花の匂いを嗅ぐ必要があった。憔悴していくクロエを見つめながら、豊かな生活を失い慣れない労働にやつれていく無垢なコランと二人の愛がひたすら切ない。並行してすすむパルトルの著書に夢中になって恋人を忘れていくシックとそれをじっと見つめていることしか出来ないアリーズとの胸苦しい恋も痛ましさを掻き立てる。

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「うたかたの泡」の唯一性の世界とは・・・

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???? 鮮やかな色彩感覚と繊細なファッションセンス

 白のスカートと黄色のセーター、鮮緑色の絹スカーフ、アーモンドグリーンのウール・・・

(フランスの雑貨やトリコロール、アメリなどを連想させる繊細なファッションの表現)

―セロファンのブラジャー、小さな純白のパンティーと靴下のほかに、彼女は二枚がさねのモスリンを纏い、ゆったりとしたツル折のヴェールを肩からすべらし、顔はすっかり包み込んでいないのであった

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???? 心理を表す独特の動的景色、リズミカルでナイーブ、時に激しい心理に幾何学的な無表情さを与える

車が心臓曲線を描いて停まる、噴射推進式の蛙の実験台、迅速な側面運動によって移動する等・・・

―力のかぎり彼は走っていた。すると、彼の目に入る人々が、のろのろと前かがみになり、大きなボール紙の箱を落としたような響きのない音を立てて、舗装道路に将棋だおしに倒れていくみたいだった。

コランは走りに走った。家と家とのあいだにせばめられた地平線の鋭角が自分の方に突進してくるのだ。足もとは、夜になっていた。形の定まらな無機質のような黒い線の夜で、空は色調のない、もっと鋭角の天井だった。そのピラミッドの頂点目ざして彼は駆けていた。地域ごとに少しずつ暗さがすくなくなってくることが心のささえだったが、彼の街までは三つの街があった。

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???? イマジネーションを刺激する新語

カクテル・ピアノ、心臓鋏、など現実にはないパーツが多々でてくる。ジャンポール・サルトルはジャン・ソール・パルトルに捩っているという現実から少しぶらした表現もユニーク。

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???? 残酷さと滑稽さ

スケートリンクで団子状に絡まって死ぬ人々、貧民街の痛ましさ、失われていくお金、主人公にとっては滑稽な出来事が次々起こるが、読者から見ればその意味するところは非常に残酷である。冒頭に「かわいい女の子とデューク・エリントンの音楽以外はどうでもいい」とあるがその言葉そのものがこの世界のアイロニーを代表している。

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???? メランコリー

ストーリーは胸が締め付けられる哀しみで溢れている。彼ら、彼女らは愚直で、生真面目で、愛すべき人物達である。彼らは苦しみながら恋をし、夢中で獲得し、夢中で喪失する、陥る無気力すらも全力を賭けた命がけの無気力であって、彼らの中には青春の必死さが投げ打つあがきある。その無為の必死さは読者の涙や愛を獲得するに相応しいものである。

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浮遊する現実感

現実感のなさと共感(現実とのリンク)とが交じり合って、この本は一つの世界観の完成を見ている

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―彼女は本屋の傍らに寄ってハンカチを落とした。本屋はそれを拾おうとしてめきりという音を立てて、背をかがめた。その背中にアリーズは素早い動作で心臓鋏を突き立てた。彼女はなにだを流し、震えていた。男は顔を床につけて倒れた。彼女はハンカチを拾い上げようとしなかった。ハンカチを男の指が締め付けていただの。心臓鋏をひきぬくと、ひどく小さくて淡紅色の本屋の心臓が、二本のつかみ柄にはさまれて出てきた。つかみ柄をひらくと心臓は本屋の近くにころがった。急がねばならないのだ。




ボリス ヴィアン, Boris Vian, 曽根 元吉
日々の泡


パパ・タラフマラ シンデレラ

パパ・タラフマラ 「シンデレラ」

六本木 スーパーデラックス?

公式サイト↓



最近見た中で一番素晴らしい感動的な舞台だった。

アイロニーの込められている仕草、猥雑さ、軋み、セリフや音楽の不快さは清濁混交で油と泥の塗りたくった都会の肌の官能を現出されるよう。ニューヨークの自由の女神やドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を連想される半裸の女性によるスローモーションの構図、悲鳴に似たノイズを発する大量の鼠、闘牛やフラメンコをかたどった舞踏会のダンスシーン等・・雑多で猥雑な中から醸し出される「官能美」が芸術的で素晴らしい。

デザイナーが手がけたという衣装は洗練と芸術性を兼ね備えたデザインで日常から切り離された感覚を生み出すのに最大の手助けをしている。

小道具は等身大のガラスの靴、大きな傘の骨組みと切り離された四つの車輪のパーツで作られた馬車、12時を告げる時計、舞踏会の華やかさを連想させる人力で発光する電球一つ、これらは想像力を最大限に掻き立てる類のもの。

身体表現を機軸とする演劇には珍しく、表情は全て過度に作っている、身体も極端に歪めたり捻れたりするもので、その辺りは舞踏の要素があるが、身体のポジションは高くジャンプや回転などは西洋バレエ身体に比重が置かれている。俳優の身体は非常に訓練され、ダンサーの身体として一流でありながら、セリフや歌も含め演劇という部分を蔑ろにしていない。

細部はともかくとして全体として、この舞台が素晴らしいのは想像力の余地に溢れてかえっているからである。私が思うに、舞台は我々の常日頃死に絶えた不必要な感覚を刺激し、増幅させるものであればあるほど素晴らしい。優れた舞台というのは客の頭の中で何が生み出されるかであって、舞台で何を生み出すかではない。


演出の小池博史氏は以前、建築家を目指していたらしく、「演出プランを秒単位まで緻密に構造的に計算して設計する」といったことを語っており、非常に参考になった。以前にビデオでパパ・タラフマラの作品を観ていたのだが、その時はストーリーの難解さが目立って「感じる」よりも「理解する」部分に比重が置かれてしまったため、官能性に乏しいと感じていたが、(もちろん実物を見ていなかったというのも大きな要因であるには違いないが・・)今回はストーリーもシンデレラという非常にシンプルで既知のものであったために、演出も受け取り手も同様、滲み出る部分に直接焦点をあてることが出来て、本当に素晴らしかった。

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パパ・タラフマラは82年創設。ベネチア・ビエンナーレ、ベルリン芸術祭、などの海外の主要フェスティバルに参加、海外でも高い評価を得ているパフォーミング・アーツグループ。

―「変化を欲する意識」こそがアートの生命線であり、舞台芸術の、かつパパ・タラフマラの可能性は、まさに無限大なのです。(「シンデレラ」パンフレットより)




チェーホフ記念モスクワ芸術座公演 リア王 

12・21~12・23 新国立劇場中劇場

演出:鈴木忠志
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:モスクワ芸術座

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http://www.jpaf.or.jp/



その現代日本演劇界の巨匠とも言うべき演出家の鈴木忠志とリアリズム演劇の歴史を誇るモスクワ座との共同制作は2000年にはじまり、数本の共同作品を作っている。

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鈴木忠志といえば、世界の前衛舞台を取り入れる数少ない急進的な演劇人として、日本演劇界の活性化を推し進めた人物である。独自の解釈で思い切った演出方法を取り入れた優れた演出家で、有名なスズキ・メソッドの創始者である。スズキメソッドは日本の能舞台・歌舞伎など古典芸能の型を取り入れて、すり足の姿勢で腰を低く落として演じられる、身体、発声などを機軸とする厳しい身体作りで有名である。

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流石のモスクワ座の俳優陣営は言葉が分からなくても覇気として空気を振動させて伝えてくるのだから素晴らしい。公正に見たかったが、その歴史と近代演劇の始祖とも呼ぶべきモスクワ座に期待と偏見を持たずに観ることは無理である。歴史を背負いそれに耐えうる迫力の演技に拍手を送りたい。

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衣装は日本の紋付はかまの型を基本にデザインした装束で、白ナース衣装も登場する。小道具や美術はほとんど登場せずに抽象的なものに留め、劇中のリア王は車椅子に座っている。リア王の長女、ゴネリル・リーガン・そして末娘のコーディーリアは全て男性俳優が演じている。日本の女形のような女性的な型も西洋リアリズム演劇における女性性のリアルもなく、どちらかと言えば鈴木メソッドによる荒々しく男性的な動きが主である。リアリズムの系譜を継ぐモスクワ座で俳優があえて女優を演じるということに不必要な詮索をしてしまいそうになるが、あえてそれは日本や西洋演劇の古典法則に乗っ取ったようだ。リア王の子供が息子ではなく娘だという所には必要以上の注意を払われていず、どちらかというと無機的であるが覇気のある演出で、空気に豪胆な揺さぶりをかけ客席に伝える。

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この地球が病院で、世界に住む私たちは患者であるというのが鈴木忠志の世界観だそうで、リア王の演出もその視座から描かれている。普通のリア王のストーリー上に、病院が出てきたり、ナースが出てきて突然笑い続けるなどのシーンが組み込まれている。刺激的な要素に乏しく、それは鈴木メソッドがモスクワ座の俳優陣営とひとまずの完成を見た後、むしろ形骸化しているのでは?いわば型に堕しているのではないか・・という疑問を抱かせた。メソッドによらない自由度の高いリア王の方が舞台としては面白いのではないかという予感があった。とはいえ、舞台上で直角に曲がる鋭い動きや、すり足、歌舞く動作など随所切れ味のある型の面白さは型として必見の価値があった。 (




チェックポイント黒点島 燐光群


1213日(水)~19日(火)精華小劇場

公式サイト↓

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/



日本の代表的な作・演出家が関西にやってくるということ、竹下景子、渡辺美佐子といった有名な女優が出演しているということも、注目しており、ベテラン俳優陣営とレベルの高いスタッフワークも素晴らしかった。会場には普段よりも高年齢層の観客が目立ち、ほぼ満席状態で、高い年齢層にも質の高い演劇を好むファンの人人が埋もれていることを知った。

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氏はパンフレットで「どこか別の世界にもう一人の自分がいて、全く違う人生を生きているという想像力がある。」と述べている。また村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を例にとり、「似た発想によって成り立っている。小説の舞台になっている二つの世界を擁した街は、明らかに二十年以上前のベルリンがモデルになっている。私もかねてから「ベルリンの壁」に関わる芝居を作ろうと思っていた。」とも書いている。

そうして最後に「五年前、ニューヨーク貿易センタービルの出来事以来、世界は空にも境界線を強く意識するようになった。空港でのチェックの厳しさは、たんに危機を想像させるということ以上に、私たちにむなしさとさみしさを味あわさせる。現実に圧されることなく、チェックポイントというものを、ネガティブでないイメージで捉えることは出来ないだろうかと考えている」という言葉で結んでいた。作品は難解だが、このパンフレットの言葉で凡その概要はつかむことが出来るという印象だ。

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話は非常に複雑でまた解決のなされない部分が多い。ある日、対馬沖の海上に新しい島が浮かび上がる。それを最初に発見した科学者夫婦は島に小屋を立て、太陽の黒点観測所として活用する。長崎の「対馬」。日、台、中がそれぞれに領土を主張する「尖閣諸島」。日本と韓国の間に領土問題が存在する「竹島」などの領土問題を中心に、各国間に存在する様々な領土問題やベルリンの壁などを絡ませながら、ヒロコという三人の女性とその家族の間に横たわる複雑な問題も並行に表現し、世田谷殺人事件を彷彿させる事件を描くなど個々人の精神的領土の問題も扱っている。独立した場所として存在する黒点島がそれらの個人的、社会的問題に対して、対峙する部分として描かれているだけに、問題の数だけ、その対峙体である黒点島も様々な意味の層を用意せざる得なくなってしまい、理解に難かった。非常に情報過多で、特に社会問題に意識的ではない私自身の状況もあってか、処理速度は当然間に合わず、未解決の情報が蓄積され続け、混沌の印象のもとに公演が終わったという感じだった。それが現在の情報過多で理解速度すら及ばない問題が集積する社会であるのだといった印象を作者が意図していたのだとしたら、敢えてこの形をとったものかもしれないとも思われる。ラストは「どこでもない場所から独立した場所として」呼びかけがなされ、理想像とも何ともいえない、あらゆる主張を拒むような曖昧な形で終わる。

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坂手洋ニは、社会問題を扱う国内では稀有な優れた劇作家であり、岸田戯曲賞をはじめとする各賞を総なめにしている。戯曲では何度か目を通したことがあり、戯曲として触れても難解であるのに、舞台化することに何か意味があるのかと感じていた。つまり社会的な訴えや意見をより明確に実現していくためには舞台ではなく、主張として紙面を作ることや、実際的な署名など、もしくは政治活動の方が理にかなっていると感じていたためだ。だからこれほど明確に問題意識のある社会劇というのが昨今、稀なのはそうためではないかと私は感じていた。今回、始めて見て舞台でなくてはならない必然性を感じた。実際に演出された作品を見て、社会の問題を、あえて奇妙な言葉を使わせてもらうとしたら、「匂い」として処理したいのだと感じた。曖昧で処理出来ぬ部分を抱えていることが重要であり、それが肉体や呼吸を介在した舞台作品として提供することでより氏の感じている感覚に近くなっているのだという気がした。そうして最終的な方向付けは結局、論理に導かれ結論による処理ではなく、感覚や直感による観客の感性に、または作家を含む、俳優や劇場空間を含めた大きな運動体がこの作品を表現していく過程を通じて自然に生み出される方向付けに委ねられているのだと感じた。




楽園狂想曲

次回作品 

    劇団レトルト内閣 第13回公演 

       「楽園狂想曲」

 芸術創造館 2008年8月


あけがたの汚れ星、右から左に剃刀でまぶた契りました。はっかの匂いのする冬の夜を犬みたいにクンクン嗅いで・・

思うことがすべて!ノイズ!

にっこり微笑む彼女の瞳にピンクのラメ入り心臓。あなたのフォビア、あなたがエキピュリアン、快楽のイデエ抱いて、朝まで眠ってあげるよ。・・・あなたの瞼の中の悪魔が見たい!


・・・明け方にあなたを蝕む・・・月食病・・・


病める恋、次々に起こる殺人事件、世界を覆う病原菌・・・謎が幾重にも絡まって・・・このウイルスの正体を掴め!


劇団レトルト内閣 公式サイト↓

http://www.retoruto.com/








hmp 「Rio」

hmp 「Rio」

日時 11月23日(祝・木)~11月26日(日)
   11月30日(木)~12月3日(日)

場所 精華小劇場

公式サイト↓

http://www.geocities.jp/hmp_director/



(岸田理生)

28歳の時、寺山修司に見出され、「身毒丸」や「草迷宮」などの傑作を共著する。寺山から独立してからも精力的な活動を続け数々の名作を生み出す。「糸地獄」岸田戯曲の代表作の一つ。岸田文体とも呼ばれるべき独自の詩的な文体を持つ。

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(糸地獄)

大正時代。製糸工場にやってきた繭という少女の母探しの物語。繭は「アタシ」を探すために糸を繰る、糸の先は仏壇の奥に繋がり、家という断ち切れぬ因習が伸びている。「糸屋」の裏側は売春宿で、「オンナ」という名前の消耗品たちがいる。社会の裏側に追いやられ、虐げられ、消耗されながらに日本の華やかな近代工業の幕開けを支えた女工たちの魂が叫ぶ、イエとオンナとアタシと幾重にも絡まる因縁を、糸地獄を、紡ぎ続ける物語。

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(Rio)

岸田理生はジェンダー・・言い変えれば「女」であるということを、自我の主たる構成要素として堂々と表現する女性作家である。Hmpの演出家は、物語の核である女の滲み出る怨念や浅ましさや日本的な「家」という概念やそれを取り巻く魑魅魍魎のおどろおどろしさが根底に滲み出る物語に対して、無機的で西洋的で男性的な演出方法で挑み、違和の壁を存在させた。それが非常に面白い効果を生んでいた。hmpの一作前の作品、フランツ・カフカの「流刑地」を見に行った。それもまた身体や呼吸、音等を使い、不慣れさ、馴染みのなさ、いわゆる異化効果を意識した演出であったものの、抑揚のない筋書き通りという印象を受けた。それが今回は演出と物語の中での対立を出すことで、小気味よく突き放した部分が逆に岸田戯曲とは遠くなってしまった現代の感覚とマッチしていたりして興味深かった。演出は立体的で縦軸や傾斜を意識したもの、激しい呼吸によって空間を操り一貫性と小気味の悪い感覚を与える。


岸田 理生
糸地獄―岸田理生戯曲集〈2〉

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母1 切りますよ

母2 切りますよ

男1 何を切るんです?

男2 何を切るんです?

母1 縁の糸をぷつり。

母2 縁の糸をぷつり。

男1 切れますか?

男2 切れますか?

母1 できますとも

母2 できますとも

母1 糸がね、赤い真っ赤な縁の糸が結べないんなら、いっそ切ります

母2 糸をね、赤い真っ赤な縁の糸を結ぼうとするんなら思い切って切ります

母1 嫌気がさして喉ついて、

母2 ざんばら髪の母一人、

母1 恨みの鬼火を袂に入れて、

母2 虚空を切り裂き、

母1 母2 ええ果てますよ。

男1 驚かさないで下さい。

男2 驚かさないで下さい。

母1 嘘や冗談で、

母2 こんなことしません。

母1 本気です。

母2 本気です。

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繭 やめて、と私、叫ぼうとした。だけど声が出てこない。足も動かない。わたしのうしろで誰かが糸を引いて、私を地面に縫いつけてしまった。体の中で、両眼だけが自由だった。まぶたを開けても閉じても、どっちでもよかった。そうして私は、見たんだ。自分で瞼を開けっ放しにして、見たんだ。見たくはなかったのに、見たんだ。

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松 生臭い風 春の風 春風

梅 艶めいて風 春の風 春風

霧 息の匂いの風 春の風 春風

松 春風がね 裾から入りますと

梅 肌と着物の間で ぬくめられて

霧 乳と乳の間を通って

松 胸元から 立ちのぼるときは

梅 少しばかり汗の匂い

霧 ほんのわずか 肉の匂い

松 白酒 もう一杯 いかが?

梅 ほんのちょっとね

霧 ええ ちょっとだけ

松 酔心地 とろりの白酒 飲みますとね

梅 白酒の匂い いかがわしくて

霧 男の残り香に よく似て

松 胃の腑が もぞり 動きます

梅 足の裏が ふふ こそばゆいです

霧 嘘ばっかり ゆれるのは あそこ

松 あそこ

梅 あそこ

霧 ええ あそこ

松 どのくらい 嘘ついたかしら

梅 山程 海程 嘘の数

霧 重ねてきた 女暦の

三人 身の上話の嘘の数

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繭 陽に乾いた一本道に女たちがいる。私がいて、私の母さんがいる。母さんのうしろには母さんの母さん・・・母さんがどこまでもつづいている。数珠つなぎの母さんたちの体と体を一本の糸がつないでいる。その糸を切れと母さんたちが私に言う。うしろのうしろの正面、そこにいるのは、のっぺらぼうのあんただ。私の鋏は、ふところに隠れたきりで荒い風に吹かれたこともなかったから、何かを刺すしかないだろうと思っていた。でも、母さんたちが私に命じる。糸を切って、と私に言っている。うしろの正面で糸をあやつる、のっぺらぼうの盲にしろと。



補足・・・お世話になった方々の公演でした。お疲れさまです。

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