刺繍草紙

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村上隆 「芸術起業論」

村上隆は日本における現代ポップアートの先駆者家であり、「おたく」文化、「カワイイ」文化などの日本(東京)を中心とするアンダーグラウンド文化を背景に意欲的に作品を創作している。葛飾北斎・東洲斎写楽などに影響を受けており、自ら工房を持って大人数による作品作りに取り組む、ビジネスとして芸術作品を制作するなどの取り組み方も日本の次世代アーティストに影響を与えている。
                    
               著者村上隆  
Tan Tan Bo

著者は日本の現代美術が遅れた要員として、戦後の格差是正政策が、階級と共に形成される多様な芸術をなくし、美術における均衡化を生み出してしまった事を指摘。また資金が投入され活性化される仕組みを持っていない事などもあげている。

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日本における村上隆の作品の評価には「模倣しただけにすぎない」、「芸術ではない」など厳しいものも多い。芸術をビジネスと考え自らの作品に紹介方法、展示方法を徹底的にこだわる村上氏からすればこの著作を借りて自らのスタンスの主張を文面の形で反論したのかもしれない。村上氏は著書の中で芸術家は歴史が評価すると述べているが、この時間の流れのはやい現代においては、おたく文化やかわいい文化の認識によって認識の革命を起こし、その後、追随者がでているという点において、最早、何らかの歴史的評価があるのと考えてよいのでははないかと思う。   

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著者の目から見た芸術観で一般的現代芸術論の本ではない。しかし日本の現代芸術の在り方に一石を投じる著書であり、芸術に携わる人にはおすすめできる

?My Lonsome Cowboy
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グローバルな視野を持て

君の国家観を半径30メートル以内、5ルピー未満で答えなさい


 

  私の国家観=「やらしいゴム風船の爆発」




きっと、何らかの腐敗をすでに知っているのです

まず、最初に熟れて皮が歪んだトマトを想像してみてください


次に、それがアスファルトに激しく叩きつけられる様子を

思い浮かべてください


トマトは一つ、また一つと叩きつけられます

最後に叩きつけられたトマトの残骸をイメージしてください


それが、わたしです。


きっと人生が終わるその時に全てが徒労であったと腕で顔を覆うのでしょう



エスキモー

エスキモーがやってきました

ひとり ふたり さんにん よん・・・


そうして彼らは氷の上に横たわる私を見て首をかしげました

彼らのうちの一人は、その時、自分の服に出来た破れ目をみつけました。そうして中から顔を出す真綿をツツーとひっぱりだしたのです。


彼らのうち一人はそれをゴミ箱とでも思ったのか、私の口に真綿を詰めました。そうすると他のエスキモーもおのおの真綿を引っ張り出し私の口に溢れかえらんばかりに詰めたのです。


そうして目をふさぎ、耳をふさぎ、鼻もふさいで、テレビに、洗面所に、洋服ダンスの中に、詰め込まれた真綿。


そうしてその真綿にはほどよい水分が加わりより内部へ内部へと食い込んでゆくのです。

そして私は無呼吸症になり心地よいオホーツクの海を漂ったのです。



旧帝国ホテル

フランク・ライド・ロイドは近代建築の先駆けとなり、世界で最も有名なアメリカ建築家の一人である。


彼の日本での代表作。「帝国ホテル」は現在愛知県犬山市にある明治村に寄贈されている。



                 


ガラス飾りやランプに取り入れられた銅細工の幾何学文様は木漏れ日を表現したような見事な光をあちこちに落としている。マヤ遺跡に影響をうけたという彼の設計は古代アステカの香り、またギリシャ建築、東南アジアのボルブデュールを思い起こさせるが同時にモダン建築の先駆けでもある。計算された人工的美しさの中に計算出来ない神秘性と自然への多大な賛美が封じ込まれている。彼の複雑な建築はまるで森の中にでもいるような錯覚に陥る、味わいを持つ大谷石で作られた柱の陰影にまでこだわり、幾何学的レリーフがあり、樹皮や彫像を思い起こさせる。


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ロイドの意匠は机や椅子などの丁度にまで行き届き、建築物と何ともいえない調和を生み出している。まさしく感動を呼び覚ます偉大な建築美術の一つ である。

悲しみよこんにちは

19歳で輝かしいデビューを飾った早熟の天才少女フランソワーズ・サガンの処女作にして代表作「悲しみよこんにちは」


―ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。

 その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。

 ところが悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。


ー車でスピードを出すこと、新しい服を持つこと、レコードや本や花を買うこと・・・いまだに私はこれらの安易な楽しみを恥じていない。もっとも私は、それらが安易なのだということを聞いていたから、安易と呼ぶにすぎないのだ。

                                              フランソワーズ サガン, 朝吹 登水子, Francoise Sagan
                                                             
David Seymor マグナムフォトより

鮮やかに「無」であること、たやすく人生を行過ぎること、スピードと欲望、運転すること、踊ること、恋をすること・・・ただ流れてゆくこと。「悲しみ」という言葉に例えて、大戦後の色のない美しい虚無的世代を素晴らしい感性で描きあげた作品。いまだこの作品以上に「悲しみ」というものの本質をついた作品は知らない。とりわけ音楽以外では。


サルトルの実存主義に影響を受けた存在への疑問。ランボーに受け継がれた性急で叩きつけるような鮮やかな切れ味の文節、ラディゲによる青春のさわやかな軽薄さも混ぜあわせ、当時一世を風靡したカミュやカフカ等の不条理文学の流れもくんで生まれでた名作。

ただ南仏の海の青さが、青春の気だるい甘さが、無思考の暑さが目裏に残り、それでも何かの重いものを忘れているといった気だるさがある、それを「悲しみよこんにちは」という一言で言い現している。


20世紀を代表する偉大な女性作家、サガン。スピード、麻薬、自動車事故、異端派作家カポーティやサルトルとの交際、数々の恋愛。怠惰さ、若くして得た栄華、ブルジョワ的感覚を常に香水のように身に纏い、もはや何も書けないのではないかと感じ、仕事を疎んじながら、数々の傑作を残した。新潮社から同じく出ている「心の青あざ」はそんなサガンの飾らない様子がインタビューにより伝わり、もっとよく知りたい方におすすめする。

マシュー・バーニー 拘束ドローイング


アメリカの鬼才現代アーティスト、マシューバーニーの描く衝撃の映像作品。「拘束ドローイング9」

(ストーリー)
液体を染みだした化石のようなものを白い和紙で包装し、赤と金の熨斗をつけ繊細な贈与物が出来上がる。捕鯨船上ではクレーンで巨大な鋳型が組み立てられ、液体が流し込まれてゆく。奇妙な阿波踊りの一段が海へと向かっている。一組の男と女の客人あり、(マシュー自身とプライベートのパートナーでもあるビョーク)男は剃刀で女は湯船でその身を清める。女は介添え人により髪を大きく結われ、貝の簪を挿し、男も女も水に濡れた襦袢を纏い、毛皮や貝殻など身に着けやがて日本の婚礼装束になる。男と女は立つ事も出来ぬ窮屈な廊下に小さく腰掛け、船上にしつらえられた茶室の扉をあけ、作法にのっとり主を待つ。やがて主はやってきて、巻貝で出来た真っ白な茶碗に、湯を流し込み、貝の茶筅を置き、練りこめられた草色の茶をたてる。それを飲み干す二人。その時、主はこの捕鯨船「日新丸」について低く語る。一方では凝固してゆく鯨の液体が船中に微香を発する。それらの凝固物質は四角に遺伝子や恐竜の背骨を髣髴させるような円形の羅列に分断され運ばれてゆく。凝固物は変容し溶解してゆく。船は水に浸され、客人の男と女は互いに絡み合いながら捕鯨用のナイフで互いの身体を刻みだす。刻まれてゆく肉体と、筋を描いて水を上ってゆく血液、切り取られて浮かび上がる皮膚。身体は儀式的に刻まれ、船上の物質は巨大な瓦解を内包しながらもゆるやかに崩れてゆく。



捕鯨、茶道、もてなしのこころ、海女、もののあわれ...日本へのインスピレーションの源であるその知識に着眼の非凡さに舌を巻く。音楽はパートナーであるビョークが担当。神秘的でかつ人工的な歌声が臨場感をあおる。


巨大な建造物の阻み、物体の屹立、拘束、崩壊、溶解、変容、仕切られた世界、柔らかさ。小さく仕切られた茶室、限定された道具、研ぎ澄まされた切断の作法により男女の欲望行為をより人工的に、液体が凝固し変容し、亀裂し、溶解してゆく物質的力学にたゆたう官能を注ぎ込んだ美しい映像作品。身体を構成するあらゆる器官、自然物、人工物へのリアルな欲望が掻き立てられる研ぎ澄まされたイメージ。


ちなみにイザナギ・イザナミの子供、蛭子は三年たっても足が立たなかったため海へ流されたという。その蛭子が恵比寿神となって海の底にあるという神の国「常世」から富や時には災いを持って地上に時折おとずれるという。鯨の胎児はその恵比寿神と考えられていたのか、胎児が流れ着くと誰にも言わず箱につめて海へ送り返す儀式をしたという。この作品は捕鯨という一つの日本文化を描くことで、「神」や「常世」「もてなし」「贈り物」「死」などの深遠なテーマも内在しているものと思われる。

メランコリア

阿部野橋の裏通りのバーで紺色の雨傘に出会いました。

ふたりともお金も,帰る場所もなくて

ういすきぃの心残り・・・こほりを舐めていました。

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「腹が減ったよう」と雨傘が言うから

ふたり、ゆふべのお月様に腰掛けて

まあるいメランコリアを二つに分けて齧りました。

見下ろす夜はガレイドスコープ、雨傘が言うには

「あの人たちは崩壊をきっと大切に、大切に、ポケットにしまっているのですね。」

彼は月の尖った部分でヘンケルスの包丁をぴかぴか磨いて、

痛む部分を切断手術するよう私に提案するのです。

「その部分は私が日本海のいわしにでも食わせておきますよ」

雨傘は月の甲板で宙にもたれてタバコをくわえながら、親切にもそう言ってくれました。

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「あたしそろそろ行かなくっちゃ」そう言うと

雨傘は

「誰だっていつかは行かなくっちゃならないんだ」

そう言って首をかしげて、目薬をさすと、礼儀的に一滴涙を溜めて笑いました。

私のスカウトにはメランコリアの粉が沢山落ちていたので

そのチリを右手に集めて夜に降らせました。

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ぢゃあ、さようなら。

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みくすい天国

だけど、電車の中で隣の人が定期入れを落としても、

「落としましたよぅ」なんて、おどおどと声もかけられなくて

青空の下は、あたしたち、すこうし淋しい熱帯魚で

パチンと光る液晶画面、その中に世界を見たのよ。

そうしてあたしたちキレイなみくすい天国を作ったよ

隣の人の涙は関係ないけど、見も知らぬあなたの(><)にしょんぼりで

そうしてあたしたちまんまるなみくすい天国作ったよ

喧嘩もない友情と、いつも分かってくれる仲間と、

ヴァーチャルな幻を抱いているのかな

日本列島 日本国民 みくすい天国 G船上のアリアに乗っかって理想の国を見つけたのね

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あいのうた

そうして俺はそのときもうすでに駄目だった

おさえてはいたんだけどね、

真夜中過ぎには、狂いだしたんだよ

愛しい人


目玉が白目を剥いて飛び出ると、なんと脳髄がしきりに軋み出し、

耳から鼻から首筋から、妙な御液体まで溢れてお出ましになったんだ

それがくっきりと感じたんだよ、 たった一人、愛した人

午前零時、唇は狂ったマナコを咥えて、下腹部砕いて、血液色の夜だから

そうして一人 


「俺が地獄だ!」「俺が地獄だ!」


のたうち回るほどの・・・悦楽シンフォニー・・・今日は俺のフランス革命で


これは・・あなたにささげるあいのうたです


隣で寝ていた太った女が裸のまま飛び起きて、

白豚、無様もいい格好で、亡霊のようにゆらゆらと俺を揺さぶるから

俺はそのまま女の首を絞めて、傾いでゆくこの世界えもゆわれず、君は永遠にきれい

本当だよ。僕はあなたに嘘などついたことがない。


そうして俺、「地獄だ!」「俺は地獄だ!」って叫びながら

君を思うよ・・・涙・・・涙・・

君を思っているよ・・・涙・・涙・・

今日は少し冷えるね あなたがくしゃみなどしないかどうか心配だ


反吐に変わりゆく神経を集中させるべく、舌でタップを踏んでみたのよ・・、唾はいて、ゲロゲロしながら

女の首を絞めながら、俺、泣きたいんだよ

からだはダンス、愛は心臓、望みは真昼の月のように透き通って

愛しい人 君の名前は何だっけ?


ああ、それとも、このまま、やってしまうのか・・・

「俺が地獄だ!」「俺が地獄だ!」


ホルマリンの抱く静寂(しじま)

深夜のアロアナ

生きることはとてもむつかしいね


あなた あなた


これはあなたへのあいのうたです



倦怠アバンチュールを経て

今回は沢山のお客様にご来場いただき、また様々な方々から好評をいただき、ありがとうございました。まだ結成五年目の若い我々はまだまだ劇団としての試行錯誤を免れえず、また「小劇場の実験性」というものを尊重する考えも持ち合わせており、常に変革していく作品群であります。その中で今作品にある一定の評価を得られたということは、長きに渡り応援してくださった様々な方々、また見に来ていただいたお客様がたのお陰であり、ここに感謝の意を表します。

今作品は映像とのコラボレーションにおいて一つの形を打ち出した作品であり、またライブ演劇という音楽()(ロック)とのコラボレーションにおいても一つの結論を出した形となりました。またこの二つの形が明らかになることによって、特に今作品一つの完成を提示したのは「速度の美学」ではないかと感じています。


当劇団は第三回公演より、メランコリアともう一つの機軸として耽美主義をうたっていました。耽美主義はその後一貫して貫かれておりますが、「金色雀」「夢の花床」における二作品を見ると、自分の中で美に対する意識の明確な変革を感じます。「金色雀」に端を発する変革の特徴ははラストシーンが走馬灯のように流れるように走ってゆき、どこまでも続いて消えてゆくような錯覚に陥らせるという特徴を持ちます。「静止」よりも「疾走」、その滅びの速度に永久性を夢見るのです。走り去る車、消えてゆく記憶、逃走、疾走、暴走、これらのイメージが舞台で重要なポジションを占める作品。「金色雀」では暴走していく夜汽車、「夢の花床」では金を抱えてどこまでも走ってゆく女、そうして今作品「倦怠アヴァンチュール」ではうなりながら夜を滑ってゆく四輪駆動車。ヌーヴェルヴァーグの旗手、ゴダールの「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」、ゴダールの再来といわれるレオン・カラックスの「ポンヌフの恋人」「汚れた血」、セリーヌの走りゆく口語的文章や、アルチュール・ランボーの破滅的で感覚的な文章、イメージを叩き込んでいく鮮やかな連打力。それらの影響を受けた多くの作品が今、自分における美へのイメージを大きく変革している。


古い話ではあるが1907年、イタリアの未来派、詩人フィリッポ・トルマンゾー・マリネッティは「未来派創立宣言」を発表し、そのなか「爆音をあげて疾走するレーシングカーはサモトラケのニケ像よりも美しい」という「速度の美学」を宣言した。その言葉に絶大な賛意を送りたい。

Paging Navigation

Navigations, etc.

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