刺繍草紙

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~戯れのための曲~『桃太郎礼賛~完全懲悪~ 』



シーン1 鬼が島へ向う小船の上での一行。
桃太郎の顔の半分は傷がある。熟れたイチジクの断面をボンドで貼り付けたようになっている。この傷は若い頃傷心旅行をした際にアンデス山脈の上で剥げたかの群れに襲われたからだとか、彼は若い頃中華の料理人であり、広東の料理屋で修行していた際、豚のポロポロ炒めレタス包みが上手く作れず、しかも間が悪いことにその激怒した師匠のキムに猫の目玉のように黒光りする巨大なお玉で殴りつけらうえ、巨大なヒキガエルの舌のごとくあたりを嘗め回すコンロの炎に豚肉を押し付けるかのように押し付けられたという説もあり、生まれながらだという話もあるが、いずれにせよ彼のその部分はそういった経験を十分に信じさせる凄みがあったため、誰も問いただそうなどとはしなかった。

キジは娑婆に出たばかりの老女である。夫殺しの罪で無期懲役をくらい彼女の言うところの地球の割れ目にほおりこまれたが、看守の娘にレース編みのピアノかけを作って模範囚とされ、去年釈放された。

 猿は死に装束をつけている、なんでも昔愛した女が鬼であったため、鬼が島へ同行するとのうわさだったが、彼はその女を殺しにいくのか、連れ戻しに行くのか、自分も鬼になってその女と添い遂げるのか、彼は芸能人のはしくれだったため、それに関するスケジュールをマネージャーが質問したが、一瞬黙って茶を啜っただけだったということだ。

 犬は忠犬である。彼は眼帯を撒いている。鬼ごっこの鬼となって敵を欺くためだ。鬼との精神的同一化を図るためわざわざつけたのだとも言われている。敵の心理を知るには敵と同一になることから始めねばならぬという彼の説によるところのものだ。警視庁第一課の敏腕刑事であるところの彼は鬼警部とめの異名をとる。この間も逃げる犯人の脳天に一発くらわせて半死半生の目にあわせたため、上の方から睨まれており、彼は眼帯に隠れた目玉でそいつらを睨みかえしている。好物はアンパンである。


シーン2 
鬼が島はバベルの塔に似ている。ボッシュの絵画のような趣をたたえ、崩壊を孕んでいる。常にシュッ・シュッっという音がどこからともなく、どこからともなく漏れている。行きかう半裸の鬼達は絶え間ない悪の労働に従事している。鎌を持ち、鍋を煮えたぎらせ、臓器を首に巻きつけて神妙な面持ちで真面目に働く。鬼が島で一番の大企業である鬼が島社の専務が監視にやってきてその様子を見ながら閻魔帳をつけいる。専務はふと海に目を馳せたところどんぶらとやってくる一行を海の点として認識する。巨大な望遠鏡を持ってくるくるよう部下にいいつける専務。


シーン3
上陸する一行。一行は逮捕状を携えている。出迎えに来た鬼達のうち数人が細かいはりのようなものを投げつけ、その血液をプレパラートに載せて顕微鏡で分析し、悪の濃度を測る。


シーン4
桃太郎は鬼が島の少年に魅入られる。魅入られたら最後、きっと殺すか殺されてしまう。鬼警部であるところの犬はそうして殺された。犬畜生の死など誰も悼まなかった。生類憐みの令はその頃は出されていなかった。法により価値を付与されない生き物の死には名前がない。お犬様と呼ばれる時代は過ぎたのだ。


シーン5
キジは鬼が島へ到達してから数日後おいおい泣き出した。鬼に神を見出したと彼女は言い。そうして自らに神を見出したと言った。詳しいことは誰も聞かなかったが、彼女のとった行動の最も明快なものは裏切りであった。キジは神がかり的というか悪魔がかった踊りを鬼が島城の天辺で神というか悪魔というか彼女の信じるものに捧げて天守閣のてっぺんから転がり落ちた。神だか悪魔だかしらないが彼女の信じるものはTVでJリーグ戦に夢中であったため、その踊りをうっかり見逃していた。


シーン6
桃太郎は甘い果実の皮を剥がすように少年を脱がしている。それは脱がしても脱がしても涯がない。桃太郎は最後に出てきた希望を見て、これがパンドラの函であったことを知る。桃太郎は最早もどれはしないことを知る。


シーン7
残った桃太郎一行はというと桃太郎と猿であるが鬼達の歓待を受けている。盲腸のおひたし金粉がけ、ガンに冒された蜂の巣の脳みそ痛め、アルツハイマーの脳から抽出されたエキスをからめた銀杏蒸などが食卓に所狭しと並べられ、ブルゴーニュ人の鼓膜で覆われたワインをガブガブ飲んでいる。その時、猿は向いに座った女が追い求めていた女であることを知る。しかし彼は何も言わない。女も知っているようだが何も言わない。二人は黙々と料理を勧めあい、「うまい」とだけ何度も言って口に運ぶ。頬張る。料理を取り分ける。味見をさせる。切り分けてやる。皿の中身を交換する。愛を交し合う。それを見ていた鬼も桃太郎も感極まって涙を隠す。


シーン8
食事が終わるとデザートが運ばれる。その皿はからっぽである。私をどうぞといっていぬは自分の胸を刺す。鬼の女はその死骸を拾って家に持ってかえる。女はぶつぶつ呟いていた「美味しい毒を食らう、美味しい毒を食らう」


シーン9
桃太郎は鬼を成敗する。舞い散る桜の花びらを一つ一つ日本刀で裂くように桃太郎は殺していく。桃太郎は丁寧に切る。その切口の美しい形はダイアモンドの切口のように精緻を称えている。時々、桃太郎は切られる。血はその光景に金粉のように撒き散らされる。いずれ彼も死ぬ。そうしてパンドラの箱の希望が残れば人生は美しい。


シーン10 辻にもたらされる鬼畜の生首,丑寅の方角を向いている。その目は幾重にも濁りをたたえ、深遠に結びつく。その二つの空洞は冥界への入り口なのだ。一人の女が目玉の深遠に身投げをした。心中を約束していた男に裏切られたためだ。十月十日後、その男は江戸城のお堀の中から発見されるはめになる。その頃には生首も干されてからからに渇いている、その二つの入り口だけを残して。頑是無い子供達がその首で蹴鞠をして役人に注意される。



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散り行く花

中国の若い僧が欧州人の腐敗した堕落を正そうと単身イギリスに渡る。そうして数年後、夢も破れてスラムの片隅で阿片に溺れている若者。一方、ボクサーの父の暴力に怯えて暮らの若い少女。若者は街角に買い物に来る少女の美しさに心魅かれる。ある日、父親のひどい折檻に逃げ出した少女は力尽きて青年の店の中で倒れてしまう。傷ついた少女を介抱する青年。初めて人の優しさに触れた少女の心は美しく動いてゆく。女優はサイレントの名優、リリアンギッシュ、無声のため演技手法は大仰であるが嫌味はない。訴えかけるような、問いただすような、怯えを含んだ憂いの目につい吸い込まれる。青年の故国、オリエンタルな衣装に身を包み小さな人形を掻き抱く華奢な姿がはかなげで、その消え入りそうな可憐がまた魅了される。少女は父親の取り巻きによって再び捉えられてしまう。父親に激しい折檻についに命を失う少女。死んでいる少女を見た若者は気も狂わんばかりになり、父親の胸に銃弾を何発も打ち込む。悲しみが溢れ出して白い花を贈った若者の胸を突く・・との文字が浮かび、若者は刃を自らの胸に押し込める。


ボクサーの父の暴力を受けるシーンで父親が娘に「笑え」と要求するシーンがあり、少女は二本の指を唇の端に押し当てて耳の方にひっぱってどうにか引き攣った笑顔らしきものを浮かべるという印象的なシーンがある。ラスト、少女が死ぬ瞬間にも少女はなぜか二本の指で口の端をのばして笑顔を作る。この攣った笑顔の意味が見るものをたまらなく悲しくさせる。


白黒映画ではあるが、カラーフィルムを使っており、部屋の中は暖色のセピア、外は寒色のブルー、回想シーンは紫を使う区分がなされている。最後の高揚する激しいボクシングシーンと少女と青年の惹かれあってゆく美しいイメージのクロスカットは当初では斬新な手法を凝らしている。音楽は淡々としたものから叙情を煽り盛り上がるオーケストラの演奏へ変化。中国風の音階を使ったものも途中に挿入されている。


D・Wグリフィスはサイレントの巨匠であり映画史上最も重要な人物の一人である。クローズアップやカットクロスなど様々な手法を研究し、映画を芸術の域まで引き上げた第一人者であり、ゴダール・トリフォー等、ヌーベル・ヴァーグの巨匠陣営をはじめその後、多くの映画監督に影響を与え、父と仰がれた人物である。


                         
                                 アイ・ヴィー・シー
                              散り行く花 (トールケース)
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プラド美術館展

スペインの至宝を有する絵画の殿堂「プラド美術館」の重要なコレクションの一部が海を渡ってやってきた。

スペイン絵画は16、17世紀、スペイン王朝、ハプスブルク家・ブルボン家の繁栄と共に栄え、その衰退と共に近代絵画の幕開けとなった。

ティッチアーノ・ベラスケス・ルーベンス・ゴヤ・・・名だたる巨匠を中心にスペイン絵画史を展開する。

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ルネサンス後期、ベネチア派とマニエリスムの影響を受けたエル・グレコ。「十字架を抱くキリスト」など歪んだ絵画に素晴らしい表現が宿る。

フィリペ四世の肖像画を書いたことをきっかけに宮廷の主席画家となるベラスケス。絵画の中の絵画と称される「ラス・メニーナス」で知られる。全ての女官が動く瞬間を描いたこの作品は静と動、明と暗。様々な要素を内在する名作。

そして最後に宮廷画家として活躍し、晩年、聴力を失くしてからは鋭い批判性と暗黒の世界を抱えた絵を制作したゴヤ。劇的であり、美しい絵画を越えて醜く、悪魔的な絵画の迫真へといざなわれる。

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スペイン特有の台所の食器、食材等を中心として描かれる生物画(ボデコン)も生々しさやエロチシズム、静謐を称えた迫真があり興味深い。 

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有名なところではないが、罪の象徴であった娼婦が悔い改めて、天使に囲まれながら昇天するという「マグダラのマリア被昇天」が気に入った。はだけた両の乳房を抑えながら画布左上から毀れてくる白光の筆後に向かって天使の奏でる雅な音楽と共に、仰ぎ見るマリアの清清しい額が美しい。

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ちなみにプラドの代表的所蔵作品の中でも最高の宝、フラ・アンジェリコの「受胎告知」ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」やボッシュの「快楽の園」などは今回、見られなかった。


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?????????????????????????????????????????????????????   ベルヴェデーレ、アンドレア 花卉

映画 ブラック・ダリア

ノワール小説の人気作家ジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』の映像化。実際におこった残忍な猟奇的事件「ブラック・ダリア事件」(1947)に想を得ている。前半のボクシングシーンからバイオレンスな臨場感を煽る。対決した二人の男、バッキーとリーは仲間としてロス市警でパートナーを組むことになる。ある日、ロスの一角で死体が発見される。耳元まで口を切り裂かれ、臓器や性器をくり抜かれ、胴体を切断さている。被害者の女は女優を夢見てロスに来た黒ずくめ服を纏うあばずれ女、通称「ブラック・ダリア」。バッキーとリーはこの事件を追うことになる。リーにはケイという知的で美しい妻がいるが、次第にケイに魅かれてゆくのを抑えることが出来ないバッキー。捜査線上に次々とあがってくる疑惑。豪奢なレズビアンバーで被害者ブラック・ダリアに似た女、マデリンに出会う。マデリンの怪しい美しさに欲情するバッキー。捜査線上にあがってくる残酷な欲望を掻き立てるレズビアンポルノビデオ。一方相棒のリーは釈放された凶悪犯を追う途中、螺旋階段上で何者かに殺される。彼の命を救えなかったことで自己嫌悪に陥るバッキーだが、一方でケイを求めてしまう。ところがある日、殺されたリーが犯罪に手を染めて隠蔽しようとしていたという意外な真実を知り・・・。次々と花開くグロテスクな真実。バッキーの苦悶は最高潮に達する。


思わず目を覆いたくなるグロテスクなイメージ、バイオレンスなセックスシーンが瞬間的に散りばめられており、感覚を刺激する。それよりももっとグロテスクな人間心理や醜い欲望の交錯を丁寧に抉っている。ヒッチコック・ゴダール・オーソンウェルズに影響を受けたというデ・パルマ監督の影像は古典調の豪華なセットやヒッチコックを連想させる螺旋階段・女優の正面アップ・英国風の調度品や衣装などハリウッド映画らしくない高級感があり見ごたえがある。長まわしの酔うようなカメラワークの緩急は特徴的で凝っている。シーンカットのスピードある展開にハリウッド的な技術の確かさが感じられる。ストーリーが複雑であり、それを影像ではなくナレーションですましてしましている箇所が多い。そのため交錯する事実を確認するだけで精一杯の感がある。一つ一つ暴かれて最後に物語が一つに収斂されていく感じがなく、逆に一つ一つ暴いて散らかしっぱなしで終わったのがもったいない。




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??????????????????????????????????????????????????? http://www.black-dahlia.jp/



アレクサンドロ・ソクーロフ監督「太陽」

―1945年8月。その時、彼は庭師のような質素な身なりをしていた。その人の名前は、昭和天皇ヒロヒト。宮殿はすでに焼け落ち、天皇は、地下の退避壕か、唯一被災を免れた生物研究所で暮らしていた。彼を神の子孫だという侍従たちに天皇は、「私の体は君たちと変わらない」と笑った。―(チラシ宣伝文より)


終戦間際のヒロヒト天皇は、皇后、皇太子を避難させ、海洋生物の研究などをしながら日々の公務をこなす。場面は天皇が食事をとるシーンから始まる。菊の天皇家の紋章が美しい食器類。天皇の西洋式の食事を給仕する侍従ら。天皇は今日の予定について侍従に確認をする。墨を筆に染み込ませ一字づつ丁寧に手紙を書く天皇。最後に残る日本人は私だけなのではないか」とぼんやり尋ねる天皇に対して言葉に窮し、天照大神の子孫にして現人神にあらせられれば・・・と苦しそうに答える侍従。御前会議のため、軍服に着替える天皇。御前会議で陸軍司令官は拝謁に興奮しながら、本土決戦の覚悟を申し述べる。明治天皇の歌を引き合いに出して平和を望む考えを述べる天皇。天皇自身の静かな葛藤が映画を通じて感じられる。
そうして日本は終戦を迎え、ヒロヒトは一人ダグラス・マッカーサーとの会見に臨む。マッカーサーと通訳を介さず英語で会見、他に数ヶ国語を操れることを説明するなど謙虚で物静かで聡明な姿が描かれている。葉巻に興味を示し、食事を美味しいと言って食べる親しみのあるヒロヒト天皇の姿にマッカーサーの心が動かされてゆく様子が丹念に描かれている。他ヒロヒトの写真が記者によって撮られる際、「チャップリン」に似ていると野次が飛ぶシーンや侍従の一人が人間宣言のあと自害に至るなどの印象的なサブストーリーがある。


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口中の匂いを手の平に吐いて「臭い」と呟く、年老いた人のように口をぱくぱくさせる等が随所にあり、神でない天皇の人間味を表現した箇所が親近感を越えてリアルであり、日本での公開不可能と言われた理由について頷ける。
レーニン、ヒトラーなどを描いた歴史映画の巨匠とのことだが、東京の空襲跡が全て鉄筋の廃墟に感じられる、米から送られてきたチョコレートの詰まったダンボールを天皇の近くで開いて騒ぐなど事実考証に疑問、違和感が随所ある。ロシアの映画監督らしく、全体の色彩は薄暗く、深みを帯び、静謐である、。映像美を謳われていたいたが、確かにセピアや薄いブルーなど、ファンタジーカラー的な濃淡が美しいシーンがある。マッカーサーをはじめとする米軍もなぜか露西亜らしい深みを称えた人柄として表現されており、外国から見た日本というより、露西亜から見た日本。どちらかというとソクーロフ監督自身のフィルターを通して見たファンタジー要素が濃い。



イッセー尾形の演技が秀逸。些細な仕草、言葉の癖の端々に昭和天皇にリアルな人間味を浮かび上がらせている。ちなみに本来の昭和天皇に似せた演技で誇張なく自然に似せていると評価が高い。彼の舞台を生で見たときも人物描写の圧倒的な技術力に驚いたが今回もそれが遺憾なく発揮されている。桃井かおりはかなり宣伝されているものの出番は最後の数分のみ、存在感のある女優である。侍従役の佐野史郎の安定した高い演技力が映画に一定の信頼感を与えていた。日本の俳優陣営のレベルの高さを賞賛したい。


http://www.taiyo-movie.com/

孤高の丘にて

君は僕の増幅器だ

一刻が千刻の時を刻み

一粒の涙が滂沱の涙雨を誘った


けれどはにかみは苦しみに近く

僕は君という体のを通じて増幅されてゆく一つの怪物になった

嗚呼、僕という猛獣のたづなは君が握っておくれ

さもないと声を枯らす遠吠えの果てに僕は尽きてしまうだろう



小川信治展 ~干渉する世界~

小川信治 1959年~(山口出身) 現代美術家


空間認識の違和、時空倒錯をもたらすユニークな油彩・鉛筆画・映像作品。


・イエスのいない最後の晩餐。イエスしかいない最後の晩餐。ユダのいない最後の晩餐。

フェルメールの「牛乳を注ぐ女」に女がいない・・・等。西洋の伝統絵画を取り上げ、観客がその絵を知っているという前提のもと、その中から人物を消すことによって奇妙な不在空間が成立する。(WITHOUT YOUシリーズ)


・並列して立つピサの斜塔、アジェの写真を材料に対象物を一つ選び、もう一つ付け加えた作品など、(PERFECT WORLDシリーズ)現実はあらゆる角度から、あらゆる様相に存在することを提示する。

 

                           


・ヨーロッパの古城の壁にカメラがクローズアップする、アップに映し出される壁石、そうして再びカメラが引き風景が遠のくとその壁石を含んだ部屋の中へと空間は変化している。又再びカメラがクローズアップするという手法により数十枚の写真を繋ぎ合わせている。現実的空間認識の危ぶみを感じさせる作品。(チェーン・ワールド)

・女の子の輪の中にいる少年の写真。少年だけが写真の枠を超えて左へ移動する。次は少年を含んだ全く違う写真が左側に展開される。そうして写真を重ね合わせてゆくときに発生する消滅や出没により交錯する世界を提示する最新作品(モアレの風景)


作者は「私たちが信じて疑わないもの、普通だと確信しているものが既に異形のものへと変化し始めているという直観」を動機として作品を制作しているのだそう。


http://www.nmao.go.jp/   2006年9月30日(土)~ 12月24日(日) 中ノ島 国立国際美術館にて




禁じられた遊び

1952 仏  戦後リアリズムの旗手 ルネ・クレマン監督の作品



大戦中のフランスの田園風景の空に戦闘機が舞い踊っている。突如、やってきて機銃掃射で大量の人々が、その畔に、その田園の中に息絶えてゆく。物心つかぬ少女ポーレットは母が彼女をかばって死んだことの、その死の意味が分かうらない。息の絶えた子犬を拾いあげまだバランスのとれない体で歩き、川の流れに捨てる。彷徨っていたポーレットはミシェルという地の少年に出会う。ミシェルはポーレットを家に招き入れ、ミシェルの家族はポーレットを優しく迎え入れる。ミシェルはポーレットの犬に墓を作ってやり、ポーレットはその上にささった十字架に魅かれる。ミシェルの望むままに十字架集めをする二人墓を作る遊び。廃屋である水車小屋には壮麗な墓場が出来上がる。幾つもの虫の、動物の死体に覆われて大小の十字架に埋もれた水車小屋をなぞるように描写するカメラワークが美しい。十字架は枝を二つ組み合わせて作ったものからエスカレートしてミシェルは墓場から葬式馬車から教会から十字架を盗もうとする。それが発覚し、ミシェルはついに施設に送られることになる。ミシェルはポーレットを置いてくれるよう懇願し、水車小屋へ走り嗚咽しながら、十字架を一つ一つと川へ投げ捨てる。その時、すでにポーレットは施設の引き取り手によって収容所へ運ばれてゆく。人が行き交う街でここで待つよう婦人に言われ、ベンチに座っているポーレット。不意に思い出したかのようにミシェルの名前を呼び、彼を探し始める。そうしてミシェルの喪失によってポーレットの中に何かを呼び覚まされたかのように、もしくは何かが芽生えたかのように「ママ」「ママ」と呟きながら群集の中に入ってゆくミシェルを冷たく俯瞰するようにカメラは遠くなる。


アイ・ヴィー・シー
禁じられた遊び

?詩情溢れる作品。 クラッシックギター一本で単純なメロディーを繰り返すナルシソ・イエペスのギター曲はあまりにも有名。そのギター特有のかすれた、鳴くような音が静かな臨場感を煽る。全体的にリアルでいて、それを冷めたように単調に撮っているカメラワークとギター音楽が響きあい、その俯瞰がより悲しみを深くするよう構成されている名作中の名作。

彼女の死

彼女はとりかえしのつかないくらい色んな人に傷つけられました  

ボロ雑巾のようになって風に吹かれていました

そんな嫌な奴なんか粉々にしちまいなよ

そう言って氏は傷ついた彼女に巨大なハンマーを優しく手渡しました


ところが彼女はそれで自分を砕いて、死んでしまった


「こんな世の中だよ」・・・と氏は天井を睨みながら僕に告げたのでした


こんな世の中であってほしくないものです。こんな世の中だと言うなら、私は彼女の変わりにハンマーを持って嫌な奴の頭を砕いて回る。

アルノルフィーニ夫妻像

ヤン・ファン・エイク (1390~1441) 


ネーデルランドで最も有名な画家。宮廷画家として外交官として各地を旅し、優れた油彩技法で数々の名画を残した。(ゲントの祭壇画他)

                           

                    暗黒部分が透けて見えるような絵画


ルネサンスといえば絢爛なイタリアのフィレンチェなどを思い起こすが、ファン・エイクも同時代にあってその華々しさの影に隠れているが、当時、最も優れた技巧を持った画家の一人だった。当時の傾向として現実感を持った絵画が台頭し、ファンエイクはその分野で並外れた技量を持っており「神の手を持つ男」との異名を持った。幻想と哀愁の漂う絵のようでもあり、アルプス以北の土地はその季節のなせる業なのか、そこで誕生する芸術は絵画や音楽等は今でも幻想と憂いを帯びたものが多い。冬の白さ、暗さ、光の氾濫、太陽の沈まぬ白夜、・・・そこで生まれる深遠を覗き込むようなイメージに魅かれる。ちなみに同時代に圧倒的な幻想作品を描き「地獄と怪物の画家」と言われたボッシュの「快楽の園」もシュルレアリスムの先駆け的な素敵な作品です。


中央の鏡にはファン・エイク自身が描かれている

Paging Navigation

Navigations, etc.

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