刺繍草紙

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ピアニストを撃て トリフォー

ポニーキャニオン
ピアニストを撃て〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選5〕

シコは深夜で突然車に襲われる。そこを助けられた男と歩きながらなぜか女房への愛情について語られる。ピアノバーへ逃げ込んだシコはそこでピアノを弾く兄弟。シャルリーを見出す。シャルリーはシコを逃がしてやり、一時的な騒動に陥ったバーでごまかすように奇妙な歌が歌われる。そこで働くウェイトレスのレナはシャルリーに気がある。それをバーの主人は妬んでいる。シャルリーは昔、エドワール・サローヤンという高名なピアニストであった。彼の成功の慢心と臆病の影で、妻の心が離れてゆく。

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妻「もう無理よ。夜が来るのを待つだけよ・・・」

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彼は彼の成功のためにプロデューサーと寝たことを告白する妻に背を向け、自殺に追い込んでしまった過去を持っている。

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サローヤン「よく考えるんだ。今なら間に合う。彼女に跪いて許しを請うのだ・・・。」彼が踵を返してドアを出て廊下を行った途端、背後でドスッという鈍い音。部屋に戻れば彼女はすでに飛び降りている。そのため彼はそれまでの生活を放棄し、さびれたピアノバーで働いている。

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シコのおこしたトラブルがもとで事件に巻き込まれるシャルリー。その中に巻き込まれるレナ。彼女は撃ち殺されて雪山を転がって行く。・・・再び目を覚まさない。

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冒頭でのピアノの鍵盤からつながる部品(木片)が音が哀愁の含まれたコミカルなメロディーを打ち鳴らし続けるという映像は、無意味に襲い掛かる人生への暴力的事件にも黙々と耐えねばならぬという印象を受ける。人生はユーモラスな忍耐と滑稽な苦渋に満ちたものだ。世界は解決を拒み、不意に突き落とし、不意に救い上げ、また不意に突き落とすという連鎖を繰り返す。それらの間に繋がりや理由はなく、我々は忍耐による重さと、軽薄な言動による軽さと、心と言動のあらゆる矛盾と一貫性のなさによってそれらを受け入れねばならない。

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トリフォーは原作から二つ翻訳し映画用に書き下ろしている。一つはこの作品「ピアニストを撃て」ともう一つはかの有名なゴダールの「勝手にしやがれ」である。これはトリフォーが書いて、当時まだ成功していなかったゴダールに与えたものだ。ヌーヴェルバークを代表する二人の巨匠の作品は、矛盾に満ち、未解決が目立ち、ストーリーは前後入れ替え可能に分断され無意味で、暴力的な運命に突然さらわれ、衝動と分裂に耐えねばならない・・・という意味で同じである。そのころから複雑化する現実の世界も解決するという方法を拒絶し、

無意味や無解決に真理を見出しはじめたのかもしれない。

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デス電所 「夕景殺伐メロウ」

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尿や汚物、精液、勃起など排泄を思わせるスカトロ美学が随所登場する。あたしたち飼いならされた野獣ですとか、マイノリティーですがどうぞよろしく、とか妙に客に対して舞台上での傍若無人やサディズムが行き届いているところがなんともカッコいい。妙な命令形で若干いっちゃってますけども・・・みたいな自分勝手さに客の好奇心を促す。客を威圧しながら、好きにやってますし、乗ってやっちゃいましょうよ、みたいなノリのよさをアピール、シュールな表情でおかしなことをどんどん繰り広げ笑いを巻き起こす、クールビューティー!アナーキー!野獣!やらしく汚らしく・・・そんな演技や歌、記号的ダンス、パンチの効いたグルーブ感が客席の押し隠された興奮を誘う。

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音楽は生演奏。この舞台の成功のほぼ半分は俳優に、ほぼ半分は音楽にあるといっても過言ではない。舞台にぴったりとそぐってあり、録音もきちんとなされてある。

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物語自体はシンプルというかほとんど粗い。放火殺人やブログによる人格形成や共感の渇望といったミクシィ病の類、萌え、犯罪の連鎖などの最近巷でおきる事件を背景に作られてあるが、それ自体を結びつける核心への探求が浅いため物語への共感や感動はほとんどない・・というより逆に遠くなってしまっている。演出は近年の小劇場の様々な影響を感じさせる。言い方を変えれば二番煎じが多いが、叩きつけるような意表を突いた、または意図通りにガツンとやってくる構成とキッカケ、手持ちのカードを繰り出す手並みが鮮やか。



http://deathtic.727.net/next.html








イキスギタリア 篠原有司男展

ボクシング・ペインティング:文字通りグローブに塗料を浸して、キャンバスにひたすら打ち付けてたり、擦りつけたりしていく。跳ね返る塗料を全身に浴びながら只管殴りつけていく様子が圧倒される。当時の美術界に何が芸術か?という波紋を投げかけた。現在74才ということだが、若者の数十倍も活力に溢れたおじいさんだ。

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「セザンヌについて語る二匹の蛙」19世紀印象派の巨匠ポール・セザンヌのリンゴとオレンジ・サント・ヴィクトワール山を背景に睨み合う全長4mはありそうな二匹のカエル。イボに覆われ突き出された足やギョロついた目が奇怪。

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彼の絵は鮮烈・炸裂・パワーの迸り。素早いドローイング、カラフルに殴りつけられた、また情緒や暗闇・喜怒哀楽さえ排除されていているためより「峻烈」に対して研ぎ澄まされた印象がある。

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「洛中洛外 京都・パリ・ニューヨーク」

わ!パリのメトロの入り口からオルレアンの聖女・ジャンヌダルク差アマが兎と蛙を同乗させ、騎馬姿での出現(チラシより)

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http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/art/now.html

晴れた日には

晴れた日の月曜日 ふたり 手に手をとって

胸のお墓にゆきました


君の背中がつくしんぼ 

目の中に、落ちる桜が銀雪崩


泪の枯渇 そんな跡地です




ベニスに死す

トマース・マンの文体は美を昇華させ神へと至らしめる。その驚愕、慄き、美の光の粒子を、一粒一粒、一筋一筋をあますことなく精緻な文体で表現する。主人公、アッシェンバッハはドイツを代表する文学者であり、快楽への堕落といった安易な傾向と決別し、全身を投げ打って、長い辛苦と鍛錬のうちに文体における芸術を追及することに費やしている。アッシェンバッハがこの小説を通じて問いかける「美とは、芸術とは何か?」というあまりにも高められた精神性を持つ問いかけが、少年に具体性を持ち備わった無垢の「美」という神のごとき超越体に脆く挫かれてしまう。その脆弱さ、その憔悴、それは彼が芸術に捧げていた辛苦が崇高

であり深くあればあるほど、そのたおやかさがすざまじい苦悩の表現となる。


文学者アッシェンバッハは作者トーマス・マンの人生を投影し、その問いかけ、その文体は傾向や、感覚、虚無への逃避といった安易な結論を許さない強靭な意思そのものである。文体を用いて、文学の成しうる限り、人類の英知を終結させて挑んだ美への圧倒的な奉仕と、それに対する無垢な美の圧倒性が天空の広がりと地上の黒点ほどの対比をなし、狂おしさを呼ぶ。


孤独と忍耐のうちに文学という芸術に挑む初老の著名な文学家、アッシェンバッハはふとした気の緩みからベニスへの旅を思い立つ。そこで出会ったオーストリアの完全な美を具現化したような少年タッジオに魂を奪われる。ベニスではシロッコが吹き、疫病が蔓延しはじめるが、それと知りながらアッシェンバッハはタッジオのためにそこを立ち去ることが出来ない。煩悶と憔悴を繰り広げ、一言の声も交わせないままに、アッシェンバッハは打ちひしがれ疫病に体を蝕まれ、息絶えてゆく。

トーマス・マン? ベニスに死す

                  ベニスに死す
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??????????????????????????  ?? ワーナー・ホーム・ビデオ
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ちなみにヴィスコンティ監督がこの作品を映画化しており、むしろこちらの方が有名である。映画では文学者は音楽家という設定になっており、文学に見られる思考の深さは薄められているが、さすが巨匠ヴィスコンティ生涯の愛読書であり、生涯の大作というだけあって、台詞を極力排除し、マーラーの音楽が全編に配し、退廃と妖艶を画面全体に芳し出すことに成功した素晴らしい作品になっている。


地下室のメロディ 1963 仏

アンリ・ヴェルヌイユ監督
アラン・ドロン ジャン・ギャバン主演


刑務所から服役を終えて戻ってきた初老の男シャルルは、同じく服役を終えて還俗している仲間マリオとともに緻密に企てられた犯罪壮大な計画を持っている。それは南仏最大のバカンス地、カンヌのパルムドーム、カジノの繁盛期の堵金を全て強奪するという壮大な計画。

?ところがマリオはすでに足を患い、計画に加担することが出来ない。この計画には若くて、体力のある男が必要なのだ。そこで  一年間服役を共にした青年・フランシスに声をかける。フランシスは若く貧しく、あらゆる現実に苛立ちを抱えた青春期の青年。青春の匂い経つような腹立ちと甘美さの代名詞、アランドロンが演じる。彼らは自動車屋で働く叔父を仲間に引き込み、偽造の身分証を作り、身分を偽って、超一流ホテルに泊まり、豪奢な暮らしを見せかけ、カジノに出入りする。フランシスはショーの踊り子に近づき楽屋裏に自由に出入りする権利を有する。計画は周到に準備されるが、フランシスはその踊り子との恋に夢中になって計画をないがしろにしてしまい、シャルルに計画の破棄を通告される。


再び仲を取り戻した二人はカジノの支配人がシーズンの売上金を地下の金庫に収納する30分の間、警報スイッチが切られる隙を狙って、排気口からエレベーターの箱の屋根から忍び込み、地下へと潜入する。


アミューズソフトエンタテインメント
地下室のメロディー【ワイド版】

二人は奪った金を暫く隠し、バカンスの残りを楽しもうとするが、警察の追っ手が迫ってくる。金を詰めたカバンを持ち、パルムドームを離れようとする二人。ちょうどその場所にカバンを記憶していると言う支配人が警察に調書をとられている。行き場を失った  フランシスは持っていたカバンを隠すためにプールの底に鞄を沈め。なにげなくプールサイドの椅子にもたれかかる。

カバンのふたは水中で緩み、中から徐々に札がはらはらと浮き上がってくる。それは水分を含みゆっくりふやけながらプールの表面を覆ってゆく。プール一面が札の絨毯になっていく様子を呆然自失で見つめているフランシスと椅子に固定されたまま微動だにしないシャルル。


前編、モダンジャズが流れいささか沈鬱で渋く、爽快な雰囲気を醸し出している。ラストシーンのために全てがあるような映画。全てが無に帰していく様子が、ある意味では滑稽に、シュールに、呆然と描かれていく。それは青春期の無謀な愚かしさ、不必要な消耗、思い通りにはならぬ現実、滑稽な真剣さ、無謀な挑戦、果敢さ自体への挑戦と疲労、といった類を現しているようだ。陰影漂う、フィルム・ノワール。



アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

映画「ブレードランナー」の原作になったF・K・ディックの未来小説。最終戦争の後、人類は放射能灰の汚染に埋もれた地球から、新居住地である火星へ続々と移住をしている。僅かに地球に残るものたちは何らかの事情を抱えた者か、頑固にここにとどまる事を主張するものか、もしくは汚染され生殖不全と判断され移住を拒まれた「マル特」「ピンボケ」と呼ばれる放射能に汚染され機能が完全に果たせなくなったものに限られている。


フィリップ・K・ディック, 浅倉 久志
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

動物の殆どは死滅の危機に瀕し、その荒廃した地球で主人公は屋上で電気羊を飼いながら妻と二人で暮らす。地球上では壊滅状態にある動物を愛しみ、機械ではなく本当に血の通った動物を所有することを一種の美徳とも呼ぶべきステイタスとなっている。電気動物は本物そっくりに精巧に製造され、富を持たない多くの人間があたかもそれを本物のように見せかけて飼っている。 主人公リックは、火星から逃亡してきたアンドロイドをバウンティ・ハンターである。火星でもアンドロイドは人間の心を紛らわすために精巧に人間そっくりの形に作られている。アンドロイド、いわゆる人造人間の製造は時を経るごとに精緻を極め、人間であるかアンドロイドであるかは容易に判別できない。人間そっくりに作られたアンドロイドは知能や、感情、人間と同じように個性を有しており、記憶装置により自らをアンドロイドと認識できないアンドロイドも存在する。現在は最新のテスト、フォークト・カンプル検査が適応されているが、それは技術革新との追いかけっこである。リックはアンドロイドを追いかける過程の中で、複雑な心境の揺らぎと不可解な感覚にとらわれていく。 ただ丘を登り続ける一人の老人が教祖であるマーサー教、人々がそこから得ようとする共感感情、感情をコントロールする装置であるムードオルガン、希少で高価な本物の動物を飼うことで何らかの感慨を得ようとする人間、。寂しさを紛らわすためにアンドロイドの所有。最新型アンドロイド、ネクサス6型、いくつかのオリジナルな状況を示した世界観の面白さに加え、感情というものへのいささか哲学的めいた問題が明示された深刻な種類のSFの金字塔。


?(冒頭)ーベットわきの情調オルガンから、アラームが送ってきた陽気なサージ電流でデッカードは目をさました。びくっとして起きなおり―急に目が覚めると、いつもびくっとなる―マルチカラーのパジャマ姿でベットから出て、大きく伸びをした。かたわらのベットでは、妻のイーランが陰気な灰色の目をひらき、まばたきし、また目をつむってしまった。「そっちのペンフィールドの調整が弱すぎんだ」リックは言った。

ニッポン vs 美術 近代日本画と現代美術:大観・栖鳳から村上隆まで

大阪市立美術館(仮称)心斎橋展示室より


明治・大正・昭和を通じてその代表的作家を紹介しながら現代日本美術への変遷をたどる


作品例


島成園  無題
大正期の女流画家。京都の上村松園、東京の池田蕉園とともに「三都三園」と称される有名な画家だそう。薄を描いた、水彩画タッチの淡くぼかした屏風を背に、はっきりした暗黒の着物を纏った女。着物から突き出た首が百合のように白く、それらの対比がぞっとする妖艶美を醸す。女は右目に大きな暗灰色の痣を持ち、無表情な冷淡さを宿した顔に描かれた痣が、滅びや恨みの情念を彷彿させ、異様な迫力を持って見るものに迫る。


しばたゆり MATERIAL PICTURE
描かれるモチーフを粉末状にしてそれを用いて動物や植物を描写してゆく。見出されながらに失われてゆく状態をつぶさに観察する感覚。絵は点描画のように細かい粒子で構成され、輪郭はおぼろ...遠くからはっきりと見出せるのに、近づくごとにそれは失われてゆく。対象物との曖昧な距離、遠くから見れば存在しているようであり、しかしそれは存在していない。あるいは遠くでのみ存在している。視界の悪さ、曖昧な残酷さ、捉えどころのない気持ちの悪さ、憂愁とも呼ぶべき浮遊感や虚脱感を醸し出す。


http://www.city.osaka.jp/kyouiku/press/h18/press060915.html



カロル・チャペック 「ロボット」

チェコの作家カロル・チャペックのSF戯曲の名作。「ロボット」はチェコ語のロブト(労働)を捩った単語で、この戯曲から生み出された造語である。このに描かれるロボットはロボットというゴテゴテしたイメージから受けるものではなく、ここではバイオテクノロジーによる人間に酷似した機械として描かれている。作者チャペックは、労働化している人間達に警告を発し、人間とはすなわちロボットではないかという所から発想を始めている。つまりここでは、ロボットも人間も同義的な存在としてその生存の意味を問われている。構成や台詞はいたってシンプルでありながら、断定的な表現を避け、決定的な結末を見せずに、矛盾を提示しながら、観客の想像力にある程度委ねることで、労働とは?感情とは?人間とは?という様々な角度からの視点を生み出させた優れた戯曲である。


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千野 栄一, カレル・チャペック, Karel Capek
ロボット


ヘレナはRUR ロンサム・ユニバーサル・ロボット社の製作所である孤島に人権団体の代表として抗議にやってくる。そこで出会った製作所のオーナーであるドミンに口説かれその島に 彼の妻として生活するようになる。ドミンは人間を労働から解放するために、労働するための機械であるロボットを製作する。ユートピアを夢見て突き進む人間が逆に子供を産み落とさなくなり、ロボットは感情を有し人間に近くなることへ人間との共感が持てると信じたヘレナによって感情的な機械へと進化する。そうして魂を得た、ロボット達は結束し、権利を訴え、人間を滅亡へと追い詰める。人間がいなくなってから、ロボット達は人間がいなければこれ以上の生産が不可能と知り愕然とする。最後に残った唯一の人間、アルキストにロボットのプリムスが自分を殺して生体実験をして、どうにか製造の秘密を見つけて欲しいと嘆願する。それを聞いた恋人のロボット、ヘレナは私を殺してくれと訴える。最後にアダムとイブになぞらえたヘレナとプリムスが愛と苦しみという感情を得て、楽園を出て行くという回帰的結末に暖かさと皮肉がある。


アルキスト 
きみの言うことはあまりにも楽園めいているよ。ドミン君、人に仕えることの中にも、何かいいことがあったのだし、屈辱の中にも、ある種の偉大さがあたのだよ。ああ、ハリー、労働と疲労の中にも、なんらかの徳目があったと思うね。

ドミン 
そりゃ、あっただろうさ。しかし、われわれがまずアダムから始めて世界を改造しようというときに、その過程で失われるもののことなんか計算に入れることは、不可能だよ。おお、アダム、アダム!もはやきみには顔に汗を流したあげくパンを食べるといったことはないのだよ。もはやきみには、飢えや咽の渇き、疲労や屈辱を知ることはないだろう。きみはかつて神の手がきみを養っていた楽園に帰るだろう。そこできみは、誰にも拘束されない身になるだろう。君は自己完成意外にする任務、仕事、心配事はなくなるだろう。きみは、万物の霊長になるだろう。


カレル・チャペッツク戯曲集? R..U.R ロボット(栗栖 継訳) より)

ジャン・ジュネ(1980~1986)「女中たち」


悪に対して従順で乙女のような謙虚な憧れと恥じらいをもって崇めるジュネ。墓場に、徒刑場に、泥棒に、貧乏に、人殺しに、裏切りに、同性愛に、美しい賛美と崇拝の念を持ち、サルトルをして聖ジュネと呼ばしめた異端派作家。投獄されるも彼の文学を評するコクトーやサルトルによりフランス大統領の恩赦を得るものの、刑を免れちっとも感謝をしないというそらおそろしい人物。その聖ジュネの代表的戯曲「女中たち」・・・ラシーヌに影響を受けたという古典調文体が宝石のように美しい暗黒戯曲の骨頂・・・


ソランジュとクレールの二人姉妹は屋敷の女中。奥様の留守に奥様の衣類をつけて奥様ごっこをして遊ぶ毎日。いけない遊びに耽ったり、旦那様を陥れて徒刑場に行かせようと企てたり、奥様の嘆く様子を見て喜んだり、奥様を毒殺しようと試みたりしている。二人は健気で愛らしく、罪深さを、淫らさ、汚らわしさを憎み、愛している。遊びの中、二人は次第に追い詰められ、また追い詰められる自分たちに夢中になりすぎて自ら毒をあおって死んでしまう。


―二人の女中が奥様ごっこをしているシーン

ソランジュ 
闇は闇でも地獄の闇です!知っております。先刻ご承知ですわ、その代名詞は。あなたの顔を見ていれば、お答えしなければいけないことがそこに書いてあるのだもの、そ
う、わたくしはとことんまでやりとうしてみせますわ。二人の女中がここにいる―ご奉仕の召使い!その女中たちを軽蔑するために、もっともっと美しくおなりなさい。あなたのことはもう、わたくしども恐れてなんぞはいませんわ。わたくしどもは、一緒に包み込まれ一つにまじりあってしまっている、そうですわ、わたくしどもの臭い息に、あなたを祀るお祭りに、あなたに対するわたくしどもの憎悪のなかに!わたくしどもは今こそはっきり姿を現すのです。奥様、いけませんわ、お笑いになっては。ええ、絶対にお笑いになるのはいけませんね、わたしの口のききようが大袈裟だなんて・・・
クレール  
おさがり。
ソランジュ 
それもまた。ご用を勤めるためですわ、奥様。そこでわたくしの手袋と、わたくしの臭い虫歯のにおいを取り戻しますわ。静まり返った中でごぼっという、あの流しの音。あなたには花がある。わたくしには流しがある。わたくしは女中です。あなたでも、少なくともこれだけはお出来にならない、わたくしを穢すことはね。


ー帰ってきた奥様がだんな様の不幸を呪って悲しんでいるシーン

奥様    
もうおしまいだわ。「魅惑の花」って題のついた、この美しいドレス。わたしの一番美しい「魅惑の花」よ。可愛そうに。ランヴァンがわたしのためにデザインしてくれた。わざわざ、特別によ。そうだ。あげましょう。クレール、お前にプレゼントするわ、これ!
クレール  
まあ、奥様、本当にくださるのですか?
奥様    
もちろんですよ。主人に二言はありません。


―陥れたはずの旦那様が保釈され、奥様が喜びいさんで迎えに出て行った後のシーン。

ソランジュ
このまま、びくびくしながらここにいるなんて、あんただって考えちゃいないだろう。奴らはあしたになれば帰ってくる。二人揃って。手紙の出処もばれちまう。何もかもばれちまう。何もかもだよ!みえなかったっていうのい、あの女の光り輝いた様子が!階段を下りていくときのあの足取り!勝ち誇った歩き方!あの女の残酷な幸せだって?あの女の喜びはすべてあたしたちの恥からできあがっている。あの女の勝利はね、あたしたちの恥の赤い色さ!あの女のドレスの赤は、わたしたちの恥の赤い色なんだよ!あの女の毛皮のコートは・・・畜生、持って行かれたよ、毛皮のコートは!


―毒を煽る前に感極まって長いセリフを喋るソランジュ

・・・・ベットを直すために身をかがめました、かがめましたわ、自分の身体を、床のタイルを洗うため、野菜の皮をむくために、戸口で立ち聞きするために、この目を鍵穴にこびりつけるためですわ。でも今は、背筋をのばして真直に立っている。しっかりと。わたくしは絞殺犯人。マドモワゼル・ソランジュ、実の妹を絞め殺した女です。黙れですって?まぁ、奥様、本当にデリケートでいらっしゃいますこと。でも、奥様がお可哀想でなりませんことよ。奥様のお肌の白さ、繻子のようにきめこまかいすべすべしたお肌が、可愛いらしい小さなお耳が、か細いその両の腕が・・・わたくしは黒い雌鳥ですよ、・・・・・死刑執行人がわたしとともに歩いていくのよ、クレール!死刑執行人がこのわたしと!彼女に従う行列は、この界隈の女中という女中、召使という召使、彼らはクレールを、彼女を終の住処へと送っていった。・・・・みんながわたしに喝采を送る。わたしは血の気が引いて、そして今、死んで行く。なんて夥しい花!素晴らしいお葬式ではなかったこと、クレール。・・・無駄ですわ、奥様、わたくしは警察の命令に従います。警察だけがわたしを理解してくれます。警察もまた、抑圧された、非人の世界に属しているのですわ!


ジャン ジュネ, Jean Genet, 渡辺 守章
女中たち バルコン ?より

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France_pan 「スペアー」 dependent theatre 1st

公園と部屋をシンクロさせる美術。中央円形の小さな砂場から砂が溢れ出て部屋全体を覆っている。舞台奥に大きなスクリーンを配し客席頭上に舞台を取り囲むようにしてジャングルジムや迷路、檻を連想させるタンカンを組んでいる。ブランコの鎖や水槽など拘束や緊張をイメージさせる道具が置かれている。客席は舞台を取り囲む形に組まれ、舞台と一体になるよう仕組まれている。


オープニングはスクリーンいっぱいに映ったファミコンのゲームを田中さんが無言でクリアしていく場面からはじまる。そこに同居人であるハルちゃんが登場し、田中さんと自分との関係について語り始める。爆発物を避けながら、迷路を抜けるゲームはこれから舞台でなされる出来事の全体像を象徴している。不自然な独白、不自然な関係性の中に会社に行くとか家賃を払うとかいうあまりにも現実的な内容が突如挿入される。セリフは「っていうか・・・だからさ・・・~なわけ・・・」などの接続詞で構成され、リアルでリズミカル。俳優の妙に弛緩した身体の動きもセリフに連動して、現在の緩んだ感覚をうまく表現している。


観客からの死角をあえて意図した舞台の組み方や、薄暗がりの演技など意図的な暗黒部の表現、カメラというフィルターを通して表情を映し出す等、舞台と一体である半面、覗き見的如何わしさもつきまとう。俳優がどんどん脱がされていって真っ裸で絶叫するシーンは普段は見えないものが見えるという恐怖や好奇心をあおって覗きの興奮をもりあげる。そういった卑猥さや残酷さを俳優二人に課す一方、女優には課していないところは残念。イジメられていたことを独白するシーンなど女優に関わるセリフや演技はありきたりで消化不良。変わって俳優に関するシーン、ボーリングでいつもつい高スコアを出してしまい、全部倒れるとむかついて仕方がない、とかボーリング場でバイトの胸ぐらつかんで、そのままバイトを抱えたてレーン突っ切ってピンに激突するとか、ドキュメンタリーを撮りながら露出願望と隠匿願望を垣間見せる男等の男性像がユニークで面白い。


現実が多面的であり覗く方向が違うことで様相が逆転することを随所に提示。あえて矛盾を作り、暴力・崩壊・欠落・激痛・衝動・拘束・開放などの感覚の断面を提示して一つのジャングルジム的な迷走世界へ誘う。劇場という暗黒空間や狭さ、箱に押し込まれている窮屈さ、演劇でなければ表現できない土くさい部分があり音楽・空間・映像などに必然性が随所感じられよかった。


最初のゲームのシーンはもっと暴力的でリアルな方がよかったのではと思う。最初のパンチが演技・演出ともに弱く、途中の衝撃シーンで押し込まれるはずが逆にひいてしまう。構成方法迫力のバランスや俳優の演技の問題、客との接点を捉えてながら脚本を書く、ストーリーを展開するという部分でまずく、客席にリアルな感覚をもたらすことを意図していると予測されるシーンで、逆に「自分は今ここに舞台を見に来ている」という妙にリアルな感覚を呼び覚まされて冷めてしまう。客が置いてけぼり状態が多々あり、接点がつかめないため感動がなく、もったいなかった。表現する内容が内容だけにもっと引き付ける仕組みを考えればいけない。


観劇からもっぱら遠のいていましたが、以前の「倦怠アヴァンチュール」に出ていただいた俳優さんが出演していて、かつロングランということで見に行って参りました。演出家のトークがある回もあったらしいのですが、聞かなかったので、製作意図などは明白に掴めてないのですが好きほうだい書いてすみません。関係者皆様お疲れ様でした。


明日までやってますのでピンときたら→http://frpn.com/


依存症

どうでもいいんだけど、猫の背中にでも凭れていたいよ

依存症のカルテ書いて、背中に貼り付けてください

あるいわ巨大掃除機ですっぽりと飲み込んでください

どうでもいいんだけど、巻き寿司の具は楽だろうなと思う今日このごろなのです


どうでもいいけど、誰か助けてください

ボール紙を切って貼ったような太陽の傍らで恋人たちが口付けを交わす木曜午後

国道二号線を戦車が走ってゆく.

よい天気なので苦悩を救い上げてタピスリー状にし、ベランダに干しておいた

そのままその存在を忘れて夜になったら湿ったの苦悩に月がひっかかってもがいていた

電話口から血がドンドン流れてきて床に水溜りを作っていた

その水溜りに顔を映したら、僕のくぼんだ目玉が浮き上がっていた?

墓地に植えたサフランに関する研究所

ウインドウズに浮かんでいるメディア・プレイヤーのアイコンをクリックして、青白い光を放つ画面が私を飲み込んだり食い尽くしたり、朧に浮かんで浮かび上がって溶けてゆく。画面の下にある再生ボタンの丸い円はカメレオンのようにレッドからグリーンへイエローからブルーへ移ってゆく。熱帯の、水槽の、宇宙の、光の、その丸い円の中に黒い二等辺三角形が右を鋭角として配置されている。三角にマウスを動かして指で軽く押すと画面は一際鮮やかな青を放ち、その音楽は響き始めた


(歌)
どこかで誰かが泣く声が聞こえるなら

幸せだと感じなさい

聴こえなくなったら、決してその声がなくなったわけじゃない

聴こえない自分を不幸だと思いなさい


青の光がくねったり、渦を巻いて、幾度も幾度も画面と言う液晶の虚空をやんわりなぜた。音の粒子が星の砂のせせらぎのように訪れる。あらゆることが茫漠としていて、世界は視力0,02で見た世界の様相である。

Paging Navigation

Navigations, etc.

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